萩原 義雄 識

天候が晴れていても何時あやしき黑雲に襲われるのか突発性の風雨に見舞われることも、現代人が使いこなしはじめた「スマホ」に、お天気予報の地域毎に検知できるアプリがあれば、瞬時にその雲行きや気象状況を察知できるところまで進化してきている。

片手で持ち歩けるこの「スマホ」機器は、高性能=高価なものになればその情報は、カメラ撮影、ビデオ動画、録音機能、多種(時刻・カレンダー、メモ記録、位置情報)検索機能、娯楽(ゲーム機能・音樂(ミユージツク)・読書)、お財布機能、AI作成機能などと数多くの利便性用途を有する機器に変容してきている。ある観点からすれば、こうした利便性機器を日常生活から手放すことができなくなると、例えば、スポーツ活動(水泳など)の最中では、一時的にもどこかに安全な保管場所が必要となってくると云う不便さが起こってもこよう。増して、置き忘れでもしたら、おのれが記憶を辿って最後に用いた場所や置いた場所を思い出さなければならない。公共の場所は置き忘れを促してか、立ち去る前に再度身の回りの物品をたしかめることを促すアナウンスが流されたりしている。置き忘れが多いものの一つが此の「スマホ」機器となっていたりする。今ではGPS機能で別機器から受信可能なサービスも付加されている。吾人が知る限りでは、高層建造物では、どの階にあるのかは見定めがたいこともあったりする。とは言え、助け合いの心で家族や友人の繋がりを新たな方法で求めていくとき、一日の自己活動を知るための目安も担っているから当に不思議な魔法のような機器具に変身しつづけている。
ここまでくると、使用マナーを超えて、使用時間だったり、身体環境にも関わり合いが見えてくる。此等の個人情報が幾つかのセキュリティ機能を以て一定の管理化に置かれ、その安全性を保ってきた。所謂、「開放」と「禁止」の相乗効果で使う使わないを常に抑止することも可能にしてきている。情報内容は、個別にも全体にも他機器に保存するというバックアップも無論可能となっている。小さな手のひらサイズのなかに蓄積した内容は、いつしか忘れてしまうことも多々あろう。メモ記録の大切さは、忘れそうになった記憶を呼び興すことにもなる。

そのエネルギー源は電気とその充電化にあり、人は睡眠活動を促され、その休息の時間を使ってその充電作業を通常は済ませてきている。100%と0%との対峙は、時には生きている証しともなる。此れが使用回数が頻繁化すれば、数値は当然低下する。自然環境が寒冷地であるのも同じ状況を作り出す。生命維持と機器機能は常に人が地球環境下にあるからだ。人が造り出したあらゆる造形物と機能性もこの一点に紐付けられている。

では、その「スマホ」機器活用は、人が皆同じでなく個性を有するように、機種も数多く存在し、同機種であっても使用し続けていくことで、決して同じ存在のものではなくなっていく。行き着く先が「我楽多(がらくた)」となるか、「珎宝器(チンボウキ)」となるかの分岐点は当然あろうが、誰がそれを査定し、決められるのかも不明瞭なのだから、人が創り出したものへの価値観が時と共にその行き着く先を最初にはじめた担い手の組織でもあり、トップ人種でもあり、すべてが「元の木阿弥」になるやもしれない。

人の独創性が試される機会が各々のなかで自由に許されるのであれば、進む方向性も真っ直ぐだけでなく、スパイラルな曲線模様ともなるだろう。いや、縦横自在な動きが見られ、操作の軌道性も感知できていく時を俟っているのかもしれない。季節の水無月は、あらゆる地球上スイッチの切り替えが許される時であるとしたら、吾人は、あなたはどのようにチェンジしていくことになるのだろう。楽しむ時にしてみよう。きっと、何かが見えてくるにちがいない。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
がら-くた【瓦(グヮ)落多・我楽多】〔名〕(「がら」は物が触れあう音、「くた」は「くち(朽)」のなまりとも、「あくた(芥)」の略ともいう。「瓦落多」「我楽多」はあて字)(1)価値や用途のない雑多な品物。半端物。がらくたもの。がらくた道具。がらくたるい。*歌舞伎・御摂勧進帳〔一七七三(安永二)〕二番目「大儀ながら、そのがらくた、こっちへ持って来て下さい」*雑俳・川傍柳〔一七八〇(安永九)~八三〕四「がらくたを干てる嫁の美しさ」*滑稽本・東海道中膝栗毛〔一八〇二(享和二)~〇九〕五・上「なにかがらくたがしこたまあげてあるよふす」*黴〔一九一一(明治四四)〕〈徳田秋声〉二「少し許りのらくたが、其男の親類の家に預けてあった事を想出して」(2)(人をののしっていう)つまらない人間。価値のない人。やくざもの。*浄瑠璃・頼政追善芝〔一七二四(享保九)〕三「ヤアがらくため、己が分際一人の思ひ立ちでは有まじ」*洒落本・卯地臭意〔一七八三(天明三)〕「ヱヱ、はんながらくためをほはがって、此土地へしゃうべへに出られるものかへ」*歌舞伎・浮世柄比翼稲妻(鞘当)〔一八二三(文政六)〕大切「うぬらのやうながらくたが、うぬらうせていぢめたとて」【方言】(1)鳴子。《がらくた》三重県志摩郡054(2)粗暴で手に負えないさま。また、乱暴者。ならず者。《がらくた》福井県431香川県三豊郡829(3)砂礫(されき)が多い不毛の地。《がらくた》徳島県美馬郡054【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】ヘボン・言海【表記】【雑具】ヘボン
□ここを見る限り、ことばの発生は江戸時代の演芸の浄瑠璃、歌舞伎ことばからで、漢字表記の宛字はそれよりあとにのことになろうか。
ちん-ぽう【珍宝】〔名〕(「ちんぼう」とも)めずらしい宝物。この上なくすばらしい宝物。*正倉院文書-天平勝宝八年〔七五六〕六月二一日・東大寺献物帳(寧楽遺文)「奉為太上天皇、捨国家珍宝等、入東大寺願文」*栄花物語〔一〇二八(長元元)~九二頃〕花山たづぬる中納言「妻子珍宝及王位も、かく思しとりたるなりけりと見えさせ給」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「珎宝尊者部チンホウ」
*サントスの御作業〔一五九一(天正一九)〕一・サンタヘブロニヤ「ヲンツマトナリタテマツルコトナラバムゲノchinbôto(チンボウト)ユウモナカナカヲロカナルコトナリ」*随筆・文会雑記〔一七八二(天明二)〕附録・一「其時に希世の珍宝王右丞が画山水を見たるとてかたりき」*人情本・春色梅児誉美〔一八三二(天保三)~三三〕四・二〇齣「妻子珍宝(チンボウ)及王位」*吾輩は猫である〔一九〇五(明治三八)~〇六〕〈夏目漱石〉四「然し智識以上の珍宝が世の中にあらうか」*戦国策-斉策・閔王下
「宮中積珍宝、狗馬実外廐、美人充下陳」【発音】チンポー〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・文明・伊京・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【珍宝】伊京・天正・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【珎宝】色葉・文明・饅頭
□「珍宝」の語例は古く、使用が二字熟語では得られるのだが、三字熟語「珍宝器」として繙くと『日国』からは当該の語用としては得られない。
もとの木阿彌(もくあみ)一旦よくなったものが、ふたたびもとのつまらない状態にもどること。せっかくの苦労や努力が無駄になること。もとのもくあん。*虎明本狂言・鉢叩〔室町末~近世初〕「なむや大悲のおとは山、わか身一つはもとのもくあみ」*仮名草子・七人比丘尼〔一六三五(寛永一二)〕中「此の木阿彌に、もとなれにし妻聞きて〈略〉ここに夫婦のかたらひ、二たびありしかば、人々あざけり、京洛中の物ざたにて侍り、只もとの木阿彌とは、是れより申しならはせしぞかし」*夢酔独言〔一八四三(天保一四)〕「夫から方々へ参ったが、銭はあるし、うむゐものを食いどふしだから、元のもくあみになった」
*其面影〔一九〇六(明治三九)〕〈二葉亭四迷〉二一「殖やした当座が少し楽なばかり、三月と経たぬ中に又元の木阿彌(モクアミ)となる」【語誌】この句の成り立ちについては諸説ある。(1)筒井順昭が病死したとき、嗣子の順慶が幼少だったので、遺言によって順昭の死を隠し、順昭と声のよく似た木阿彌という盲人を招いて薄暗い寝所に置き、順昭が病床にあるように見せていたが、順慶が長ずるに及んで木阿彌はもとの市人の身にもどったという故事による〔天正記〕。(2)ある人が妻を離縁して出家し、木食(もくじき)の修行をして、木阿彌、木食上人などと呼ばれ尊ばれたが、年を経るに従い、木食の修行も怠りがちになり、元の妻ともかたらうようになったのを世人があざけって取り沙汰した語による〔七人比丘尼〕。(3)百姓の木工兵衛が僧に献金して某阿彌の号を得たが、村人は新しい名で呼ばず、たまたま呼んでも旧名にひかれ木工阿彌などと呼ぶため、買名の功もむなしかったという話による。(4)朱塗の朱がはげて木地があらわれた意の元の木椀から転じたものか〔話の大事典=日置昌一〕。【発音】〈標ア〉[モ]〈1〉〈京ア〉[0]