萩原 義雄 識

白川静『字通』に、「さかひ【堺】」の字について繙くと、
【古辞書の訓】
①〔名義抄〕堺 サカヒ・サカフ・ケ
②〔立〕堺 サカヒ・ケ・カト
〔日本書紀、景行紀〕に「封堺」の語がある。
【同訓異字】
さかい 冂 区(區)界 限 封 畛 埒 圏(圈)畤 部 堺 疆 境(竟)際 疇
とその様相がつかめてくる。
そう、此の字は、物事の境目を分別するときに和語「さかひ」といい、元は動詞の「さか・ふ」が名詞化した語表現として用いられてきている。漢字表記するには、「堺」と「境」の文字が人々に多く用いれてきた。人は己れの居るところを基準にして、己れ自身がこれ已上及ばない終竟の地点を見極めて「さかひ」を設けてきた。これを超えて拡大侵略していくと、 歪(ゆが)みや 歪(ひず)みが生じてくる。これが大事になれば、いくさに発展してしまうからだ。日本神話の『古事記』〔七一二(和銅五)〕中巻に、

亦国々の堺(さかひ) 、又大県(おほあがた)小県の県主(あがたぬし)を定め賜ひき。

とその語を漢字記載で示す。当に表意字にして邦人は「さかひ」と読んだ。この単漢字は地名、人名(苗字)に用いられ、もう一つの「境」字と並び用いられてきた。その語例も国史『日本書紀』〔七二〇(養老四)〕神代上巻(兼方本訓)に、

夫(そ)れ父母(かそいろはのみこと)、既に諸(もろもろ)の子(みこたち)に任(ことよ)させたまひて、各其の境(サカヒ)を有(たも)たしむ

と記載してきた。こんなこともあって、「堺」と「境」の単漢字の表記用法について嘗て講義の資料にと調査したことがある。
川端康成の小説『雪国』の書き出しを「国境」と漢字表記していて、後に川端自身、手書き『雪國抄』を遺す。ここでも和語「くにざかひ」と訓むか、字音「コッキョウ」と訓むかという論を紹介した。そして、『古事記』に「國堺」、『日本書紀』に「國堺」と「國境」の両用が確認された。訓みは「くにのさかひ」と助詞「の」を添えている。
漢字研究者で早稲田大学教授笹原宏之さんがこう云う。「姓や芸名、地名、社名としてさまざまなメディアに乗り、日本史でも習うものの、地域によって使用頻度と接触頻度に差が出ていて、方言漢字性を帯びていそう。以前、大阪出身の学生が、「境目」をこの字で「堺目」と書いてきて、さすが!と感心(心配)してしまいました。」とコメントしていたので茲に紹介しておく。
実際、明治時代のヘボン著『和英語林集成』には、「堺目」の見出漢字表記があり、柳田国男も、『木綿以前の事』のなかで、
○私はそれをごく普通の日本人の家について、考えてみようとするのであるが、その前に言って置きたいことは、それと嫁、すなわちオカタ候補者の堺目(さかいめ)が追々とぼんやりして来たことである。
今も概して関西出身者の表記として生き続けているのかもしれない。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
さかい[さかひ]【境・界】〔名〕(動詞「さかう(境)」の連用形の名詞化)(1)土地と土地との区切り。国と国、領地と領地などの相接するところ。境界。*古事記〔七一二(和銅五)〕中「亦国々の堺(さかひ)、又大県(おほあがた)小県の県主(あがたぬし)を定め賜ひき」
*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「心の闇はいとど惑ひぬべく侍れば、さかひまでだに、と聞えて」*山家集〔一二C後〕上「山賤の片岡かけてしむる庵のさかひに見ゆる玉の小柳」*中華若木詩抄〔一五二〇(永正一七)頃〕上「辺人と云は、辺は胡と漢のさかい也」*小学読本〔一八七四〕〈榊原・那珂・稲垣〉五「或時松原通東ノ洞院の角屋舗両隣より境を争ひて官に訴へたるに」(2)境界の内側。地域。場所。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕神代上(兼方本訓)「夫(そ)れ父母(かそいろはのみこと)、既に諸(もろもろ)の子(みこたち)に任(ことよ)させたまひて、各其の境(サカヒ)を有(たも)たしむ」*常陸風土記〔七一七~七二四(神亀元)頃〕総記「それ常陸の国は、堺(さかひ)は是広大(ひろ)く、地(くに)も亦(また)緬邈(はろか)にして」万葉集〔八C後〕五・八九四「勅旨(おほみこと)〈反云二大命一〉戴き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境(さかひ)に 遣はされ〈山上憶良〉」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「住吉の神近きさかひをしづめ守り給ふ」(3)(時間的な事や抽象的な事などについて)物事の区切り。境目。*貫之集〔九四五(天慶八)頃〕二「ふる雪をそらにぬさとぞたむけける春のさかゐに年のくるれば」*名語記〔一二七五(建治元)〕八「勝負の堺也」*新撰菟玖波集〔一四九五(明応四)〕覉旅下「法の道にはさかひありけり たび人の舟ひきすつるとほひがた〈政郷〉」*浮世草子・新可笑記〔一六八八(元禄元)〕四・四「男女のさかひなければ愛欲の心なし。雑言なければ闘諍(とうじゃう)のおそれなし」*湯葉〔一九六〇(昭和三五)〕〈芝木好子〉「そのときを境に吉衛は自分の姓の『美濃』を店の名にして神田へ移った」(4)境涯。境遇。*平松家本平家物語〔一三C前〕一・義王「年の若きを憑(たの)むべからず、老少不定の堺なり」*随筆・孔雀楼筆記〔一七六八(明和五)〕二「奉公もせず、世事もなく、年壮(さかん)に財豊(ゆたかに)、ただ心志をがく業の一路に専にする人は、大順の境(サカヒ)と云べし」*浮雲〔一八八七(明治二〇)~八九〕〈二葉亭四迷〉三・一六「身を不潔な境(サカヒ)に処(お)きながら、それを何とも思はぬ顔色」(5)境地。特に、すぐれた境地をさしていう。⇨さかい(境)に入る。
【語源説】(1)「境フ」の名詞形〔大言海〕。(2)「サカアヒ(坂間・坂合)」の約〔和字正濫鈔・和語私臆鈔・古事記伝・名言通・和訓栞・紫門和語類集〕。(3)土地と土地とが「サカフ(逆)」ことをいうところからで、「ヒ」は「アヒダ(間)」の上下略か〔和句解〕。(4)「サハアヒ(放合)」の義〔言元梯〕。【発音】〈なまり〉サケー〔埼玉方言〕〈標ア〉[カ]〈ア史〉平安・鎌倉○○○ 江戸●●○〈京ア〉[サ]【辞書】色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【境】色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・易林・書言・ヘボン・言海【界】色葉・名義・和玉・文明・易林・書言・言海【域】色葉・名義・和玉・文明・書言【堺】色葉・名義・明応・饅頭・書言【疆・略】色葉・名義・和玉【壃・城・経・標・壌】色葉・名義【場・畺・邦】名義・和玉【畔】和玉・文明【閞・畛】色葉【区・辺・垂・関・圉・強・墟】名義【限・封・壇・塞・田・疅・㽘・壮】和玉【紘・際・堡】文明【同訓異字】さかい【境・界(堺・畍)・圻・垓・垠・封・域・畤・皐(皋)・疆】【境】(キョウ・ケイ)土地と土地の区切り。国と国の相接するところ。また、国の果て。「境界」「境内(けいだい)」「国境」「越境」《古さかひ・をり》【界(堺・畍)】(カイ)田と田の区切り。転じて、複数のものの区切りめ。仕切り。「界隈」「界限」「境界」「限界」《古さかひ・かぎり・きは》【圻】(キ・ギン)王城の周囲一〇〇〇里四方の土地。転じて、さかいめ。境界。地の果て。《古ほとり・きし・かぎり》【垓】(ガイ)国土のはて。極地。【垠】(ギン)地の果て。さいはて。きわみ。また、岸。がけ。《古きし・ほとり・きは・かぎり》【封】(ホウ・フウ・フ)草木を植えて土地の区切りをつくる。転じて、領地のさかい。区切られた一定の国土。「封域」「封人」「封境」《古とづ・つつむ・さかひ・つか・かき》【域】(イキ)土地の区切り。限られた一定の地。特定の範囲。「域内」「地域」「流域」「区域」《古さかひ・かきる・かき》【畤】(ジ)天子の霊をまつるために区切られた場所。《古うね》【皐(皋)】(コウ)水と地との区切り。みずぎわ。きし。《古さは》【疆】(キョウ)はるか遠くの土地の区切り。領土のはて。くにざかい。「疆土」「地疆」「無疆」《古さかひ・かぎり・きはまり》
さかい-め[さかひ..]【境目】〔名〕(1)ある土地、場所などの区切りとなるところ。際目。境界。*明応本節用集〔一四九六(明応五)〕「際目 サカイメ」*結城氏新法度〔一五五六(弘治二)〕五九条「境目あれたる所うけ取、後まんさく成候ても、まへのあれたる時をほんふけんにひき候はん事」*滑稽本・浮世風呂〔一八〇九(文化六)~一三〕二・上「『さかい』とはナ、物の境目(サカヒメ)じゃ。ハ。物の限る所が境じゃによって、〈略〉斯した境と云のじゃはいな」*明暗〔一九一六(大正五)〕〈夏目漱石〉一七一「道と田の境目(サカヒメ)には小河の流れが時々聞こえるやうに感ぜられた」(2)敵と味方が接している所。*石見吉川家文書-(天正九年)〔一五八一(天正九)〕五月一九日・吉川経家書状(大日本古文書・一四三)「頃従二堺目一之到来に、但州七味郡え為二一行一」3)事柄の、自と他、善と悪、良と不良などが、それによって分別されるわかれ目。*抱擁家族〔一九六五(昭和四〇)〕〈小島信夫〉四「自分が人間になるか、ならぬかの境目ですよ」【発音】〈なまり〉サイメ〔紀州〕〈標ア〉[メ]〈京ア〉[0]【辞書】明応・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【境目】書言・言海【際目】明応【堺目】ヘボン
 
『古事記』及び『日本書紀』の「さかひ」一覧