萩原 義雄 識

「秋夏」ということばをご存知だろうか。季節の巡りを伝えるとき「夏秋(カシユウ)(夏から秋の意)」がごく自然な物言いなのだが、なぜか小学館『日国』にも「春夏秋冬」とあっても字音、和語共に立項されていない。漢語としては『山西通志』清・などに常套語なのだが記載を見ない。逆位語「秋夏(シユウカ)」は、「今はもう秋、真っ盛りなはずなのに夏みたいな昼間の暑さがまま続く。衣服も長袖の衣服がいらない。そして、昼間の高い気温と大陸からの夜の強い寒気とがぶつかり合ってか、突然の雷雨、雹が地上にたたきつけたりする意までを持ち合わせていたかは判らぬが、夏を思い出すが今は当に秋なのだと回想と現実との徃還が籠められているようだ。

ことばは、「秋夏」と古えの光景とつながり、実に美しく見える。日の出は遅く、日の入りは釣瓶落としのように早い時季に相応しい表現と言えよう。陽のひかりも窓辺深く残光を届けてくる。その太陽もまさに「あかあかやあかあかや赤鴨脚樹葉(いてふは)は黄(き)なるとてとも疾く映えわたる」と、短日の数時間のものごとになる。ものごとは同じでも、選ぶ側からみればその出来映えや光沢さ、香りや手触り感などからその善し悪しも選別する。その技(わざ)が最上のものであればあるほど、見抜きだし、質の高さを保つことが求められ、できるかぎり続けられれば、人から人へと伝承されていく。

何故なのだろうか。本邦に此の語は文藝作品にですら、一言句として用いられずにきたのだろうか。ことばの探求の真骨頂はこんなところに潜んでいる。実際、稽査してみると、菊池保定著『渓琴遺稿』〔大正十二年刊〕巻五の目次に「秋夏旱甚祈雨」とある。

話しは変わるが、明治時代の山田美妙は、短期間に『日本大辞書』を編纂し、この国語辞典に於ける所載語として、現行の『日国』に記載するまで見なかった「あさがほ-やき【朝顔焼】」を所載する。当該語は、「實物不詳」としつつも、西鶴『若風俗』を引用する。此を『日国』は、同じ西鶴『男色大鑑』として再び引用所載もする。

いま、吾人が事物の存在を文献資料に見出せているのは、PC機器検索などの術でない情報共有という研究の場で知り得たものであり、実在する焼き物自体を知らない。言わば、現実との附合せまで至らずじまいにあることになろう。とはいえ、「あさがお」の花のように焼いた和食用盛り皿は存在する。だが、此を「あさがほやき」と呼称するのかと云う結論までには至っていない。更に、当該語がこれ以外に用いられていない孤例なのかという点も重要となっている。作者西鶴が用い、これを読み知った美妙が珍妙な語として辞書に引用してきた。

このような懐疑なる存在感の品に出会うために、展示館などを観てまわることは実に楽しい至福な時ともなっていく。
 
《補助資料》
※『山西通志』卷二十三・八
○西有擲筆臺上有青蓮山寺下有㠌崖袤丈餘廣倍
之夏秋暴雨中罅似雷鳴相傳慧逺注

 
小学館『日国』第二版
しゅうか[シウ‥]【秋夏】〔名〕秋と夏。*杜甫-渓漲詩「秋夏忽泛溢、豈惟入二吾廬一」【発音】シュ
ーカ〈標ア〉[シュ]
しゅう-とう[シウ‥]【秋冬】〔名〕秋と冬。また、その季節。*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中
行事事「十六日は踏歌節会・秋冬の馬䉼(めれう)・諸司の大粮(おほがて)」*史記抄〔一四七七(文明九)〕一六・酷吏列伝「春夏は生長の時で万物が生成するほどに、いかなる罪ある者をも刑罰を不行して、秋冬を待て殺すぞ」日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Xu<tô(シュウトウ)。アキフユ」*礼記-文王世子「春夏学干戈、秋冬学羽籥、皆於東序」【発音】シュートー〈標ア〉[0]【辞書】文明・日葡【表記】【秋冬】文明
 
※山田美妙『日本大辭書』明治25年(1892)から明治26年(1893)にかけて全十一巻(付録一巻)を刊行。第一冊23頁(国立国会図書館、電子画像28コマ)

 
小学館『日国』第二版
あさがお-やき[あさがほ‥]【朝顔焼】〔名〕朝顔の花の形に焼いた陶器。朝顔。*浮世草子・男色大鑑〔一六八七(貞享四)〕七・五「箪笥の下より、朝顔焼(アサカホヤキ)の天目出して」
※菊池保定著『渓琴遺稿』〔大正十二年刊〕巻五
https://dl.ndl.go.jp/pid/1246801/1/42

井原西鶴『男色大鑑』〔早稲田大学図書館藏〕卷七・第五