萩原 義雄 記

今年の春は、些か違う花の便り運び続けてきた。南西から東北へ向かう花便りが東が先で南西の鹿児島が後追いで花の便りを運んだ。愈々初夏の風物である躑躅花、藤の花と移り行くときを迎えようとしている。そんな一刻を楽しもうと京都へ足を運んだ。

今回のお目当ては北村美術館、北村謹次郎氏が一代で造り上げた造形美術庭園「四君子苑」へ歩を進めた。程好い晝の午後の時刻でもあった。ここは、駒澤大学の深沢キャンパスの日本館と庭園に関わった吉田五十六さんの設計が施された場所でもあり、於是は、もう一つ開祖道元禅師さまが中国から帰国したあと無き母の供養にと造型した「宝篋印塔」(「鶴の塔」と人々は言い伝えてきた久我家菩提寺妙真寺にあったものを此の地に移築)した重要文化財が庭の巨椋の傍らにあると云う地でもある。「四君子」とは、「菊(キク)」(高貴)「竹(たけ)」(剛直)「梅(むめ)」(清冽)「闌(ラン)」(芳香)の花の名前の頭文字をいただき、「キタムラ」とご自身の御名を表現した当に風流人士でもある。見所は門を潜って、真黒石、竹の垣、珍散庵と三味の音曲が聞こえてきそうな茶室などあちらこちらに名品揃いなのあるのであるが、吾人には、上記の「宝篋印塔」にしか頭になかったのである。
122_aまだ、桜花がそのよすがを留める賀茂川の堰堤をずっと想い描きながら歩いてきた。和服を纏った女性が一際古都の風情をひきたてている。こうした目を奪う幾つかのものには目もくれずと云いたいのだが、ここに到着し、木村さんという聡明な学芸員さんの解説案内を聞きながら、お目当ての場所に到達した。この「宝篋印塔」には、迦楼羅(金翅鳥)という鳥が彫られていて、この鳥を知らない人は「鶴の塔」と呼びなしてきた。パンフレットの解説には「梟」と書かれたりもする。

 

122_b道元さまがこの造物を大陸で見て、亡き母君の供養として彫らせたのであろうと感慨深い思いで暫し眺めてきたのである。今月のお話しは、この「宝篋印塔」を駒澤大学にもレプリカで良いから据えてみたいと心の奥底で思いながら、帰途の新幹線に乗った顚末をここに認めた次第である。

 

 

宝篋印塔(鶴の塔)

宝篋印塔(鶴の塔)

迦楼羅鳥『仮名書き法華経』に「迦楼羅声(かるらしやう)」〔妙一本・法師功徳品一〇一八頁二行目〕とあって、想像上の鳥。