萩原 義雄 記

鴨脚樹の黄葉が道一面に落ちる冬の季節が今年も巡ってきた。そして、寒い夜には具だくさんの鍋物が心身ともに温かみを感じさせてくれる。吾人も何十年来ずっとそうであることに一言書触れておくと、書籍やパソコンなどを運ぶ鞄は肩に背負うタイプを愛用してきた。両方の手が空いているのが利便性であり、通勤する自転車で万が一転んだときでも、背中の鞄が身を守ってくれたりもする。そして、教室に講義でやってくる学生たちの鞄について觀察していると、肩に背負うリュックサック型の鞄が急激に増えていることにことに氣づく。その鞄自体、皆々個性的でカラフルなものばかりで、その実用性もグレード・アップしている。
時代の進化に併せて重い荷物が軽くなると思っていたのだが、どうも其の中身は決して軽くはなっていないのだ。結構重い。
『エソポの物語』に、奴隷であったエソポが主人の旅に荷物を運ぶとき、彼が率先して重い食品材料を自ら運ぶことを選んだ。やがて、食糧は日々の調理として使われ、重い荷物は次第に軽い荷物へと変化し、旅の終わりの頃には何も背負わずの道行きとなったという。

荷物を運ぶ軽便な容れ物である「かばん」

とは言え、現在のように「かばん【鞄】」なる物が日本で用いられて、たかだか110年くらいに過ぎない。大槻文彦編『言海』に、

カバン(名)〔洋語ナラム、詳ナラズ〕手提ノ革袋ノ名、近年、西洋ヨリ入ル。
出典:『稿本日本辞書言海』(第一巻)411頁 宮城県図書館蔵手稿の複製(大修館書店)

なんと、草稿では漢字による「鞄」の説明はなされていない。しかも、私本では「手提の革袋の名」というまだ大槻自身曖昧な認識だったことがこの意味説明から判明する。「革、布製で包んで作る入れ物、近年、西洋より入り、専ら旅行用」という、かなり具体的な洋品の認識からすれば、大いに異なった持ち運びの運び道具を想定してしまうことにもなろう。
現在の吾人達は、愛用の「鞄」を提げて、思い思いの物を詰めて、大学に通う。そうした、不斷から見馴れている「鞄」を只管眺めてみることにした。学生に「重そうだね」と聞くと、「バックですか?」と問い返された。「バッグ」という英語表現のことばが馴染みの語となっているようだ。あなたは、バッグ派?かばん派?……。と言われると吾人はカバン派となる。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
かばん【鞄】〔名〕(ふみばさみの意の中国語「夾板」の日本読み「きゃばん」または、櫃(ひつ)の意の中国語「夾槾」の日本読み「きゃばん」「きゃまん」から出た語。「鞄」は元来、なめし皮、また、それを作る職人の意。明治期に「かばん」をあてたもの)皮またはズックなどで作り、中に物を入れる携帯用具。もとは今のトランクのような形のものをさしたが、現在では通勤通学などに用いる手軽なものをいう。*新潟新聞‐明治一〇年〔一八七七(明治一〇)〕四月七日「是を以て今カバンの中を掻探し、反古にひとしき鼻紙の皺を展べ」*雪中梅〔一八八六(明治一九)〕〈末広鉄腸〉下・一「人足一人(いちにん)を雇ひ、之れに革手提(カバン)と毛布(けっと)包みを担はせて案内者となし」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)〜〇一〕〈徳富蘆花〉三・一二「伯母は荷造りをした鞄(カバン)の傍(わき)に座って」*風俗画報‐三四四号〔一九〇六(明治三九)〕横浜より父島まで「毛織物も虫害を受け易き故に締りよき革包(カバン)か左もなくば和製支那革包(カバン)等を携帯すべし」【語誌】幕末・明治初期の対訳辞書等における訳語には見あたらず、明治一〇年頃までの小説等には「胴乱」という語がこの意で使われていた。「かばん」は、一〇年代から二〇年代にかけて急速に定着していく。当て字に初めは「革手提」「革袋」「革包」が使われていたが、明治二二年の大槻文彦の「言海」に初めて「鞄」の字が当てられる。【発音】〈なまり〉ガッパン〔岩手・秋田〕ガバ〔福島〕ガバン〔青森・岩手・仙台音韻・仙台方言・秋田・福島・栃木・埼玉・埼玉方言〕カパン〔長崎〕カボン〔紀州・和歌山県〕ガンバ〔津軽語彙〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】言海【表記】
【鞄】言海
バッグ〔名〕({英}bag )《バック》携帯用の袋やかばん。ハンドバッグ、ショルダーバッグ、ボストンバッグなど。特にハンドバッグをさすことが多い。*舶来語便覧〔一九一二(大正元)〕〈棚橋一郎・鈴木誠一〉「バッグBag (英)袋、嚢を云ふ」*読書放浪〔一九三三(昭和八)〕〈内田魯庵〉万年筆の過去、現在及び未来・万年筆時代「手提げのバック、折鞄、乃至帯の間、袂の中或は婦人のオペラ・バックの中に必ず万年筆が見出さるるだらう」*生活の探求〔一九三七(昭和一二)〜三八〕〈島木健作〉一・五「風呂敷包やバッグなどは持たず」【発音】〈標ア〉[バ]〈京ア〉[バ]

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