萩原 義雄 記

新緑の若葉に併せて、躑躅花、薔薇花、藤の花という木花から菫、鈴蘭、百合という草花まで百花繚乱の季節ならでは花々が咲き誇っている。花の芯には大きな蜂やこがね虫が蜜を求めて訪れていた。この蜂が新たな巣を構える時季でもある。その蜂の栖が急に何かの拍子で人前に落ち、巣づくりに精出していた蜂の群れが飛散する話しが、源顯兼撰『古事談』に登場している。

ここに登場する京極の大相国である藤原宗輔は、この蜂に刺されまいかと慌てふためく人々のなかに合って、実に冷静な振舞いでこの飛び交う蜂の群れに対応する。何と熟れた一総(ひとふさ)の枇杷の実を琴の爪で皮剥きし、これをただただ蜂に与えるのである。

この皮剥きに用いた具が「琴の爪」と云う何とも言えぬその機智さが感じられ、枇杷ノ実との取り合わせが、さも後世に広まりを見せているかと思い問えば、これが意外に知られていないことに驚ろくばかりなのである。庖丁を使わず、やおら剥き出している。

人を刺す蜂を飼う譚は、他には『今鏡』第六、『十訓抄』第一などにも所見する。甘き蜜を好む蜂たちも都会の甘味な液(飲みかけの缶ジュース)に群がる。屋外での活動が多くなってくる頃合いに思いがけない生き物との遭遇に対応する智惠を多くの人が是非身につけておきたい。

もう一つ、健康生薬としての枇杷ノ実や葉の効能も忘れてはなるまい。ビタミンB17がもたらす効能は万病薬とされ、焼酎漬けにし二年ほど寝かしたエキス液を使う。

枇杷ノ実は、初夏という季節の贈り物として、今も珍重されてきている。枇杷の産地は、長崎県そして、千葉県房総富浦(本学セミナーハウスがある)が事に名が知られている。

宝永四年書写『古事談』〔国会図書館蔵〕第一・九二「京極大相国宗輔、蜂を飼ふ事」に、
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【本文翻字】
京極大相國被蜂之事。世以稱無益事。(而)五月比於鳥羽殿蜂
栖俄落テ御前多ク飛散スレバ、人々モサヽレシトテニケ(迯)サワキケルニ相國御前
枇杷ノ有ケルヲ一総(フサ)トリテ、コトツメニテカハヲムキテサシアケラ(レ)タリケレバ、蜂
アルカギリツキテ、チラサリケレバ、乍付召共人ヤハラ給ケリ。院モ賢、宗輔
カ{居申}候テト、被レ仰テ令感御(給)ケリ。
 
【現代語訳】
京極の大相國(藤原宗輔)蜂を被二飼われた事。世をもって無益な事だと稱す。そう五月のころ、鳥羽殿において蜂の栖がにわかに落ちて、御前に多く飛び散りければ、その場に居合わせた人々も刺されないようにと身を守って逃げ騒ぎ立てたのだが、相國だけが御前に枇杷ノ実が置かれてあったのを一総(フサ)手に取り、琴の爪で皮を剥き、みずみずしい枇杷ノ実を差し上げたところ、蜂はありったけ実に着いて、飛び散らなかったので、取り付いたまま供人を召し寄せて素早く処理なされたという。鳥羽院も、「機智の賢しさ、宗輔がこの場に居ってのことぢゃよ」と、仰せられて御感なされたそうな。
 
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