萩原 義雄 識

年乃瀬を迎えようとしている。ふり返ってみると、スポーツ界では、仏蘭西パリを舞台にしたオリンピックでの各競技種目で、これまで誰もが知る種目から誰もが知らなかった種目までのその活躍ぶりが、ときには大迫力な大型モニター画面から、ときには一人一人が所持する小さな携帯スマホのモニター画面まで好きなところで好きなときに視たり聴いたりすることができるような時代の幕開けを視ていた氣がする。当然、現地で其の瞬間を間のあたりするために競技会場に足を運び、貴重なゆとりの時間を最大限に使い、渡航された方々も数多くいた。

いわば、今まで以上に、報道の広がりを得たことに氣づかされる瞬間でもあった。そうしたなかで、メジャーリーグで通常成し得ない大活躍であったのが、大谷翔平選手の打者と走者による記録「50-50」(類字する数表示に吾人のこよなく愛飲する赤ワインに「50&50」がある。)として、年間MVP賞と評価されたことだ。此の日、各新聞社は挙って号外を道行く人々に彼への祝福の思いを込めて配った。

此の数字は、日本語のことばで表せば、類語表現「五分と五分」、「半分半分」なのかもしれない。だが、実数で示したときのインパクトは稍異なっているようにも思える。私たちが一日二十四時間で知り得る情報量とその環境情報網の拡大化も大いに変化し続けてきている証しだ。紙媒体での報道では感じ得なかった、ある種の視覚や聴覚だけが突出させた電子媒体での世界やもしれない。そして、此の進化は未来に向かって継続する。百万部を売り上げてきた「出版物」が消滅し、掌サイズのコンパクトな「電脳図書館」へと完全に移行する扉が一気に開こうとしているのかもしれない。

人の感覚には他にも、味覚(=食覚)ありで此方も負けてはいない。此れまでの常識では考えられなかった品々が登場してきている。吾人のなかでは、ノンアルコール飲料の商品化だ。ビールに始まり今年は、ノンアルコールのワインが出回り、それを提供する専門の飲酒店も誕生し若い世代を中心に酒と食の新たな文化として賑わっている。

残る触覚と嗅覚とだけが大きくリードを許してしまっているように見えるのだが、触覚は特に身に纏う衣類、季節感が重要なテーマとしてあるのだが、自然界の温暖化もあってか、寒暖さが極端ななかで、古典的な日常感覚で表現すれば、「暑い夏も過ぎ行き、寒い秋[冬]も来たぞ、日月の過ぐる心ぞ、春がちゃっと秋になったぞ、昔のことが今になるぞ」(孔子の雑記「賭物思人命琴而歌曰」の「暑徃寒来春復秋」の一節)というものか。十二月も厚手のコートをいつ着るか、出掛けに戸惑う日が続く。

最後に残した「嗅覚」にも、佳きと悪しき匂いがある。佳き香りは求めて余りある。香水、香袋や簞笥香と或る意味での人類がまだ追い求め続ける最高の道筋やもしれない。此れに対し、悪臭は人が放置すればいつでもどこでも発生する。その身近なところが体臭となる。その根源が二足歩行で動く足裏の中心に位置する。古人の知恵に、遠い道のりを行く準備として、日々の洗足は欠かせないのだが、両の足裏に胡麻の油を塗り付け、帛の足袋で包むと良いとされている。当に妙なことかもしれない。此れに南天の葉と水に浸した粳米を九度浸し、九度蒸し、九度日に晒した食物を毎回一合ずつ用意する。「日万里行」法、これまた、妙なる健康の源につながっている。
 
《補助資料》
❶「50-50」(一シーズンに五〇本以上の本塁打を放つパワーと五〇個以上の盗塁を成功させるスピードとセンスが要求された記録)
❷「50&50」(アヴィニョネージ50&50 チンクアンタ・エ・チンクアンタ=イタリア国トスカーナ産ワイン)

❸「ノンアルコールのワイン」と提供するお店「ほろよわず」飲める人も飲めない人も一緒に楽しい時間をすごすために
❹孔子雑記「琴曲杏壇」「賭物思人命琴而歌曰」の「暑徃寒来春復秋、秋夕陽西下水東流」の一節)杏壇で孔子が琴を弾かれたこと『莊子』漁父第三十一に見える。
❺「日に万里を行く」実践者に冨岡鉄斎が知られる。