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秋の空を見上げる。澄み切った空気は、音の波動にもひとしお素敵な音色を響かしている。此の月はじまりには、本学でもオータムフェスティバルが催され、多岐にわたる文化活動、スポーツ活動などが活発に催されてきた。

電子メールは、どんな遠くの友にも寸時に心を通わせ、実に便利な代物だが、人と人の意思疎通が途切れたとき、互いに語りかける機会が失われるきっかけともなりかねない。手紙と何が異なるかと云えば、記憶の片隅から遠のいた情報は、総べてお蔵入りしやすい点である。文字であれ、写真画像であれ何処にしまったかすら忘れてしまう。

やはり、覚書きメモや手紙、写真などは、直接手にとって即座に見ることで、電子情報にない人の日々の機微を読み取るに必要不可欠であることに氣づかされる。今月はじめのニュース情報で、村上春樹さんがご自身の「生原稿や資料ががたまって自宅にも事務所にも置ききれなくなった。散逸したら困る。母校の早大が場所を作ってくれることになり、僕の作品を研究したい人の役に立てれば、それに勝る喜びはない。僕の作品に限らず国際的な文化交流のきっかけになればと思う」と会見した記事が話題となった。とりわけ、初期作品の手書き原稿は百年後の資料としてみても貴重な存在感を漂わせていると吾人は思う。

身近な日々の積み重ねを紡いでその記録を人々がどう整理し、管理しきれるか、今間近につつきつけられた大きな課題となっている。心に残る思いの丈をどう遺してみせようかと考える時でもあった。何を隠そう吾人も作業場とする部屋を良きにつけ今月間もなく引っ越すことになった。片付ける時が続いている。