萩原 義雄 記

昔話「桃太郎」が鬼退治に出かけるとき、お供とした三匹の生き物「猿」・「鳥」・「犬」の最後の動物従者「いぬ【犬・狗】が今年の干支となり、干支の最終章のテーマとなっている。そして、最も人と付き合いの長い生き物でもある。皆さんも一度は愛犬としたこともあるのではなかろうか。その名前も「ポチ」「コロ」「ナナ」「モモ」「ハナ」「モカ」などと云った二音節の名が多いことにも氣づく。これにとどまらず、「チヨコ」「マロン」「タロウ」と三音節の名もある。

海外から輸入した犬にとどまらず、日本原種の柴犬から、がたいの大きい土佐犬、秋田犬、甲斐犬、紀州犬と地域ごとに特徴のある数種が存在する。

「犬も歩けば棒にあたる」とは、いろはかるたの「い」ではじまる文言である。人もそうだが、犬も訓練すると途方もない長い距離を走りきることができる。逆に云えば、日頃のトレーニングをひとたび怠ると犬も人と同じように、筋肉痛を覚えるのだからこれも微笑ましい。

古き時代に犬は、『古事記』『万葉集』に登場する。その鳴き声は、平安時代には、清少納言『枕草子』第九段・「うへにさぶらふ御猫は」に、「ひるつかたいぬいみじうなく声のすれば、なにぞの犬の、かく久しくなくにかあらんと聞くに、よろづの犬ども走り騒ぎとぶらひに行く。御厠人なるもの走り來て、「あないみじ、犬を藏人二人して打ちたまひ、死ぬべし。流させ給ひけるが歸りまゐりたるとて、調じ給ふ」といふ。」とあり、ここにその泣き声は見えないが、同時代の歴史物語『大鏡』に、「また、清範律師(せいはんりし)の、犬(いぬ)のために法事(ほふぢ)しける人の講師に請(しやう)ぜられていくを、清照法橋、同じほどの説法者(せほふざ)なれば、いかがすると聞きに、頭(かしら)つつみて、誰(たれ)ともなくて聴聞(ちやうもん)しければ、「ただいまや、過去聖霊(くわこしやうりやう)は蓮台(れんだい)の上にてひよと吠(ほ)えたまふらむ」とのたまひければ、「さればよ。こと人、かく思ひよりなましや。なは、かやうのたましひあることは、すぐれたる御房(ごばう)ぞかし」とこそほめたまひけれ。」として「ひよ」の鳴き声を聞きなしている。これが室町時代の狂言に「いぬわんわんといふてかみつかふとする」と「わんわん」の聞きなしが確認出来る。他に猿楽狂言には「べうべう」の声も見えている。

犬が圖繪にも描かれ登場し、「紙本著色佛涅槃圖」のなかにも描かれていたりする。
欧州イタリア国ミラノで、犬を連れて通りを散歩することを覧たことがある。此の人こそが此処のオーナーであると聞いた。また、犬も家のなかで飼うため、高い七階から犬の吠える声がして時に驚きもしたが、昨今の日本でも高層マンションで犬を飼う人が増えてきて、その「犬の遠吠え」の声が聞こえてきたりする。
そう、今年の干支は「犬・狗」なのである。動く犬もあれば、一所にじっとして微動だにしない犬もいて、人との交流もますます強くなるに違いない。

補注1 『枕草子』に「翁まろ」といふ犬のことあり。『嬉遊笑覽』に所載。
補注2 紙本著色佛涅槃圖

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《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いぬ 【犬・狗】【一】〔名〕(1)イヌ科の家畜。原種はオオカミと考えられている。家畜となった最初の動物とされ、家畜のうち最も賢く、人に忠実である。嗅覚と聴覚はきわめて鋭く、狩猟用、警察用、労役用、愛玩用などにする。形態は品種によって非常に異なり、小はチワワから、大はマスチフ、セントバーナードまで、全世界に約一六〇品種ある。日本産では秋田犬、甲斐(かい)犬、紀州犬、柴犬、土佐犬、チン、アイヌ犬などが知られる。日本語においては、「ワンワン」というふうに鳴き声が写される。学名はCanis familiaris*古事記〔七一二(和銅五)〕下「布を白き犬に縶(か)け、鈴を著けて」*万葉集〔八C後〕七・一二八九「垣越しに犬(いぬ)呼び越して鳥狩(とがり)する君青山の繁き山へに馬休め君〈人麻呂歌集〉」*日本霊異記〔八一〇(弘仁元)〜八二四(天長元)〕上・三〇「五月五日赤き狗(イヌ)に成りて〈興福寺本訓釈 狗 伊奴爾〉」*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕下・天延二年「御禊(みそぎ)の日、いぬの死にたるをみつけて、いふかひなくとまりぬ」*枕草子〔一〇C終〕九・うへにさぶらふ御猫は「ひるつかたいぬいみじうなく声のすれば」*菟玖波集〔一三五六(正平一一/延文元)〕雑体「とまるべき里はさすがに知られけり 犬の声する道の末かな〈藤原為氏〉」*虎明本狂言・犬山伏〔室町末〜近世初〕「いぬわんわんといふてかみつかふとする」(2)飼い主になついて離れず付き従うことから、煩悩の比喩としてもいう。*発心集〔一二一六(建保四)頃か〕序「擒(そとも)のかせぎ緤(つなぎ)がたく、家の犬(イヌ)常になれたり」*謡曲・通小町〔一三八四(元中一/至徳元)頃〕「さらば煩悩の犬となって、打たるると離れじ」(3)主人に忠実に仕える者。*太平記〔一四C後〕三九・神功皇后攻新羅給事「神功皇后御弓の末弭(うらはず)にて、高麗の王は我が日本の犬也と石壁に書付て帰らせ給ふ」*三河物語〔一六二六(寛永三)頃〕三「御普代之衆は、よくてもあしくても御家之犬にて罷出ざるに、せざる高名を立させられ」(4)こっそりと人の秘密をかぎつけて告げ知らせる者をおとしめていう。まわし者。間者。探偵。スパイ。*浄瑠璃・冥途の飛脚〔一七一一(正徳元)頃〕下「こなたのことで此の在所(ざいしよ)は、大坂からいぬが入」*浄瑠璃・平仮名盛衰記〔一七三九(元文四)〕一「一両年以前より梶原殿を頼み頼朝公へ心を寄せ、義仲の身の上、嚔(くつさみ)一つしられた迠、犬に成(なつ)てつげしらせし某(それがし)」*滑稽本・浮世風呂〔一八〇九(文化六)〜一三〕二・下「一力へ犬(イヌ)になって入込(いりこむ)か」*火の柱〔一九〇四(明治三七)〕〈木下尚江〉一八・二「政府の狗(イヌ)となって〈略〉一一政府へ密告して居る」*あめりか物語〔一九〇八(明治四一)〕〈永井荷風〉夜の女・三「探偵(イヌ)が這入ったんで縁起でもないから」(5)岡っ引きのこと。*随筆・守貞漫稿〔一八三七(天保八)〜五三〕六「江戸にて此徒を岡引と云、おかっぴきと訓ず〈略〉鄙にては此徒を称して犬と云」(6)警官をいう隠語。〔日本隠語集{一八九二(明治二五)}〕*人間失格〔一九四八(昭和二三)〕〈太宰治〉第二の手記「へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをさう呼んでゐました)にあやしまれ不審訊問などを受けてしくじるやうな事も無かったし」(7)御殿女中に召し使われる少女。お犬。*雑俳・柳多留‐二五〔一七九四(寛政六)〕「ひとり娘だとかへって犬が言い」*雑俳・柳多留‐一〇四〔一八二八(文政一一)〕「だに程な銀をお犬に包みかね」(8)人を卑しめ、ののしっていう語。こいつめ。*浄瑠璃・大覚大僧正御伝記〔一六九一(元禄四)頃〕二「我我が出家はいぬめが仕合、とうとう帰れとののしれば」*歌舞伎・韓人漢文手管始(唐人殺し)〔一七八九(寛政元)〕一「おいらに無い名を付けさらして、其尻もゑふ捌(さば)かず、迯(にげ)吠へにする爰な犬め」(9)犬追物(いぬおうもの)のこと。*狂歌・金言和歌集〔一四九二(明応元)〜一五〇一(文亀元)頃〕「都には たかきいやしき もろもろの 家の人々 おりおりは うたひさかもり つらねうた〈略〉犬かさがけに 日をくらし」(10)(1)は、人の守りとも魔よけともなり、物の怪(け)を追い払うというところから、幼児の額に「犬」の字を書いたり、そばに犬張子などを置いたりする、その文字や玩具のこと。*為房卿記‐康和五年〔一一〇三(康和五)〕八月二七日「右衛門督宗通卿御額奉レ書二犬字一」*菟玖波集〔一三五六(正平一一/延文元)〕雑体「犬こそ人の守なりけれ みどり子のひたひにかける文字を見よ〈良阿〉」【二】雅楽「狛犬(こまいぬ)」のこと。*中右記‐寛治二年〔一〇八八(寛治二)〕七月二七日「犬 攏二人、猿楽 中有二雑芸一、吉干、事了還御本殿之後」【三】〔接頭〕名詞の上に付ける。(1)卑しめ軽んじる気持、軽蔑の気持を表わす。*宇津保物語〔九七〇(天禄元)〜九九九(長保元)頃〕蔵開下「大臣(おとど)つまはじきをして、『女ごもりたらん人は、よきいぬ乞食(かたゐ)なりけり』」*虎明本狂言・伯養〔室町末〜近世初〕「さかもりの、ざしきに人のよせざれば、いぬこうとうはかどにたたずむ」*浄瑠璃・烏帽子折〔一六九〇(元禄三)頃〕一「にげぼえの犬侍、臆病(をくびやう)臆病とぞわらひける」(2)(「いな(否)」からか)よく似てはいるが、実は違っているものを表わす。「犬桜」「いぬつげ」「いぬたで」など。(3)役にたたないこと、むだであることを表わす。「犬死に」など。*人情本・春色梅児誉美〔一八三二(天保三)〜三三〕後・七齣「犬(イヌ)骨折って鷹の餌(ゑ)となりもやせんと廻り気は」【語誌】(1)平安時代では、「源氏‐浮舟」に「里びたる声したるいぬともの出できてののしるもいと恐ろしく」などと描かれて以降、里の犬の鳴き声が新古今歌人らに淋しいところの臨場感を出すものとして用いられた。また、仏教説話では犬が人に生まれ変わり人が犬に生まれ変わる転生譚を因果応報と説いたり、犬を煩悩の比喩としたりする。(2)犬の鳴き声を「ワンワン」と記した文献は、現在のところ、(1)に挙げた「虎明本狂言・犬山伏」の例が最も古く、以後、江戸時代の噺本・滑稽本等に見える。また、遠吠えの声として「べうべう(びょうびょう)」というものもあり、江戸時代初期の「狂言記」以降、俳諧・浄瑠璃等に見える。さらに、「けいけい」という鳴き声が「古今著聞集」に見える。【方言】告げ口をすること。《いぬ》奈良県678島根県邇摩郡725【語源説】(1)鳴声か。ワンワンのワがイに転じたか〔大言海〕。鳴声ウエヌの転〔松屋叢考〕。(2)外来語か。あるいはイナル(ウナル)の語幹イナの転か〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(3)遠くからでも飼主のもとへイヌル意〔和句解・日本釈名・紫門和語類集〕。(4)イは、イヘ(家)の約音ヱの転、ヌは助詞〔東雅〕。イヘ(家)のヌヒ(婢)か〔和句解〕。(5)イヌル、即ち家に寝る義〔日本声母伝・和訓栞・言葉の根しらべ=鈴江潔子〕。ヲリヌル(居寝)の約〔和訓集説〕。(6)イネヌ(寝)の意〔和語私臆鈔・日本語原学=林甕臣〕。(7)イヌは犬、ヱヌは犬の子で区別するのが正しいが混同している〔箋注和名抄〕。(8)古語のエヌから転じ、エヌは「犬」の別音Yen である〔日本語原考=与謝野寛〕。【発音】【一】〈なまり〉イニ〔岩手・福井・飛騨〕イヌン〔和歌山県〕イノ〔津軽語彙・岩手・山形・福島・茨城・栃木・石川・信州上田・飛騨・志摩・伊賀・南伊勢・大和・鳥取・島根〕イン〔長崎・鹿児島〕イン〔岩手・千葉・新潟頸城・富山県・石川・福井・福井大飯・志摩・鳥取・島根・広島県・佐賀・対馬・島原方言・熊本分布相・大分・大隅・鹿児島方言〕インヌ〔広島県〕エニ・エノッコ〔岩手〕エヌ〔埼玉・埼玉方言・富山県・鳥取・広島県〕エノ〔岩手・埼玉方言・新潟頸城・飛騨・鳥取・島根〕エン〔岩手・千葉・新潟頸城・富山県・石川・鳥取〕エンナ〔新潟頸城・富山礪波〕ユェッコ〔福島〕〈標ア〉[ヌ]〈ア史〉平安・鎌倉○○江戸●○〈京ア〉[イ]【辞書】色葉・名義・下学・和玉・文明・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【犬】色葉・名義・和玉・文明・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【狗】和玉・文明・天正・易林・書言・言海【獹】色葉・名義・下学・和玉【㺃】色葉・名義・和玉【瞶】名義・和玉【尨】名義・易林【狵・犴・獒】色葉【獚・獫・狾・𤟥・幤・𧱾】和玉【同訓異字】いぬ【犬・狗・戌】【犬】(ケン)イヌ科の動物。「犬猿」「犬歯」「番犬」《古いぬ》【狗】(ク・コウ)こいぬ。また、いぬ。用法は狭く、一部熟字などに用いる。「羊頭狗肉」「走狗」「良狗」《古いぬ・ゑぬ》【戌】(ジュツ)一二支第一一番目のいぬ。「戌亥(いぬい)」「戊戌(つちのといぬ)」《古いぬ》


わん‐わん【一】〔副〕(「と」を伴って用いることもある)(1)犬のほえる声、犬の鳴く声を表わす語。*虎明本狂言・犬山伏〔室町末〜近世初〕「いぬ、わんわんといふてかみつかふとする」*滑稽本・七偏人〔一八五七(安政四)〜六三〕三・下「大愚の足もとに寝て居し犬が、わんわんと大愚の裾へ噛み付けば」*社会百面相〔一九〇二(明治三五)〕〈内田魯庵〉犬物語「俺を桀の狗だとは失敬極まる─、此奴め、ワンワンワンワン」(2)人が声をあげて泣くさまを表わす語。*滑稽本・浮世床〔一八一三(文化一〇)〜二三〕初・上「わんとばかりに泣きしづむわわんわんわんわんわん」*防雪林〔一九二八(昭和三)〕〈小林多喜二〉七「女や子供に、ワンワン泣かれると、沢はすっかりオロオロして」(3)大声でわめき騒ぐさま、また、その声や音のうるさく反響するさまなどを表わす語。*狂言記・鬼清水〔一七〇〇(元禄一三)〕「七つ過ぎて人のこぬ所へ、おのれめが来た、一口に取って噛まう、わんわんと申すほどに」*吾輩は猫である〔一九〇五(明治三八)〜〇六〕〈夏目漱石〉六「わんわんと何だか鼓膜へ答へる程の響がしたので」*放浪時代〔一九二八(昭和三)〕〈龍胆寺雄〉二・二「蚊の襲撃が猛烈になった〈略〉僕たちのぐるりでワンワンうるさく羽音を立てた」【二】〔名〕(その鳴き声から)犬をいう幼児語。わんこ。わんわ。*滑稽本・浮世風呂〔一八〇九(文化六)〜一三〕前・上「わんわんのばばっちいを踏うとしたよ」*雑俳・机の塵〔一八四三(天保一四)〕「早うお出・それうしろからわんわんが」【方言】【一】〔副〕(1)大声で怒るさまを表わす語。《わんわん》島根県美濃郡・益田市「親爺がわんわん怒り散らかした」725(2)火の盛んに燃えるさまを表わす語。《わんわん》宮崎市947【二】〔名〕化け物。お化け。幼児語。《わんわん》福岡市877熊本県玉名郡929下益城郡930《わん》鹿児島県鹿児島郡【発音】〈なまり〉【二】はバンバン〔志摩〕ワンワ〔千葉〕〈標ア〉[ワ]〈1〉〈京ア〉[ワ]〈2〉/【一】は[ワ]〈1〉 【二】は(ワ)〈2〉【辞書】言海【表記】【唁唁】言海