第20回 平成20年11月1日

オータムフェスティバルで大学構内は賑わっています。
また11月2日(日)はホームカミングデーということで卒業生たちも母校にやって来ます。
過日、スポーツ関係のサークルに属する学生さんがやってきて二宮清純氏の「オリンピックの裏側」という講演が楽しみだと言っていました。
二日は中央講堂も開かれていますから、皆さんもぜひお越しくださって、教育後援会が創立50周年記念事業として大学に寄贈した松村公嗣画伯(院展同人。愛知芸大教授)の牡丹のすばらしい画(入口を入ってすぐの両壁面にあります)を御覧になって下さい。

深沢キャンパスの方では秋の公開講座も始まっています。
学生さんにとってもスポーツに勉学にと忙しい季節です。文学部などの4年生は、就職活動のほかに12月10日提出の卒論がありますから、11月に入ると、卒論のまとめに大変です。

駒沢オリンピック公園の木々も秋色を深めつつあります。
心の、また体の癒しのために時には公園を散策して秋の気に触れるのもいいのではないかと思っています。

第19回 平成20年10月3日

いつになく暑い夏であったなあ、と思っているうちにいつのまにやら十月となりました。

朝夕はひんやりとして秋気の満ちる候となりました。教育後援会の父母の方よりおたよりをいただきました。秩父の山巡りをして秋の花々を楽しんできましたと書いてあります。今日、教場で演習の学生さんたちに秋の七草の話をしました。万葉の歌人山上(やまのうえ)億良(おくら)

萩の花 尾花(おばな) (くず)(ばな) なでしこの花 女郎花(おみなえし)また(ふぢ)(ばかま) 朝顔の花
という七草の花を詠んだ歌(巻八・一五三八)をついでに紹介し、ここでの尾花は「すすき」のこと、朝顔は「桔梗(ききょう)」のことですと話し、復元された国宝の「源氏物語絵巻」の中の秋の庭に咲き乱れる桔梗(ききょう)の絵図を観賞しました。

政治や経済の変動はあわただしく、就職戦線も厳しい現状ですが、ときには自然の景物に目を遣り、季節の移ろいに心を(ゆだ)ねてみるのも心の健康のためにいいのではないか、と思ったことでした。

第18回 平成20年9月10日

8月の末から9月のはじめにかけて関係するゼミやサークルの学生の皆さんとあちこちを巡った。
若い皆さんとの旅行はいつも新鮮な感動に満ちた思い出を残してくれる。

8月31日は終日、埼玉県の「彩の国くまがやドーム」の応援席に陣取って、学生や先輩、父母の皆さんと声援を送っていた。第62回全日本学生体操競技選手権大会が催され、男女各選手たちが参加して奮闘していたからである。選手の皆さんが若い命を燃やして精一杯努力している姿は美しい。応援席からの声援も今回は趣向を凝らし、皆の思いや熱意が際立っているのが判ってとてもよかった。女子は負傷者もあったりして結果は不十分であったが、男子は苦節10年が実って2部で優勝、見事1部昇格の成果を得た。現場に臨んでいて、コーチやトレーナーや指導の先生方の細やかな心くばりにも感動した。駒澤大学のよさが表れていると思った。
駒澤大学には陸上競技部をはじめとして活躍している部がたくさんある。それらの部における青春の熱いドラマをこれからも、もっともっと体感したいものだと思った。

第17回 平成20年8月4日

本学ボクシング部の清水聡君(経営学部4年)が北京オリンピックの代表(フェザー級)に選ばれた。今回、日本人として出場することができるのは清水君を含めて2人だけだという。また個人競技での現役学生のオリンピック出場は本学開校以来初めての快挙であるという。すばらしいことだ。よき成果を期待したい。
暑い盛り、健康の管理も大変だろうと思う。食事の問題は言うまでもないが、新聞やテレビの報じるところによると、どうも北京の空気はよろしくないという。スモッグが中天を覆っていて、「北京晴天」などと言われたあの青空がなかなか見られないという。中国も新時代への変革の心意気に燃えているのだろうが、オリンピック当日は昔ながらの青空を見せてほしいものだ。
44年前(昭和39年)の東京オリンピックの折に、駒澤大学の体育館(現在、入学式などに使っている建物)を練習場にしていたソ連の女子バレーの選手が東京の空気は汚れていて眼に痛い、と言ったと事務局長をなさったH先生からお聞きしたことがあったが、あの頃、日本は高度成長に向ってまっしぐらに進んでいた。ともあれ、北京での日本選手たちの活躍を祈っている。

第16回 平成20年7月7日

通学路として午前中だけ開放されている北門を入ってくると、左手の八号館の手前に桜の大樹や椎の木のある空地を見る。あのあたりには四十年ほど以前に竹友寮という学生寮があった。僧籍のある学生を中心とした寮であり、筆者もその一人であったから、頭を丸坊主にして朝な夕な、坐禅をしたり、読経をしたりし、昼は聴講に大学本館に出かけて行った。椎の木はあの頃からあった。桜はさあどうであったか。あの頃、寮の学生に集団で映画のアルバイトの声がかかった。坊さん役はもちろんだが、とりわけ多かったのは兵隊役であった。丸坊主姿と栄養失調のような体が戦争末期の兵隊役に似合っていたからだ。

現在、テレビで木村拓哉が総理大臣役をやっている「CHANGE」が評判になっている。内容はともかく、そこに出てくる総理官邸と公邸とは四月のこの欄で触れた深沢キャンパスを利用して撮影している。大学も立派になったものだと思う反面、学生さんたちが大半の時間を過す本校キャンパスの環境は、まだまだだなあ、と感ずることも多く、当局や教職員や同窓生や教育後援会の皆さんの英知と力に支えられた改善を期待している。

第15回 平成20年6月5日

六月となりました。旧暦では水無月(みなづき)と言いますが、このところ雨が多く、もう梅雨に入った所もあるようです。五月下旬から教育懇談会も始まりました。教育後援会の役員の方々、ご出張ご苦労様です。筆者も学部の部長時代、あちらこちらを巡りました。ある所で面談の折、お見えになったお母さまが何と昔の教え子だったことに驚いたこともありました。それ以来、ご縁を深めています。教育後援会の役員の方々や事務局の皆さんとのお付き合いを深めたのも一緒に出張した折のことでした。

昨日は四年生の教育実習の参観ということで、都内の高等学校に行ってきました。「()の花の匂う垣根に時鳥(ほととぎす)早もきなきて忍音(しのびね)もらす夏は()ぬ」の歌を解説する「国語」の時間でしたが、生徒たちが「卯の花」を知らないのは仕方ないとしても、「夏は()ぬ」を「夏は()ぬ」と読んだのには少々驚き、「夏は(きぬ)です」と言った子がいたのには笑ってしまいました。樹々の緑も深まり、紫陽花の美しい季節となります。

みなさんのご健康とご活躍を祈ります。

第14回 平成20年5月2日

桜の花盛りが夢のようにもうあたりは新緑に包まれ、駒沢オリンピック公園の樹下を歩む学生さんもはや夏姿といった感じです。

講義の中で「目には青葉山ほととぎす初鰹(はつかつお)」という句の話をしたのですが、私たち年輩の者にはよく知られたこの句も、学生さんにはあまりなじみがなく、クラスの半数ほどは小首を(かし)げておりました。しかし、クラスのなかに「ほととぎす」の鳴き声を知っている学生さんもおりました。また「とりわけ土佐の初鰹はうまい」と、般若湯を(たしな)親爺(おやじ)さんのようなことを言って皆を笑わせた学生さんもおりました。授業のあと、何人かの学生さんと公園を歩きました。未来をいっぱい持った学生さんはなかなか棄てたものではありません。政治や経済について鋭い発言をする学生さんもいましたし、自然について豊かな感性を示す学生さんもおりました。お伝えしたいものがいろいろありましたが、残念ながら省筆します。5月17日には教育後援会の定期総会があって多くのご父母の皆さんが全国から集まられます。皆さんの対話や会話が豊かに実り、大会が充実したものになることを祈念しています。

第13回 平成20年4月3日

新年度を迎えました。学園は満開の桜の下に新入生を迎え、瑞々しい息吹(いぶき)にあふれています。新入生の御父母の皆様おめでとうございます。また教育後援会のお役に新たに就かれる皆様、御苦労様です。この一年、お導き、よろしくお願いいたします。

入学式の折、ゼミの昔の卒業生のSさんが今はお母さまになって、昔のSさんにそっくりな新入生のお嬢さんをつれてお顔を見せてくれました。Sさんが「花を踏んで十九の春のなつかしき」という昔、先生が言われた俳句を思い出します、と言ったので、遠い日のあれこれを思い出してつい笑ってしまいました。お母さまと同じように充実した学生生活を過ごしてほしいと念じ願ったことでした。

大学もずいぶん変わりましたね、というSさんの言葉に誘われて、深沢校舎のすばらしい庭園に案内しました。Mデパートの迎賓館だった頃にはなかなか入れませんでしたが、今は大学のものとなり、春の花盛りを堪能できます。築山の上に桜のしだれている風情は天下一品です。まだ行かれたことのない御方はぜひ一度御覧になって下さい。四月八日まで公開中です。(十時から十六時まで)

第12回 平成20年3月3日

三月になってあちらこちらから花だよりを聞く頃となりました。駒沢オリンピック公園の桜の芽もだいぶふくらんできました。卒業式の頃になると釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫)の
 桜の花ちりぢりにしもわかれ行く 遠きひとりと君もなりなむ
という歌を誦し、卒業して行ったあれこれの顔を思い浮かべ、どうしているのかなあ、などと思ったりしています。別れもいろいろありますが、またよき出会いもありました。三月一日、教育後援会の福岡県支部の設立一周年記念の集いが北九州市であり、筆者も講演の講師ということで、遠い千年前の「源氏物語」の話をしてきました。懇親会では楽しく、あたたかい時間を過してきました。支部長の渡辺隆子さん御夫妻をはじめ副支部長の松田信高さん御夫妻、お手伝いいただいた御父母の皆さんたちの御尽力と細やかな御心づかいに感謝しつつ、一つの組織を作りあげていく御苦労も実感しました。東京からお見えになった副会長の谷山さんや 砂金(いさご)さん、大学の学生部の松本さん、いろいろ御苦労さまでした。同窓会福岡県支部の村田理事さん、林事務局長さんたちの御心づかいにも感謝しています。

「愛語」を執筆して一年が過ぎ、いっぱい楽しい思い出をいただきました。有難うございました。

第11回 平成20年2月1日

いつのまにやら二月となり、四日ははや立春である。しかし、この冬はいつになく寒気が厳しかった。「春は名のみの風の寒さよ」と歌いだされる唱歌『早春賦』の歌詞を思い起こさせるようなこの頃である。卒業生からの年賀状に返信を認めていると、中に北アルプスの雪を戴いた山嶺を版画にして賀状としたH君の一通があった。

思い返してみると、信州でのゼミの合宿の最終日、H君たちと穂高近郊を自転車で巡ったことがあった。季節は夏の終りであったが、近くの河原の堤にある『早春賦』の碑の前で、安曇野(あずみの)を故郷とするH君がこの歌を上手に歌ってくれた。そんなことを今ふっと思い出す。長距離ランナーでもあった彼は正月の駅伝の優勝をさぞや喜こんだことであろうなどと思いつつ、返信を認めた。

学生と教師との打算のない語らいの時間は珠玉の如く輝いて互の心の中にいつまでも残っていくのではないか。駒澤大学に何十年も勤めて、私が一番有難く思うことは、学生諸君とのこういう豊かな時間をたくさん持ち得たことだと時々思っている。

第10回 平成20年1月2日

明けましておめでとうございます。いつもならば、月末に記すはずのこの小文を、正月になって記しています。もちろん、箱根駅伝の選手諸君の活躍ぶりに一喜一憂しながらです。
晴れ渡った青空の下、あざやかな富士の姿を仰ぎ見ながら、選手諸君は精魂込めて走っています。大いなる成果を期待しています。

大学の授業は12月で終りましたが、学生の皆さんは定期試験やリポート提出などもあって、一年の成果を出さなければなりません。文学部の4年生には卒論試問という大事がありますから、その準備を怠るわけにはいきません。学生の皆さんには卒業資格の取得に関わる時期なのです。試験の時期で大変なのは教職員の皆さんも同様で、1月19、20日の大学入試センター試験の監督や事務作業、2月に入っての連日の入学試験の採点や監督や構内整理など、など、種々の試験業務が続きます。寒さも募り、風邪もはやっています。皆さん、健康には充分に留意してください。可愛いわが子の健康には一層留意されて、学年末の成果があがるよう御配慮をお願いします。新しき年がよきひととせであることを祈念いたします。

第9回 平成19年12月1日

この春卒業した学生の父母の方から来春の賀状にはあの良寛の詩を使わせてもらいますと言ってきた。良寛の詩というのは「花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ」という無題の詩の一部で、数年前、私自身、良寛さんから借用して賀状に(したた)めたものであった。年末の慌しい時節になって、文字通り「師走」のふるまいをしていると、ふっと曹洞宗門の先達である良寛の心境が、及ぶことではないと知りながら、思い出される。
何十年も昔の冬のさなか、知人の老僧につれられて雪の永平寺を訪れ、参禅したことがある。
道元は「山居(さんきょ)十五首」という偈頌(げじゅ)の中で「久しく人間(じんかん)に在って愛惜(あいせき)なし。文章筆硯(ひっけん)すでに(なげう)()たる」と言ったが、摂関家の文雅の血をうけた道元の心が、この雪景色に動かされなかったはずはあるまい、と若かった筆者は思った。

慌しい年末となり、学年末の作業や行事にあたふたしているが、一日に一度は、良寛のような思いになってみたいものだ、と願っている。


偈頌(げじゅ)=韻文の形で、仏徳を賛嘆したり、仏教の真理を詩の形で述べたもの

第8回 平成19年11月1日

関係する「短歌」結社の集いが奈良であり、講話を頼まれていたので、久しぶりに晩秋の古都に赴いた。私の話に先立って天理大学の雅楽部の公演があった。「源氏物語」に関係する舞楽や歌謡の公演をこの数年やっているというので、その日もそんな演目であった。

日頃、宮内庁の雅楽部などの公演を国立の小劇場などで楽しむのを慣いとしているので、若い学生の演奏はどんなものかな、とやや案じる気持があったのだが、予想に反してまことに見事な演舞や朗詠を体感することとなった。
凛々(りり)しい二人の青年が唐風のあでやかな衣裳を身に(まと)って舞う「青海波(せいがいは)」はすばらしく、「催馬楽(さいばら)」という平安朝の歌謡を歌う青年たちの朗詠の声はまさに朗々と響いて感動的で、(しょう)篳篥(ひちりき)は力強く鳴りわたり、雅楽は年よりの楽しみだ、などという俗説を見事に吹き飛ばしたのであった。
そういえば光源氏が「青海波」を舞って、見物の衆人をかつてない感動に(いざな)ったのは光源氏十八歳の秋のことであった。

第7回 平成19年10月1日

九月の中旬、北九州市で第六十一回全日本学生体操競技大会が催されたので、選手・部員の皆さんや関係する諸先生方と一緒に出かけて行った。
一部昇格は残念ながらならなかったが、選手の皆さんの活躍ぶりは清々しく、その一挙手一投足に一喜一憂しながら時の過ぎるのも忘れて声援を送った。
日頃の習練の成果を披瀝し、正々堂々と競いあう選手の皆さんの姿を見ていると、私たちの身も心も熱くなった。選手の皆さんのみならず部員の皆さんにとっても貴重な一瞬一瞬であり、人生の一番輝いている時の、まさに確かな思い出となって残るに違いない、すばらしい時間であったと思う。

会場には父母や卒業生の方々も見え、また教育後援会福岡支部の支部長渡辺隆子さんやご主人の幸弘さんたちも見え、声援を送ってくださるばかりでなく、茶菓子の差し入れまでしてくださったのには有難くも思い、恐縮にも思ったことであった。
大学は学生の皆さんの努力によって輝く。と同時に父母の方々や同窓生の尽力によって豊かに色づく。それを実感した北九州行であった。

第6回 平成19年9月1日

夕方、買物の帰り道、公園の木立の中に「かなかな」の()() を聞いた。何となくもの哀しく聞えるのは「かなかな」の啼く頃になると、夏が去って行くのを少年の頃からの習慣で感じ取っているからであろうか。

秋の到来をいちはやく告げる法師蝉もほどく啼き始める。夜、耳をすますと小庭の草むらの中にはもう虫の音も聞える。遠い平安朝の歌人は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(『古今集』秋歌)と歌った。

「風の音」に秋の訪れを感じたという歌である。ドイツからやって来た文学研究家の知人にこの歌の感想を聴くと、ドイツの風土に育っても、この歌人の感覚は判る、と言った。
しかし、重ねて尋ねてみた「虫の声」に関しては、雑音にしか聞えない、蝉の啼き声も日本に来て始めて聞きました、やはり雑音にしか聞えません、と率直に答えた。
このことから逆に筆者は、この国の風土の中で育まれた人々の感性や感覚の豊かさや繊細さに自ずと気づかせられる。
とりわけ古人にとっては秋は感性、感覚の実験場であった。
秋の訪れを、さあ皆さんは、どんな風に感じるのだろうか。

第5回 平成19年8月1日

八月というと、筆者のように少年時代を山梨の田舎の寺の子として過ごした者にとってはやはり盆の行事のあれこれがなつかしく思い出される。
ふるさとに帰ってきた先祖の御霊を送り返すのだと言って灯をとぼした小船や供物を川に流した、そんな精霊流(しょうりょうなが)しの光景を今でもこの季節になると思い出す。

甲斐の武田を軸とした物語ということなので、NHKテレビの「風林火山」を時々見る。毎々、戦の場面が展開して、切ったり、切られたり、射たり、打ったり、大変な慌しさであるが、戦後六十数年、人を切ったことも、銃をもったことも、戦場を踏んだこともなく、仏壇に手をあわせ、心やさしく精霊流しをする多くのこの国の人たちが「どうして、戦の物語を好むのですか?」と、これは先日、語学の外国人教師に問われたことである。皆さんのお考えをいつか聞かせて下さい。
人気のある主人公山本勘助役の御方は横浜の曹洞宗寺院のご子息で、父君が先年亡くなられたので、本来は跡継ぎなのだが、かくの如き仕事の状況ではそれもできない。
大学の祝賀会などに折々駆けつける、小生の同窓生の叔父君が、つまりは跡を守っているということだ。これは裏話。

第4回 平成19年7月1日

国家の品格とか女性の品格とかが問われる時代になり、その種の本も出版されている。たまたま『女性の品格』(PHP新書/坂東 眞理子著 昭和女子大学学長)を(ひもと)いていると、終りの方に 『修証義』(しゅしょうぎ)という曹洞宗の檀信徒には親しい書物の中の、「愛語」の項が引用されていた。
この言葉については四月の本欄で触れたが、その慈しみの心が女性の品格を高める大事な要素として採りあげられていた。もとより女性に関わらない。政治も経済も教育も福祉も「愛語」の心がなくては人間の世界ではなくなってしまう。
政界や経済界に珍妙な怪獣が跋扈(ばっこ)しているらしいのは「愛語」の心が慌しさにかまけて稀薄になっているからではないのか。そんなことを思って、久しぶりに『修証義』を(ひら)いてみた。

学生の皆さんに配布する「学生生活ガイドブック」にもちゃんと載っている。
その第四章に「愛語」についての道元の言葉が記されている。難しい言葉が連なっていて理解は容易ではないが、例えば心静かな朝のひととき、『修証義』の字句、文言を辿ってみるのもいいのではないか。暑熱の折から涼やかな風が心のうちを渡ることもあるのではないか、などと思ったことであった。

第3回 平成19年6月1日

5月17日、「はしか」(麻疹)の感染、流行の恐れがあるということで大学は休講となった。図書館をはじめとする施設がしばらく使えなくなったので、勉学やサークル活動に色々と支障が生じた。授業に関しては7月下旬、9月初旬に補講をすることになったが、学生諸君はもとより父母の皆さんにとっても御心痛の多いことであった。一日もはやい病いの終熄を願っている。

5月下旬、学会があって上洛したついでに国立博物館で催されていた「藤原道長」展を見た。信仰心の(あつ)かった道長がみずから書写した法華経を金銅の経筒(きょうづつ)に納め、大和の金峯山(きんぷせん)に埋め、弥勒(みろく)の世に現れるという未来に向けて経巻を残そうとしたのが西暦1007年、つまりちょうど千年前のことであったというので、それを記念しての催しであった。栄耀(えいよう)栄華を極めた道長がみずからの病いと時代の不安ゆえに仏教の信仰を深めていったことがよく判る催しであった。このたびの全学休講という予想外の出来事が学生諸君の心を深める契機になってくれれば、と願ったことであった。

第2回 平成19年5月1日

「桜新町」の駅近くに長谷川町子美術館がある。
大学から歩いても二十分ほどなので筆者は時おり訪れて展示されている名画やサザエさん関係の催しものを楽しむ。
町子さんは『平家物語』が大好きで水原 (はじめ)名誉教授の文化講座や大学の講義などにもお顔を見せていた。
漫画の中にもそのことを描いている。
薩摩守忠度(さつまのかみ ただのり)の「行き暮れて()の下かげを宿(やど)とせば花は今宵(こよい)(あるじ)ならまし」という歌が 大好きだとも記している。
町子さんは生前、院展の松村公嗣(こうじ)画伯の画が好きで集めておられた。
姉君も大好きで画伯の大作の「どんど(焼き)」も購入され、この春にも展示されたので、早速に見に行った。 教育後援会がその五十周年を記念する事業の一環として画伯の牡丹の大作を二点このたび購入され、大学に寄贈(中央講堂に飾られた)されたことは駒澤大学人の一人としてとてもうれしい。
寂光土(じゃっこうど)の町子さんも喜ばれるであろうし、松村画伯の恩師の片岡球子画伯も大いに喜ばれることであろう。

第1回 平成19年4月1日

慈しみの心をもって、思いやりのある言葉をかけること、それを「愛語」というのだと道元禅師は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中で言われました。
その言葉を私は仏教学部のS先生から新入生の頃に教えていただきました。今の八号館のあたりにあった竹友寮(ちくゆうりょう)の朝課の時間にはじめて聞いた言葉でありましたが、仏教というものの根本の教えがその言葉には籠められているのではないかと、仏教の理屈など何も判らないままに、若かった私は感じておりました。
あの頃、寮の西側には雑木林が広がっており、朝の光の中に鳥たちののどかに歌う声も聞こえ、路面を行く玉電の音も折々聞こえていました。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」という道元の歌の雰囲気もよく判る気がしました。人を慈しむ心は、四季の移ろいを豊かに感受する心と深く響きあっているのではないかと私は思いました。「愛語」という言葉から、東京オリンピック前の一時期を思い起こし、記しました。


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