萩原 義雄 識

「個体」ということばがある。この反対語が「群体」となる。私たち人類も個体であり、その個体が集合して、家族、村落、国家という社会を形成しています。
三島由紀夫著『春の雪』豊饒の海〔三十三〕に、乳母から語り聞かされた「本生経(ジヤータカ)」の話しが持ち出され、「仏陀(ぶつだ)でさえその過去世では、菩薩(ぼさつ)として、金の白鳥、鶉(うずら)、猿、鹿(しか)の王などに、つぎつぎと生まれ変わったのだから、僕たちの過去世は何だっただろうかとあてっこをして興じていたのです。」〔二七七頁〕とし、一つの世話「金の白鳥」譚を主人公清顕と本多は聞くのです。「菩薩とは、未来で仏の悟りをひらくにいたる前の、修行者の姿であって、仏陀も過去世では菩薩であられたのです。その修行とは、無常菩提を求め、衆生を利益(りやく)し、諸波羅蜜(はらみつ)の行を修めることですが、菩薩としての仏陀は、さまざまな生類に転生されながら、善行を積まされたのだと云われています。」ここで、三島は「生れ変りの考えは、肉体は連続しなくても妄念が連続するなら、同じ個体と考えて差支(さしつか)えがありません。個体と云わずに『一つの生の流れ』と呼んだらいいかもしれない」と記述しています。

ちょっと長く引用していますが、この数ヶ月で今目の前で起きていることが、社会構造の異変化と捉えたとき、何を時分は必要とするのか、これは高度教育においても大きな舵を切る大変革期を迎えていることにつながっています。当に学びの個別化は、個体がなす良好な感度を手ずから育む時間帯と捉えて良いのではないでしょうか。自身が学びの愉しさを探究してこそ、己れのコミュニティの場が得られることに氣づくときと思っています。あなたがこの「金の白鳥」となったのなら、どう行動し、どう受け止めるのか?元妻の貪欲さを見極めることができたのもつぎの世に移行した別世界だったとは、そのお粗末さがここには潜んでいます。戻れるものならば、戻ってみたい。だが戻れないのがこの現実などだと。

さればこそ、何の躊躇いもなく、勉強してさらりと生きてみようではないか。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
こ-たい【個体】〔名〕(1)哲学で、一つ一つに分かれても自己の特質と存在を失うことのないものをいう。大小に関係なく、それだけで一つの全体としてのまとまりをもつもの。個物。*哲学字彙〔一八八一(明治一四)〕「Individual 各自、個体」*草枕〔一九〇六(明治三九)〕〈夏目漱石〉三「果ては魂と云ふ個体を、もぎどうに保ちかねて」*竹沢先生と云ふ人〔一九二四(大正一三)~二五〕〈長与善郎〉自序「全体なる宇宙の中に於ける個体の位置とその運命」(2)生物学で、一個の生物として生存するのに必要な機能と構造を備えた生物体を、群体に対していう。高等な生物では個々の生物が相当するが、原始的なものでは集合して群体をつくり、個体と群体との区別が明瞭でない場合がある。*写生紀行〔一九二二(大正一一)〕〈寺田寅彦〉「個体が死んでも種(スペシース)が栄えれば国家は安泰である」*志賀直哉論〔一九五三(昭和二八)〕〈中村光夫〉内村鑑三・二「これはこの本能の目的が個体の生存よりむしろ種族の存続にあることから来るのかも知れませんが」【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)
 
本生経(ジヤータカ)の物語=三島由紀夫『春の雪』(豊饒の海・第一巻)新潮文庫二七八頁から二八一頁

むかしむかし、ある婆羅門(ばらもん)の家に生まれた菩薩は、同じ階級の家から妻を娶(めと)り、三人の娘を儲(もう)けたのちにこの世を去って、遺族は他家へ引取られました。
死んだ菩薩は、次に金の白鳥の胎(はら)に転生しましたが、前生を思い出す智惠を備えていました。やがて菩薩の白鳥は成長して、金の羽根毛におおわれた世にも美しい姿になりあした。水の上をこの鳥がゆくと、影は月影のようにかがやきました。木(こ)の間(ま)を飛べば、梢(こずえ)の葉叢(はむら)は、金の籠(かご)のように透かされました。時あってこの鳥が枝に憩(やす)むと、時ならぬ黄金(こがね)の果実がみのったかのようでした。
白鳥は自分の宿世(すくせ)が人間であったことをさとり、生きのこった妻や娘たちは、他家へ引取られて、賃仕事でかつかつ口を糊(のり)していることを知りました。そこで白鳥が思うには、「私の羽毛の一枚一枚は、打てば延びる金の延べ板として売ることができる。これからは人間界へのこしてきた哀れな貧しい伴侶(はんりよ)のために、一枚ずつこの羽根を与えることにしよう」白鳥はありし日の妻や娘たちの貧しい暮しを、窓からのぞいて哀憐(あいれん)の情にかられました。一方、妻や娘たちは、窓框(まどかまち)にとまって光り輝いている白鳥の姿におどろいて、こう尋ねました。「おや、きれいな金いろの白鳥だこと、お前はどこから飛んできたの」「私はお前たちの、良人(おつと)であり父親であった者だ。死後、金の白鳥の胎に生れ変ったが、どうしてお前たちに会いに来たからには、苦しい暮しを楽にしてやろう」と白鳥は一枚の羽根を与えて飛び去りました。こうして白鳥が時折やって来ては一枚ずつ羽根を与えて去るので、母子の暮しは目立って豊かになりました。ある日のこと、母親が娘たちに言うには、「禽獣(きんじゆう)の心はわからない、お前たちのお父様の白鳥も、いつここへ来なくなるかわからない、今度来たらその折に、のこらず羽根をむしってしまおう」「ああ、むごいお母様!」と娘たちは嘆いて反対したが、欲の深い母は、ある日飛来した金の白鳥をおびき寄せ、両手でつかんで、のこらず羽根毛をむしり取ってしまいました。しかし、ふしぎなことに、むしり取るそばから、さしもの黄金(こがね)の羽毛も鶴(つる)の羽根のように白くなってゆくのでした。飛べなくなった白鳥を、前世の妻は、大きな壺(つぼ)に入れて餌付かせ、ひたすら又金の羽根が生えてくるのを望んでいましたが、再び生えた羽毛はみな白く、羽根の生え揃(そろ)ったとき白鳥は飛び立って、白いかがやく一点になって雲に紛れ、二度と戻って来ませんでした。・・・・・・これが僕らが乳母からきかされた本生経(ジヤータカ)の物語の一つです。