萩原 義雄 識

人はみなそれぞれ自身に見合ったこだわりを持っている。身近のところで申せば、日常生活での食事の摂りかた一つにしても決して一概に説明できないからだ。

いま、一週間のうちにバナナや卵を摂らない人がどれだけいるのだろうか・・・・・・。スーパーやコンビニでも置いてないところはないくらいだ。牛乳はどうか?白米は、麺麭はどうか?いつの間にか、自身のこだわりがそこには生まれているにちがいない。

いつでも、己れが己れの目標をは大事だ。ノートでも、手帳でも、日誌でも書きとめておくことをお奨めしよう。今でこそ、できることは何か?気づくことを記しておきたい。きっと、読み返すことがなくても、過ぎさりし時をふり返らずとも、大きな見聞がそこにはあるとみたい。
矜恃(きょうじ)」ということばがある。国語辞典を繙くまでもなかろうが、勇気をもって己れが決めたこと、選びだしたことに向けて慌てずゆっくりでいい。徐々に突き進む。それは上を見てもきりがない、下を見ても何もない。どんな小さなことでもやってみることがどれだけ大切か、大切なのだぞと吾人は思う。

最後に、誰れに宛ててでも良い。孤独に暮らすこの時期に拘ることではないが、いま、世の中、コロナ禍にあって、電子メールで入力した味気ない文字でない、手書きの文字で、葉書きでも、手紙でも書いてみようではないか。社会のどこで、どのように自身が動き続けているのかを知る古え人が伝えてきた智惠である。きっと、明日への希望とそこに立つ己れが見えてくるに違いない。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
きょうーじ[キャウヂ]【矜持・矜恃(ジ)】〔名〕自分の能力をすぐれたものとして、他に誇ること。尊大、荘重な態度をとること。自負。誇り。プライド。*童子問〔一七〇七(宝永四)〕上・三六「専持敬者、特事矜持、外面斎整」*南郭先生文集‐三編〔一七四五(延享二)〕七・読雪菴記「温藉可掬、毫無矜持」*読書放浪〔一九三三(昭和八)〕〈内田魯庵〉銀座繁昌記・九「少くも新聞社の存在は銀座の光輝であると高く自ら矜持してゐた」*梅花抄〔一九五一(昭和二六)〕〈田宮虎彦〉「遠い過去に夢を追う敗残者のはかない矜持(キョウジ)である」*呉志ー陸遜伝「或是孫策時旧将、或公室貴戚、各自矜恃、不相聴従【発音】キョージ〈標ア〉[キョ]〈京ア〉[0]/[キョ]