萩原 義雄 識

春を感じさせる桜花が日本列島を北上して、愈々、青森弘前を越えて北海道全域に到達する。そして、人もその美しき花々に魅了されてか、北の大地へと陸・空を問わず旅行する邦人。海外からの観光客の数も自ずから多くなっていることに氣づかされる。
東京駅は、当に西に東に通過する人々の交錯する重要な拠点として、此の先も宇宙規模の大きな新交通アクセス方法に変換されない限りは、人に優しい緻密な構造物が連立されていくと思えてならない。
 日本の衣食住文化は、人知れず支えられてきていて、誰もが知らないでもその仕掛けの技法や技術が優れているのであれば、きっと何時かはひのめを見る「陰翳礼賛」そのものかと観じないわけにはいかない。
 譬えて云えば、世阿弥の説いた「幽玄」なる用語も、能楽という専門分野のなかで、ほそぼそと培われてきていても、一般の人のなかでは誰もが口にするものでもない、相当な文化人でも知られることのなかった。此の能楽論における真髄に足を運んだ邦人が誰とは言わぬが廿世紀初頭を契機に広がりを見せていくことになった。平安時代の延喜五年勅撰『古今集』に「新」の字を添えた『新古今和歌集』編纂後の取扱いにはじまり、此も今川了俊『言塵集』〔一四〇六(応永一三)年成る〕の序で説くように、

一 新古今集は後鳥羽院の勅にて五人えらばれしかども、大かたは勅のおもむきの有けるにや、あまりに花に過たると云後代の難有けるとかや。〔松平文庫蔵〕

として、「花に過(すぎ)たり」と云う口傳が深層にあった。此れも時を費やし、江戸時代の国学者本居宣長『あしわけ小舟』〔一七五八(宝暦八)年頃成る〕、その宣長門下の石原正明『尾張廼医家苞(をわりいのいへづと)』〔一八一九(文政二)年刊〕の

詞のうへに心をのこして、余韻を深くこめ、一首のつゞけさま幽玄にして、あらはに淺まなるところなく、なさけをふかうし、語勢をいたはり、たけ高くも、しめやかにも、つよくも、やはらかにも、百般の姿あり。

となる評価にも通じている。
『大日本地名辞書』で知られる吉田東伍博士は、『世阿弥十六部集』の発見者としても知られ、ある種の価値の転換が生じたきっかけとなっている。
人の文化志向がどのように培われ、花を開き、やがて実を結ぶ。たとえい実を結ばぬとも、その花が開ききった事象は、記憶の陰翳になって継承される。そのはじまりとおわりは、世代を超えた継承が生み出すのであろう。
 今、ここで暮らし、ここで知り得た「ものごと」をじっくりと醸成して、佳き香り、佳き味わいをここに再び表出する「ものごと」を美学なる世界に誘う道標になればと思う。

2025/04/12 神田川の桜花散り「花筏」へ訪う〔筆写撮影〕

「美学」に誘う ─満開の桜花のもとに人が集い、やがて閑かに花々は散り、人知れず川面を漂いつつ、花筏を造形する─
此れを「幽玄」ということばで表象するとき、国語辞書では、どう記述するのだろうかとこのことばを繙いてみる。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ゆう- げん[イウ‥]【幽玄】〔名〕(形動)(「幽」は、かすか・ほのか、また、奥深い意。「玄」は、深遠な道理の意。物事の奥にひそんでいる、容易に知り難い微妙で神秘的な境地をさしていう)(1)物事のおもむきが深く、人知でははかり知ることができないこと。奥深く深遠ではかり知れないこと。また、そのさま。古く中国では、幽冥の国をさし、のちには老子・荘子などが説いた哲理や仏教のさとりの境地が深遠、微妙であることをさしていった。*古今和歌集〔九〇五(延喜五)~九一四(延喜一四)〕真名序「至難波津之什献天皇、富緒川之篇報太子、或事関神異、或興入幽玄*中右記-永長元年〔一〇九六(永長元)〕五月三日「左少辨不期而来会、語渉倭漢、興入幽玄、已及暁更帰家」*本朝無題詩〔一一六二(応保二)~六四頃〕八・冬日遊長楽寺〈藤原敦宗〉「談僧漸識幽玄理、不恨人間官祿微」*右〔一一九二(建久三)〕「只覓風情之絶妙。可露詞之幽玄歟」*古事談〔一二一二(建暦二)~一五頃〕五・清盛奉仕厳島事「日本国之大日如来は伊勢大神宮と安芸之厳嶋也。太神宮はあまり幽玄也。汝適為国司、早可仕厳嶋云々」*一心金剛戒体決〔南北朝頃〕五「得諸法幽玄之妙、証金剛不壊之戒」*サントスの御作業〔一五九一(天正一九)〕一・サンマチヤス「コノダウリアマリニジンジンyu<guen(ユウゲン)ナルガユエニ」*和蘭天説〔一七九五(寛政七)〕凡例「凡天中の文(あやとり)にして、窮理を推究んと欲ると雖、広大幽玄(ユウゲン)にして尽こと不能」*後漢書-何皇后紀「逆臣見迫兮命不延、逝将汝兮適幽玄」*駱賓王-蛍火賦「委性命兮幽玄、任物理兮推遷」*臨済録「仏法幽玄。解得可可地」(2)ほのかではっきりしないこと。よくわからないこと。未知であるさま。*百練抄- 治承四年〔一一八〇(治承四)〕九月二二日「承平天慶之例幽玄之間、今度就嘉承例行也」*後法興院記-文正元年〔一四六六(文正元)〕一〇月二一日「大甞会延十二月并翌年可被行之哉否事、雖為幽玄有其例之上者、当年中可被遂行条、不可有予儀候」*親長卿記-文明五年〔一四七三(文明五)〕三月一七日「永享例幽玄、重被尋仰之処、両三箇度例注進、〈略〉雖有永享一度例、於其身者可立申所存、結句重勘申数度例」*十輪院内府記-文明一八年〔一四八六(文明一八)〕六月一七日「中古以来無蹤跡。天長・弘仁之例幽玄也」*宣胤卿記-文亀元年〔一五〇一(文亀元)〕一二月二二日「於例者雖幽玄之所見候、此段者可勅定候歟。服以後遂着陣吉書候通法歟」(3)あじわいが深いこと。情趣に富んで、おもむきがあること。また、そのさま。*吾妻鏡-文治二年〔一一八六(文治二)〕四月八日「寄外之風情、謝中之露胆尤可幽玄」*古事談〔一二一二(建暦二)~一五頃〕六・雅実舞胡飲酒事「天性無骨者候之間、幽玄之所をえ舞候はぬなり」*徒然草〔一三三一(元弘一/元徳三)頃〕一二二「詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の世にはこれをもちて世を治むる事、漸くおろかなるに似たり」(4)上品でやさしいこと。優雅でやさしく、上品な美しさを備えていること。また、そのさま。*愚管抄〔一二二〇(承久二)〕四・後三条「内裏の御ことは幽玄にてやさやさとのみ思ひならへる人の云なるべし」*今物語〔一二三九(延応元)頃〕「松嶋の上人といふ人有けり。修行者のあはむとてゆきたりけるに、幽玄なる僧の出あひたりければ、いと思はずに覚えて」*連理秘抄〔一三四九(正平四/貞和五)〕「幽玄の景物を荒蕪の詞にてけがす事、尤もいたましき事なり」*明徳記〔一三九二(元中九/明徳三)~九三頃か〕中「仁体心ざま幽玄にましましければ」*俳諧・初懐紙評註〔一六八六(貞享三)〕「元朝の日のはなやかにさし出て、長閑に幽玄なる気色を、鶴の歩みにかけて言つらね侍る」(5)奥深く静かであること。また、そのさま。閑静。*古事談〔一二一二(建暦二)~一五頃〕三・浄蔵飛鉢天童取之事「松風すごく響て砌に苔深し。幽玄の所也」*一言芳談〔一二九七(永仁五)~一三五〇(正平五/観応元)頃〕上「然を幽玄(ユウゲン)なる楼にうそぶきたるばかりをもて、〈略〉独住の人おほくは、僻事にしなす也」(6)日本の文学論・歌論の理念の一つ。(1)の深遠ではかり知れない意を転用したもので、特に、中古から中世にかけて、詩歌や連歌などの表現に求められた美的理念を表わす語。「もののあわれ」の理念を発展させたもので、はじめは、詩歌の余情のあり方の一つとして考えられ、世俗をはなれた神秘的な奥深さを言外に感じさせるような静寂な美しさをさしたものと思われる。その後、一つの芸術理念として、また、和歌の批評用語として種々の解釈を生み、優艷を基調とした、情趣の象徴的な美しさを意味したり、「艷」や「優美」「あわれ」などの種々の美を調和させた美しさをさすと考えられたりした。また、艷を去った、静寂で枯淡な美しさをさすとする考えもあり、能楽などを経て、江戸時代の芭蕉の理念である「さび」へと展開していった。*忠岑十体〔一一C初頃か〕「此体、詞雖凡流義入幽玄、諸歌之為上科也」*作文大体〔一一〇八(天仁元)頃か〕「余情幽玄体花寒蘭菊照藂題。菅三品詩云、蘭蕙苑嵐摧紫後、蓬莱洞月照霜中此等誠幽玄体也」*長承三年中宮亮顕輔歌合〔一一三四(長承三)〕「左新中納言見渡せばもみぢにけらし露霜に誰すむ宿のつま梨の木ぞ〈略〉左歌、詞雖古質之体、義似幽玄之境」*本朝続文粋〔一一四二~五五頃〕一一・柿下人麿画讚〈藤原敦光〉「方今為幽玄之古篇、聊伝後素之新様」*加持井御文庫本御裳濯河歌合〔一一八九(文治五)頃〕「心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮鴫立つ沢のといへる、心幽玄に姿及びがたし」*慈鎮和尚自歌合〔一一九八(建久九)~九九頃〕「もとより詠歌といひて、ただよみあげたるにも、打詠じたるにも、なにとなくえんにも、幽玄にもきこゆることのあるべし」*無名抄〔一二一一(建暦元)頃〕「歌のさま世々によみ古されにける事を知りて、更に古風に帰りて幽玄の体を学ぶ事のいで来る也」*亀山殿五首御歌合〔一二六五(文永二)〕一二番・判詞「老てすむ嵯峨のの草のかり庵にいく秋なれぬさをしかの声〈略〉老てすむ嵯峨野、作者誰人哉、殊心幽玄之由さたありて」*風姿花伝〔一四〇〇(応永七)~〇二頃〕序「言葉卑しからずして、姿ゆうげんならんを、うけたる達人とは申べき哉」*花鏡〔一四二四(応永三一)〕幽玄之入□事「公家の、たたずまひの位高く、人望余に変れる御有様、是、ゆふげんなる位と申べきやらん」*正徹物語〔一四四八(文安五)~五〇頃〕下「幽玄と云ふ物は、心に有りて詞にいはれぬもの也。月に薄雲のおほひたるや、山の紅葉に秋の霧のかかれる風情を幽玄の姿とする也」*心敬僧都庭訓〔一四八八(長享二)〕「心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても、草木の露をながめても、此世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひをやさしく、幽玄に心をとめよ」【発音】ユーゲン〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・下学・文明・明応・易林・日葡・書言・言海【表記】【幽玄】色葉・下学・文明・明応・易林・書言・言海