萩原 義雄 識

「経済」と云うと、対語は何か、直ぐに浮かばない。「不経済」と云えば通じる。此の不経済なことをと使えば、物を粗末にし、物を無駄にする生活行動を続けている個々の人を対象としていることに氣づく。この活動が組織ぐるみとなると、膨大な「不経済」が其所には潜んでいることになるからだ。まさにその反意なのだから、「経済」とは、物を大切にし、無駄な消費を避けることが最大の目標となる。
実際、国語辞典を繙くと、「経済済民」なる熟語から「政治」に結びつく語となっている。続けて、「物質的財貨の生産、分配、消費などの活動」即ち、「金銭のやりくり」=「倹約」と関わってきて当に個人消費に及ぶ。
なのに(「だのに」君の行く道は果てしなく遠いーなぜ・・・)、多くの資源・時間・労働の浪費、更には環境の破壊をして、大元の経済界がこの経済の首を締め、経済が不経済と同意語化してしまったいるのかと思わざるを得ない昨今を目の当たりにする。消費税は必要なのだろうか、奨学金の返済もなすべきなのか問いかけてみたくなる。斯くもいう吾人自身、奨学金の恩恵を受け、返済免除とし、その分、人知れず支援助成に心をかけてきた。皆々が「借りたら返す」の気持ちを失わない限り、此国は安泰であったはずだ。欧州は難民が押し寄せ、各々の国は、自ずと彼等を経済援助し、厚く保護してきた。日本は「難民」の受け入れの機構が不完全、疑い勘ぐりが先に立って狭き門が茲にも存在する。受け入れだけで済まない人も生きるために現れ、生きる術として金品強奪の手口も神業に近いことが起こる。此を広めないために、働きの場所を用意し、まっとうな賃金を得られるようなシステムづくりが求められよう。
公共の移動方法も、荷物の運び出しも増税を繰り返せば、だれもが軈ては貧することになろう。 AIの進歩の基盤ともいえる半導体の活用力が世界を変えようとしている。個人消費の車以上に、茨城県境町がモデルの公用大型車の自動移動の取り組みも半導体パワーが底知れない力をもたらす。時間の浪費もスーパー・コンピュータが瞬時に方向性を導き出すことで生産性は大幅に変わることだろう。労働時間が「残業」ということばの概念とその等価に支払われた金銭を消し去るときかもしれない。ものを常に清潔に保ち、より多くの人に用いられる時が求められ、二〇二三年は飛躍めざましき年になればと思う。
コロナ禍で大学に在学したものの、大学生活らしさを知らず過ごした方々が卒業を扣え、時代の大波を乗り越えるときが再びやってきたと思う。吾人が大学に入学した年も、学園紛争最後、東大安田講堂楯籠もりで東大受験が行われなかった。各大学の門をくぐるも閉鎖、授業、図書閲覧もままならぬ家での自主学習が続いたことを思い出す。だが、なければないのだから、あるがままのものづかいきっとあることを忘れてはなるまい。
道元禅師『正法眼蔵』の「諸悪莫作(しよあくまくさ)」(諸悪を作すなかれ)、「衆善奉行(しゆぜんぶぎよう)」(衆をして善を行なわしむ)の説示は夢幻にも見えるが、いざ此の世を生きて忘れてはならないことばだと思う。
 
禅師の歌に、
本末(もとすゑ)もみな僞(いつはり)のつくもがみ 思ひ乱るゝ夢こそとけ
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
けい-ざい【経済】〔名〕(1)(─する)(「経国済民」または「経世済民」の略)国を治め、民を救済すること。政治。*四河入海〔一七C前〕三・三「俗縁未尽して政にあづかりて、伊尹や皐陶が如にして天下を経済するぞ」*童子問〔一七〇七(宝永四)〕中・一四「近事の諸儒経済の書、亦以て王道を発明するに足れるか」*倭読要領〔一七二八(享保一三)〕下「経済(ケイザイ)とは、天下国家を治るをいふ、聖人の道は、天下を治る道なり」*授業編〔一七八三(天明三)〕五「斉家治国およそ経済(ケイザイ)の学に志あらん人はことに心目を開張して読むべきはいふまでもなし」*花柳春話〔一八七八(明治一一)~七九〕〈織田純一郎訳〉五四「抑も男児の事業を為して天下を経済(ケイザイ)するは、豈に政府に立のみに止らんや」*改正増補和英語林集成〔一八八六(明治一九)〕「Keizai ケイザイ 経済」*文中子-礼楽「是其家伝七世矣、皆有二経済之道一」(2)人間の共同生活を維持、発展させるために必要な、物質的財貨の生産、分配、消費などの活動。それらに関する施策。また、それらを通じて形成される社会関係をいう。*池田光政日記-天和二年〔一六八二(天和二)〕五月一日「経済は国家の本なり。古語に、『国に三年の貯(たくわえ)無きを国其国に非ず』」*可験録〔一八三四(天保五)〕一・九「金沢侯往昔よき御家老ありて、御用金にて一時に経済の法やぶれ、下々困窮することを憂ひ」*経済小学〔一八六七(慶応三)〕序「余心を経済の学に留むること久し」*馬鈴薯の花〔一九一三(大正二)〕〈中村憲吉〉大正二年「法律と経済との書物に殆ど読み疲れて居たのであった」(3)金銭のやりくりをすること。*談義本・世間万病回春〔一七七一(明和八)〕五・時山医評「自家の経済(ケイサイ)に心を尽して老後の用心に金をたくわえ」*二人女房〔一八九一(明治二四)~九二〕〈尾崎紅葉〉上・四「此家の経済(ケイザイ)を切廻さうといふには」*明暗〔一九一六(大正五)〕〈夏目漱石〉八「自分の経済(ケイザイ)に関して余り心を痛めた事のない津田には、別に何(ど)うしやうといふ分別も出なかった」(4)(形動)費用やてまのかからないこと。費用やてまをかけないこと。また、そのさまをいう。倹約。節約。*花柳春話〔一八七八(明治一一)~七九〕〈織田純一郎訳〉四四「而して子之を食(やしな)はざるは全く経済(ケイザイ)より出る所ならん」*最暗黒之東京〔一八九三(明治二六)〕〈松原岩五郎〉三四「経済なる妻は襯衣(しゃつ)、足袋底(たびぞこ)またはハンケチの縁縫(へりぬひ)して日掛四銭の屋賃の補足をなすものあり」*三四郎〔一九〇八(明治四一)〕〈夏目漱石〉六「時間の経済(ケイザイ)を知らない男」*田舎教師〔一九〇九(明治四二)〕〈田山花袋〉二八「自炊生活は清三に取って、結局気楽でもあり経済でもあった」(5)「けいざいがくぶ(経済学部)」の略。*生活の探求〔一九三七(昭和一二)~三八〕〈島木健作〉一・五「大学は経済か法科が期待され」【補注】明治前期には、英語の economics の訳語としては「理財」を用いることが多く、「経済」に落ちつくのは後期になってからのことである。【発音】ケィザイ〈標ア〉[ケ]〈京ア〉[ケ]【辞書】ヘボン・言海【表記】【経済】ヘボン・言海