萩原 義雄 記

白居易の詩句に「言下忘言一時、夢中説兩重虛ナリ」と言う。異なる二つの台風がもたらした各地での農産物における被害は絶大な状況化にあることが農林水産省の被害報告か
ら明らかとなってきた。口に出して言うは単簡であっても、口を閉じて何も説かないことは何と「口を開かず閉じず」と評した禪僧無門のことばへと向かっていくから不思議だ。

良き食材は、人に潤いと艶ややかな健康な身体をつくる食源であり、これを糧に身心の支えともなるようにゆったりゆったりと一歩ずつ歩み続けるエネルギーの原動力に展開するからだ。そして、疲れたらぐっすりと眠る。浅い眠りのなかで見る夢はまさに幻のようなもので、はっきりとした見定めとはならない。となれば、とにもかくにも熟睡を重ねることで、目醒めたときに再び、食材を口にし、再び元気に活動を続けていく。絶えずこの繰り返しを人は忘れてはなるまい。

では、自然環境がもたらす一つひとつの現象を「砂を嚙むような」思いで解決策を拱いているよりは、真の己れにぴったりと寄り添い、真の己れに目覚めてみてはどうだろう。言い換えれば、自分の行ったことに常に確信をもつことが出来るのであれば、他人に褒められようが貶されようが泰然自若として何ごとにおいても揺れ動くことはなかろう。

近い昔、落語家の三遊亭痴楽さんの「痴楽綴り方教室」にて、「空があんなに青いのも、あの電信柱が高いのも、あの郵便ポストが赤いのも、みんなあたしが悪いのよ、いいのいいの、ほっといて。そんな几帳面に考えてたら生きられないの。ケセラセラだよ」という自分に関わりのないものごとを並べ立てておいて、これを自分の所為とすることによって、人から責められている自分でも実は正しいと言い聞かせる高級話術のテクニックの文言を今一度甦らせておくことにした。

補注
白居易の詩典拠:『詩林良材』第五冊後編五オ8・11
親見出しすな【砂・沙】
すなを噛(か)むよう(砂を噛んだように味気のないの意から)物のあじわいがない。無味乾燥で興味がわかない。*雑俳・軽口頓作〔一七〇九(宝永六)〕「時による・今(こん)夜の念仏すなをかむ」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)~〇一〕〈徳富蘆花〉五・六「馬太伝第一章から読み始めた。宛(さ)ながら砂を噛む様だ」*苦の世界〔一九一八(大正七)~二一〕〈宇野浩二〉三・二「まったく砂をかむやうな味しかしない夕飯をすますと」

『無門関』小学館『日本国語大辞典』第二版
むもんかん[ムモンクヮン]【無門関】中国、南宋の禅書。一巻。無門慧開著。一二二八年成立。すぐれた公案四八則を選び、これに頌と評唱を加えたもの。悟りへの道の手がかりとして、禅宗で、きわめて尊重される名著。【発音】〈標ア〉[モ]

痴楽綴り方教室
小学館『日本国語大辞典』第二版
つづりーかた【綴方】〔名〕(1)いくつかのものを縫ったり、とじたりするときの、その方法。(2)文字、特に単音文字(アルファベット)を組み合わせて単語を書き表わすときの、その文字の組み合わせと排列のしかた。*理学協会雑誌ー明治一八年〔一八八五(明治一八)〕八月・本会雑誌を羅馬字にて発兌するの発議及び羅馬字用法意見〈田中館愛橘〉「文の綴り方迄も[の][に]などの字を離して書くべしと定められしが」*東洋学芸雑誌‐明治二七年〔一八九四(明治二七)〕四月・文字と教育の関係〈井上哲次郎〉「其二十六字と其綴方を覚ゆるには」(3)旧制小学校の国語に関する課業の一つ。かなづかいをはじめとして、書きことばとしての文章を作る方法、また、その作業。作文。*小学読本〔一八八四(明治一七)〕〈若林虎三郎〉一「実物或は図画によりて観念を開発して後之を表出すべき文字を与へ且其の綴り方を理解せしめんことを要す」*小学校令施行規則(明治三三年)〔一九〇〇(明治三三)〕「尋常小学校に於ては初は発音を正し仮名の読み方、書き方、綴り方を知らしめ〈略〉文章の綴り方は読み方又は他の教科目に於て授けたる事項児童の日常見聞せる事項及処世に必須なる事項を記述せしめ」
*足跡〔一九〇九(明治四二)〕〈石川啄木〉「算術、読方、綴方から歴史や地理、〈略〉なども授けた」【補注】(3)の学校制度上の名称では、明治三三年(一九〇〇)以前が「作文」、それ以後昭和二〇年(一九四五)まで「綴り方」、第二次世界大戦後また「作文」となった。【発音】〈標ア〉[カ][タ]〈京ア〉[0]