萩原 義雄 識

「〽ふれふれこゆきたんばのこゆき」という童歌が鎌倉時代の一三三三(元弘三年/正慶二)年、吉田兼好『徒然草』第一八一段に、

「『降れ降れ粉雪(こゆき)、たんばの粉雪(こゆき)』といふ事、米搗(よねつ)き篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪(こゆき)といふ。『たまれ粉雪(こゆき)』と云ふべきを、誤りて『たんばの』とは云ふなり。『垣や木の股に』と謡(うた)ふべし」と。或物知り申(まう)しき。
 昔より云ひける事にや。鳥羽院幼(とばのいんをさな)くおはしまして、雪の降るに、かく仰(おほ)せられける由(よし)、讃岐典侍(さぬきのすけ)が日記(ニツキ)に書きたり。

と記述が見えていて、「こゆき」は「粉雪」で、白居易は雪を鵝毛に、謝女(シヤジヨ)は雪を塩にたとえ、香山(キヤウザン)は雪を玉屑(ギヨクセツ)に比し、王勉(ワウベン)は雪を豆稭灰(トウカイクワイ)に譬えてきた。そして、いつの頃からか本邦の人、「米の粉(こめのこ)」にたとえて歌にした。人は物事を何か類似するものに見立て言う。現代の吾人達にとっても、冬の風物詩に籠めて、雪の白さを間近に観ることでその美しさに魅了されてきた。あなたでしたら、雪を何に譬えてみますか。
 此の冬、日本各地で最も大雪が降るような寒気が北は北海道から南は九州まで、列島に入り込む。戸外を出歩く人の足にも影響する。こうしたなか、関東圏の平野部、とりわけ東京では雪の降り積む出来事は稀なことに違いないが、その足許に気配りがないだけに余計に白く降り積もった日には大変さが想定されてしまう。此の事態もネット接続で足を運ばずとも相互の伝達が可能になったという利点を今後どう活用するかにもなろうか。
 人は課題が大きければ大きいだけ、取り組み甲斐を見出す。先人が書物に遺した珠玉なことばを再び紡ぎだしたり、今、生き生きとした人どうしでの対面交流が生みだすところのかけがえのない世界が此れを彩ってくれる。声による伝達で、ことばの大切さを時には歌にして、時には文にして、時には絵にして、その己れが心の精神(たましい)に宿していくことを此れからも求め続けてみようではないか。
 「雪螢をあつめて書よみけるもろこしのふること」と題して、もろこしの國に、むかし孫康といひける人は、いたくがくもんを好みけるに、家まづしくて、油をえかはざりければ、夜(ル)は、雪のひかりにて、ふみをよみ、又同じ國に、車胤といひし人も、いたく書よむ事をこのみけるを、これも同じやうにいと貧くて、油をえざりければ、夏のころは、螢を多くあつめてなむよみける、此二つの故事(ふるごと)は、いと〱名高くして、しらぬ人なく、歌にさへなむおほくよむことなりける、」と宣長『玉かつま』十二の巻に記され、「つくりごと」と評す。やがて、『日国』を繙くと分かるように、江戸時代の本邦に「雪明かり」なることばが用いられ、現代にも通じてきている。伊藤整の処女詩集『雪明りの路』へと繋がっている。
 これが「白雪」となれば、『万葉集』にまで溯っていく。当に時空を超えてものごとを見出す学びの年になればと思う。
 
注記
⑴『讃岐典侍日記』巻下〔日本古典文学全集四三九頁〕
降れ、降れ、こ雪」と、いはけなき御けはひにておほせらるる、聞こゆる。
⑵「雪明かり」
小学館『日本国語大辞典』第二版
ゆき-あかり【雪明】〔名〕闇夜に、積もった雪の反射で、周囲がうす明るく見えること。《季・冬》*俳諧・太祇句選〔一七七二(安永元)~七七〕冬「里へ出る鹿の背高し「雪明り」*和英語林集成(初版)〔一八六七(慶応三)〕「Yukiakari (ユキアカリ)デアルク」*報恩記〔一九二二(大正一一)〕〈芥川龍之介〉北条屋彌三右衛門の話「雪明(ユキアカ)りに見た相手の姿は、不思議にも雲水のやうでしたから」【発音】〈標ア〉[ア]〈京ア〉[ア]【辞書】ヘボン・言海
⑶『万葉集』巻十九・四二八一〈大伴家持〉「白雪(しらゆき)の降りしく山を越え行かむ君をそもとな息の緒に思ふ」