萩原 義雄 記

ほとけを祈念申しあげる文言として、「南無平等大會講明法華」といった唱え文句が古典作品である『讃岐典侍日記』上卷に記載されている。書き手は藤原長子という当代の帝であった堀河天皇に八年仕えた女人である。この唱え言も帝が病の癒えることもなく29歳の若さで身罷る今際の際に口にのぼらせたことばを記憶するままにこの日記に綴った。

人として、「佛(ほとけ)」と共生したいと祈る思いは尽きない、この四月八日は、「花祭り」=お釋迦さまのご誕生を心から祝う時でもある。幼子たちは、「ののさま」と呼称してきた。狂歌『堀河百首題狂歌集』〔1671(寛文11)年〕秋に、「みどり子のののとゆびさし見る月や教へのままの仏成らん」と詠われている。

日々の営みにも「平和」そして「安定」という政治社会が臨まれようとしている。こうしたなかにあって、大学人として、新たな学生、そして彼等を支えるご両親をはじめとする多くの支援者を迎え、「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」(我ヲ助ケタマエ、のの様)と唱え、共に生きるにふさわしい道筋と目標の指針を明らかにしていく場でもあり、時でもある。

この四月、これを象徴する建物「種月館」がキャンパス内にオープンする。この「種月」名の由来は、日本の国語辞典には見えない。唯一、『日本人名大辞典』の人名項目に「南英謙宗」に、「越後(新潟県)耕雲寺」「文安三年越後種月(しゆげつ)寺」と対語記して見えている名でもある。そして今、「耕雲館」「種月(しゆげつ)館」とが謂われある建物として立ち並んだ。如何に活用し、どう表象するかは、百年後の未来学校史として刻まれることになろう。

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《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
さぬきのすけのにっき【讚岐典侍日記】日記。二巻。讚岐典侍(藤原長子)著。小序と巻末部を除くと、嘉承二年(1107)六月から翌年12月晦日(みそか)までの記事で、上巻には堀河天皇の発病から崩御まで、下巻には鳥羽天皇に出仕しながら、堀河天皇の頃をしのぶ明け暮れがしるされている。さぬきのてんじにっき。【発音】〈標ア〉[ケ]
三省堂『大辞林』
さぬきのすけのにっき【讃岐典侍日記】日記。二巻。讃岐入道藤原顕綱の女(むすめ)長子作。天仁年間(1108(天仁元)~1110(天永元))の成立か。堀河天皇の発病から崩御までを記した上巻と,鳥羽天皇の即位から大嘗会までを記した下巻とから成る。
のの‐さま【─様】〔名〕(「さま」は接尾語)(1)幼児語。「のの(1)」を敬っていう。のんのん。ののさん。*俳諧・談林十百韻〔1675(延宝三)〕上「夕間暮なく虫薬虫くすり〈一朝〉あれ有明のののさまを見よ〈一鉄〉」*浮世草子・男色大鑑〔1678(貞享四)〕六・一「彼忰子(かのせがれ)いたいけしたる手をあはして、あれはののさまかと目もふらず拝みける社(こそ)おかしけれ」*浄瑠璃・〓狩剣本地〔1714(正徳四)〕三「未来ではののさまに褒めらるるぞ」*滑稽本・浮世風呂〔1809(文化六)〜一三〕二・下「おほかたけふは、神(ノノ)さまへ連てお出だらうぞ」*人情本・明烏後正夢〔1821(文政四)〜二四〕五・二三回「祖母様は、仏(ノノ)様さまとやらにならしゃるし」(2)痴愚で子どものような人をあざけっていう語。俚言集覧〔1797(寛政九)頃〕「のの様〈略〉又不爽利の人を小児に喩へてののさまと云」【方言】(1)僧侶(そうりよ)。《ののさま》東国† 035 秋田県北部068 茨城県稲敷郡193 新潟県下越387 《のんさま》茨城県稲敷郡193 千葉県海上郡・香取郡285(2)巫女(みこ)。《ののさま》長野県佐久484(3)明かり。幼児語。《のおのさま》静岡県田方郡521(4)火。幼児語。《のおのさま》静岡県引佐郡521(5)雷。《ののさま》秋田県山本郡130(6)お星様。幼児語。《のおのさま》静岡県521(7)ひとみ。幼児語。《ののさま》岐阜県加茂郡052(8)肥料を入れないままの田。《ののさま》新潟県中頸城郡382(9)お人よし。《のおのおさま》岡山県苫田郡749(10)良家の長男。《のんさま》秋田県北秋田郡130 【発音】〈なまり〉ナンナサマ〔岐阜・飛騨〕ナンナンサマ・ノンノサマ〔飛騨〕ノンサマ〔秋田〕〈標ア〉[ノ]〈1〉[ノ]〈2〉〈京ア〉(ノ)〈2〉【辞書】言海のの〔名〕
(1)幼児語。神・仏や日・月など、すべて尊ぶべきものをいう語。のんのん。*狂歌・堀河百首題 狂歌集〔1671(寛文一一)〕秋「みどり子のののとゆびさし見る月や教へのままの仏成らん」*浄瑠璃・津戸三郎〔1689(元禄二)〕道行「ねんねこせ、ねんねこせ、音せでおよれ、ののへ参ろ」*雑俳・住吉御田植〔1700(元禄一三)〕「追付て・ののへ参ろといふ子共」*浄瑠璃・小野道風青柳硯〔1754(宝暦四)〕三「弁(わきま)へ知らぬ稚子が、鉦(かんかん)が鳴る、仏(ノノ)参ろ、と仏(ほとけ)頼むも」
(2)目上の人をいう語。*俳諧・俳諧歳時記〔1803(享和三)〕上・四月「八瀬祭〈略〉矢背一村凡百軒ばかり父老或は上たる人をののといふ」【方言】(1)僧侶(そうりよ)。《のの》千葉県(老僧)261 上総(老貧僧)062 《ののお》茨城県062188193 千葉県265268271 《のおのお》東京都大島326(2)托鉢(たくはつ)の乞食僧。鉢坊主。《ののお》信濃† 090(3)巫女(みこ)。《のの》長野県佐久493 《ののお》長野県054475493(4)明かり。幼児語。《のおの》茨城県北相馬郡195 《のおのお》新潟県347(5)火。幼児語。《のおの》岐阜県郡上郡498 島根県邑智郡735(6)たき火。幼児語。《のの》島根県邑智郡・邇摩郡724 《ののお》島根県邑智郡725(7)花。幼児語。《のおの》千葉県安房郡054 《のおのお》沖縄県首里993(8)文字。幼児語。《のの》山形県050139(9)本。幼児語。《のの》山形県南置賜郡139 米沢市149(10)曾祖父(そうそふ)、曾祖母(そうそぼ)。《のの》千葉県君津郡301 《のおの》千葉県君津郡040 《のおのお》千葉県山武郡271(11)曾祖父。《ののお》神奈川県横浜市054 《のおのおじいさん・ののおじさん・ののじいさん》千葉県山武郡271(12)曾祖母。《のおの》千葉県山武郡269 《のおのばば・のおのおばあさん・ののおばさん・ののばあさん》千葉県山武郡271(13)祖父。《のの》福井県431 《のおの》千葉県山武郡271(14)祖母。《のの》上総† 020 千葉県山武郡271(15)父。《のの》越前† 020徳島県美馬郡808 宮崎県西臼杵郡(老父)948(16)兄。《のの》三重県度会郡599(17)男の子を敬って呼ぶ語。《のの》秋田市062 高知県863 安芸郡861 高知市867 《のん》高知市867 【語源説】(1)鳴神(なるかみ)の音をいう「ノノメク」から出た語か〔久保田の落穂〕。(2)如来の意の「如々」の転か〔物類称呼〕。(3)「ノム(祈)」の転か〔嬉遊笑覧〕。(4)「南々」の義。「南」は「南無阿彌陀仏」の「南」〔燕石雑志〕。【発音】〈標ア〉[ノ]〈1〉[ノ]〈2〉
日本人名大辞典
南英謙宗(なんえい-けんしゅう) 1387−1460 室町時代の僧。嘉慶(かきよう)元=元中四年生まれ。曹洞宗(そうとうしゆう)。京都相国寺の大岳周崇(だいがく-しゆうすう)について出家する。のち梅山聞本(もんぽん)、石屋真梁(しんりよう)に師事し、越後(えちご)(新潟県)耕雲寺の傑堂能勝にまなんでその法をつぐ。文安三年越後種月(しゆげつ)寺をひらいた。長禄(ちようろく)四年五月十九日死去。七十四歳。薩摩(さつま)(一説に京都)出身。別号に三謙道人。著作に『五位秘訣』など。


テレビドラマ「相棒」シーズン6「複眼の法廷」で、小野田官房室長室の壁に掛けてあった「釣月耕雲」という掛け軸は、『永平広録』巻十(山居)の第二聯に「釣月耕雲慕古風」と見える語録です。そして、江戸時代の良寛和尚に「種月耕雲」の書があり、『大智禅師偈頌』の「伴を借りて異類中に経過し、耕雲種月、家風を起こす」に由来するという。