萩原 義雄 識

木枯しが吹き荒れるとき、天気予報では「暴風」と云う。そのあとに、公孫樹並木のイチョウの葉を多く蓄える公園には、落ち葉の黄色い絨毯が広がっていて、歩む沓底からサックサックと心地よい音が鳴り始める。誰もが楽しめそうな午後の時間がゆったりと巡っていることが全身で感じ取れる。僅かな無間無名異{疵の薬となる}さがそこには覘いていた。
小春日和の季節がそこにはあった。僅かな散策が向きあっていくものへ一気に加速する。この柔らかな滑らかな世界は明日へは決して持ち越せないものとなっていた。干支のうさぎ年もあと一月余り、年乃瀬を迎えてなにもかも急ぎすぎては狂風(そぼれ)た結果を目にし、手にすることになってしまう。
あわてふためく徘徊(たちまわ)りは避けたいものだ。では、どう振る舞うのが最善な愛日(あいじつ)での挙動(たちふるま)いとなるのだろうか、吾が身体とこゝろとを穏やかに設えてこそ、温もりあるたまゆらのときとなるのでは思う。
いま、何が己れには見えているのだろうか。同じ空を眺め、同じ月や星をみて、山々の木々の移ろいを捉え、同じ世を生きるもの同士、互いのつぼを理会して、その居場所を心地よいものにしていくことで、うらやかな己れが此の世にありとなるのではないか。
さて、師走の卅日を己れ自身にとって、いちばん大切なものごとに傾けて行こう。

艸も木も佛になるときくときはこゝろある身はたのもしきかな

吾人にとって、此の読み人知らずの歌が牛の涎れのように捉えきれるものとなることをテーマに据えてみた。
そして、いよいよ、肌寒い冬へとまっしぐらに突入していくことにもなる。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
そぼ・る【戯】〔自ラ下二〕(1)たわむれる。ふざける。じゃれる。はしゃぐ。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕若菜上「つばいもちゐ・梨・柑子やうの物ども、さまざまに、箱の蓋どもに取りまぜつつあるを、若き人々、そほれ取りくふ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕初音「年のうちの祝ひ事どもしてそほれあへるに、おとどの君、さしのぞきたまへれば」*承応版狭衣物語〔一〇六九(延久元)~七七頃か〕一・下「扇などうちならしつつ笑ひそぼるるけはひども、物狂ほしければ」(2)しゃれる。きどる。様子がくだけている。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕胡蝶「おもふとも君は知らじなわきかへり岩もる水に色し見えねば、書きざま、今めかしうそほれたり」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕梅枝「院の内侍のかみこそ、今の世の上手におはすれど、あまりそほれて、癖ぞ添ひためる」
【辞書】文明・言海【表記】【戯】文明【戯】言海
あい-じつ【愛日】〔名〕(1)(『春秋左伝』文公七年の「趙衰冬日之日也、趙盾夏日之日也」の注に「冬日可愛、夏日可畏」とあるところから)愛すべき日光。また、冬の日光の異称
*本朝文粋〔一〇六〇(康平三)頃〕一三・為左大臣供養浄妙寺願文〈大江匡衡〉「蒙霧開、愛日暖、可天地和合、風雨不一レ違」*済北集〔一三四六(正平一/貞和二)頃か〕三・漫興「愛日南窓明又暖、穏乗朝気楞伽」*寛斎先生遺稿〔一八二一(文政四)〕四・冬温「烘愛日気如蒸、不覚抄書至燈」*西国立志編〔一八七〇(明治三)~七一〕〈中村正直訳〉一一・二八「高山の上より俯して平地を見ば狂風暴雨瞋怒を縦(ほしいまま)にすれども、己れは愛日和風の中に行歩せり」*駱賓王-在江南贈宋五之問詩「温輝凌愛日、壮気驚寒水」(2)(「愛」は「おしむ」の意)日時を惜しむこと。*大戴礼記-曾子立事「君子以学、及時以行」(3)(『揚子法言』孝至」の「事父母自知足者、其舜乎。不得而久者、事親之謂也。孝子」から)父母に孝養を尽くすために日時を惜しむこと。転じて、孝心の深いこと。【発音】〈標ア〉[0]【辞書】書言【表記】【愛日】書言
たま-ゆら【玉響】〔名〕時間の経過のごくわずかなさまをいう。しばしの間。ほんの少しの間。暫時。副詞的にも用いる。*人麿集〔一一C前か〕「たまゆらに昨日のくれにみし物をけふのあしたにこふべき物か」*堀河百首〔一一〇五(長治二)~〇六頃〕冬「かき暮し玉ゆらはれず降る雪の幾重積りぬ越のしら山〈源師頼〉」*方丈記〔一二一二(建暦二)〕「いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」*歌謡・松の葉〔一七〇三(元禄一六)〕二・冬草「厭(いと)はじな、たまゆら宿る人の盛り」*邪宗門〔一九〇九(明治四二)〕〈北原白秋〉朱の伴奏・謀叛「瞬間(タマユラ)の叫喚(さけび)燬(や)き、ヸオロンぞ盲(めし)ひたる」語誌(1)『万葉集』卷一一・二三九一」(人麻呂歌集)の「玉響昨夕見物」の古訓、「たまゆらにきのふのゆふべみしものを」から生じた語と思われる。「ゆら」は、玉のふれあう音。その音をかすかなこととし、そこから短い時間の意に転じたものとする。なお、「玉響」には「たまかぎる」「まさやかに」等の別訓、別解が試みられている。(2)『匠材集』卷二(一五九七(慶長二))には「玉ゆら玉の声也。又露のおほくをきたる体を云也」とあり、『日葡辞書』でも「ツユノヲヲクアルテイ」としている。【語源説】(1)物につけた玉のゆらぎ触れ合う音がかすかであるところからいうか〔大言海〕。「タマユラ(玉動)」の義〔言元梯〕。(2)「チカマユクラヤ(近間行)」の反〔名語記〕。(3)「タマ」は「テマ」と同語で、間離(たまさか)に対してタマヨリ(間寄)の義か〔雅言考〕。【発音】〈標ア〉[0][マ]〈京ア〉[0]【辞書】文明・日葡・書言・言海【表記】【旦程】文明【暫時】書言【玉響】言海
うら-やか【麗─】〔形動〕(「やか」は接尾語)はればれとのどかなさま。うららか。また、ものごとのゆったりとしたさま。*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕二三「淑と云はよいとよむぞ心もとにうわにしてうらやかなぞ」*御伽草子・俵藤太物語(有朋堂文庫所収)〔室町末〕「女房うらやかなる声にて、扨々、貴方(きはう)の勇力にて日比の敵を平げ」*仮名草子・悔〔一六四七(正保四)〕中「人のまじはりは、心にあふも、あはぬをも、ただうらやかにくげなく、其興に随ひ、心すなほに、ことばすくなきこそあらまほし」*延宝八年合類節用集〔一六八〇(延宝八)〕八「柔従ウラヤカ」*歌謡・松の葉〔一七〇三(元禄一六)〕二・はる駒「世もうらやかに、園生の花の春駒は」【方言】(1)はっきりしたさま。《うらやか》島根県鹿足郡739(2)明るく優しく感じのよいさま。あいきょうのあるさま。《うらやか》島根県石見725高知県吾川郡863高知市867(3)すなおでおとなしいさま。《おらやか》とも。島根県出雲725【辞書】書言・ヘボン【表記】【柔従】書言・ヘボン