萩原 義雄 識

遊ぶ「あそび場」ということばの響きに、何をどのように反応するのでしょうか。自然界に鳥や獣そして魚や虫が楽しそうに動きまわるさまを人がはじめて生態事象として捉えたとき、「鳥遊ぶ」「魚遊ぶ」ということばとして古くは、『古事記』巻下・歌謡に「於是王子(ここにみこ)また歌曰(うたひたまはく)。しほせの。なをりをみれバ。あそびくる。しびがはたでに。つまたてりみゆ。」と歌われ、『伊勢物語』第九段には「さるをりに、白鳥の、はし(嘴)とあし(脚)とあかきが、しぎ( 鴫)のおお(ほ)きさなる、水上(みづのうへ)にあそびつつ、いを(魚)をくう(食)(ふ)。」と表象しています。虫では蜘蛛の糸を見たとき、陽の光を受けて流 れ乱れるさまを薄い絹織物(漢詩では「碧羅」)にたとえ、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられてきました。『和漢朗詠集』巻下・晴に「かすみ晴れみどりの空ものどけくてあるかなきかに遊ぶいとゆふ〈よみ人しらず〉」と詠われています。「糸遊」、ひっくり返して「遊糸」とも云います。

いま、吾人達は「あるかなきか」の感染症と向き合い続けています。人の目では捉えられない、さらに厄介なことに罹っても陽性の症状反応に至らないため、本人も氣づくまで時間がかかる。しかし、高齢者、身体疾患のある方にとっては命とりになりかねない厄介な病原菌と云わざるを得ません。これも人類が撲滅するには容易でないことは云うまでもないことです。であれば、「糸遊」に云う「あるかなきか」で暮らし、働き、生きていくことになりましょう。このために出来ることは、コミニュケーションの取り方もこれまでとは一八〇度変える勇気が必要となります。この九月が変換始動のはじまりとなります。これに伴い、若者の学び遊びの場である大学キャンパスも「あるかなきか」を受け容れつつ、室内空間の環境を維持しつつ、まさに動き出すことになりましょう。

吉田兼好は、『徒然草』第百二十一段・養ひ飼ふものには、漢籍『書経』・旅獒を引いて「めづらしき禽(とり)、あやしき獣、国に育(やしな)はず」とこそ、文にも侍るなれ」と云っています。囲いこむ、籠めることが最良とは思えないことも見えてきました。ふだん、何もない室内空間を如何に設置できるかが「遊び場」の原点とすれば、何もない学びの場が求められ、異次元空間での出会い方法も夣の話しではなくなるのではと思わざるを得ません。

 
《補助資料》
『徒然草』第百二十一段養ひ飼ふものには、
養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は、守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家ごとにあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなん。
その外の鳥・獣(けだもの)、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅(つばさ)を切り、籠(こ)に入れなれて雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を楽しまんや。生(しよう)を苦しめて目を喜ばしむるは、桀(けつ)・紂(ちゆう)が心なり。王子猷(おうしゆう)が鳥を愛せし、林に遊ぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡(およ)そ、「めづらしき禽(とり)、あやしき獣、国に育(やしな)はず」とこそ、文にも侍るなれ。
「珍禽奇獣、国に育はず」(書経・旅獒)
 
小学館『日本国語大辞典』第二版
あそ・ぶ【遊】【一】〔自バ五(四)〕〔一〕興のおもむくままに行動して楽しむ。神事に伴う舞楽を行なうことがもとといわれるが、広く楽しむ行動をいうようになり、現代では、多く子どもが遊戯する、おとなが運動、行楽、遊興などすることをいう。(1)思うことをして心を慰める。遊戯、酒宴、舟遊びなどをする。*万葉集〔八C後〕一七・三九九一「いや年のはに思ふどちかくし安蘇婆(アソバ)む今も見るごと〈大伴家持〉」*伊勢物語〔一〇C前〕二三「田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを」*古今和歌集〔九〇五(延喜五)~九一四(延喜一四)〕雑上・九二〇・詞書「中務のみこの家の池に舟をつくりて、おろしはじめてあそびける日」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕東屋「碁打ち韻ふたぎなどしつつあそび給ふ」(2)詩歌、管弦、舞などを楽しむ。遊楽をする。*竹取物語〔九C末~一〇C初〕「此程三日うちあげあそぶ」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕俊蔭「ことのねをかきたて、声ふりたててあそぶ時に」*枕草子〔一〇C終〕八一・御仏名のまたの日「ひとわたりあそびて、琵琶ひきやみたる程に」(3)(鳥獣、魚などが)楽しそうに動きまわる。*古事記〔七一二(和銅五)〕下・歌謡「潮瀬の波折(なを)りを見れば阿蘇比(アソビ)来る鮪(しび)が鰭手(はたで)に妻立てり見ゆ」*伊勢物語〔一〇C前〕九「白き鳥のはしとあしと赤き、しぎの大きさなる、水の上にあそびつつ魚(いを)をくふ」*平家物語〔一三C前〕五・勧進帳「嶺猿叫んで枝にあそぶ」(4)いつもいる所を離れて、広い場所で気楽に歩きまわって楽しむ。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕雄略即位前一〇月(図書寮本訓)「郊野に逍遙(アソビテ)」*万葉集〔八C後〕一五・三六一八「山川の清き川瀬に安蘇倍(アソベ)ども奈良の都は忘れかねつも〈遣新羅使人〉」*徒然草〔一三三一(元弘一/元徳三)頃〕二一「嵆康も、山沢にあそびて、魚鳥を見れば心たのしぶ、と言へり」(5)学問を修めたり、見聞をひろめたり、さらには、気晴らしなどの目的で他の土地に行く。遊学する。*中華若木詩抄〔一五二〇(永正一七)頃〕下「ともに洞庭にあそびての詩也」*俳諧・猿蓑〔一六九一(元禄四)〕四「東叡山にあそぶ小坊主や松にかくれて山ざくら〈其角〉」*花柳春話〔一八七八(明治一一)~七九〕〈織田純一郎訳〉一二「既にしてクレーブランドに依り漸く外国に遊ぶ事を得」(6)料亭、遊里などに行って楽しむ。酒色などにふける。遊興する。*洒落本・中洲の花美〔一七八九(寛政元)〕小通の登楼「丁字屋であそんで来たが、中の町も半分の余出来たの」*滑稽本・東海道中膝栗毛〔一八〇二(享和二)~〇九〕八・中「みな惣揚(そうあげ)にして遊(アソ)んだらおもしろかろふ」*当世書生気質〔一八八五(明治一八)~八六〕〈坪内逍遙〉二「必竟(ひっきゃう)書生のうちに遊(アソ)ぶやつは、肝(きも)の少さいおとなしい方で」〔二〕仕事、勉強、働きなど、期待される生産的効果を果していない状態にある。(1)仕事や勉強をしないで、また、職が得られないでぶらぶらしている。上の学校にはいれないで、浪人することにもいう。*狂言記・緡縄〔一六六〇(万治三)〕「いや、あそんでさへをれば、なをりまする」*黄表紙・見徳一炊夢〔一七八一(天明元)〕上「お金はたくさんあり、御苦労な事はなし、年中あそんでおくらしなさる」*当世書生気質〔一八八五(明治一八)~八六〕〈坪内逍遙〉二「常はぶらぶら遊(アソ)んで計(ばかり)居て、試験に優等の点をとるし」*模範新語通語大辞典〔一九一九(大正八)〕〈上田景二〉「あそぶ遊ぶ。中学校を卒業して、上級の学校の試験に落第し、翌年の入学試験までを遊ぶといふ」(2)金、道具、場所などが使われないでいる。*今昔物語集〔一一二〇(保安元)頃か〕一一・一五「王、然れば、一の遊ぶ所の閑なる、令見(みしめ)給へば、童子、其を定(さだめ)つ」*咄本・軽口露がはなし〔一六九一(元禄四)〕二・一三「三十三間と大仏のあひに、大き成鐘(かね)にて常住あそんで有」*怪談牡丹燈籠〔一八八四(明治一七)〕〈三遊亭円朝〉一八「誠に商人抔(なぞ)は遊んだ金は無(ない)もので」*桑の実〔一九一三(大正二)〕〈鈴木三重吉〉一七「そこらの柱に遊んでゐる釘を」*星座〔一九二二(大正一一)〕〈有島武郎〉「遊んでゐる右の手で」(3)工学上、応力を受けるはずの物がそれを受けていなかったり、付着するはずの物がしていない状態になる。〔改訂増補日本建築辞彙{1931}〕(4)本気で立ち向わず、わざと気を抜いた態度をとる。野球で、投手に有利な条件の時、打者の打ち気をそらすために、ボールになる球を投げるなどはその一例。【二】〔他バ四〕(1 ) (楽器や曲名を目的語にして)舞楽を行なう。奏する。*古事記〔七一二(和銅五)〕中「我が天皇、猶其の大御琴阿蘇婆(アソバ)せ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕椎本「つぎつぎひき出で給ひて、一越調(いちこつてう)の心に、桜人あそび給ふ」(2)人をからかう。もてあそぶ。*滑稽本・東海道中膝栗毛〔一八〇二(享和二)~〇九〕二・上「いまいましい。けっくあっちにあそばれた」*歌舞伎・心謎解色糸〔一八一〇(文化七)〕四幕「『この左七を、汝(うぬ)はてんから遊(アソ)ぶ気だな』『のろいお前と思ったゆゑサ』」*人情本・春色梅児誉美〔一八三二(天保三)~三三〕後・七齣「ヲヤくやしい。遊(アソ)ばれるとは気がつかなんだ」【語誌】(1)平安時代に「あそぶ」は管弦の遊びに限定されると説かれることもあったが、これは物語文学の位相性によるものであり、上代以来、管弦のほか、歌舞、狩猟、宴席などにもいい、本来は祭祀に関わるものであったか。「日常性などの基準からの遊離」が原義か。そこから、遊興など楽しむ行動に展開し、一方、通常の機能をしない「遊んで暮す」などの用法も生じたと考えられる。(2)類義の「たわむれる」は働きかけの相手を持つが、「あそぶ」はそれを必要としない。だから「トランプで遊ぶ」ことは出来るが「トランプでたわむれる」ことは出来ない。また、「たわむれる」はまともな目的性が希薄であることに意義の力点があり、「たわむれにトランプ占いをする」などと言うが、「あそぶ」は遊興の場合でさえ目的性をもつ活動である。ただし、それは生産的な活動でないのが特徴で、それ故に【一】〔二〕のような意義に用いられる。【語源説】(1)「アシ(足)」の転呼アソをバ行に活用したもの〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(2)遊・游の漢字音「at」から来たもの〔語源類解=松村任三〕。(3)「アソブ(息進振)」の義〔日本語源=賀茂百樹〕。(4)もと禁中御遊のことをいった、「アカスベ(明方)」の義〔名言通〕。(5)「アソフ(天染歴)」の意〔紫門和語類集〕。(6)「アソ」は「アサオ(朝起)」で、朝廷の遊びからおこったという〔国語本義〕。(7)「アススム(彌進)」の義〔言元梯〕。(8)「アタシメハム(ヘル)」の反〔名語記〕。【発音】〈なまり〉アサブ〔土佐〕アシブ〔岩手・山形・福島〕アシンブ〔秋田〕アスブ〔津軽語彙・岩手・山形・福島・栃木・埼玉・埼玉方言・千葉・東京・八丈島・神奈川・新潟頸城・富山県・石川・福井大飯・信州読本・岐阜・飛騨・愛知・静岡・NHK(静岡)・伊賀・京言葉・大阪・鳥取・島根・岡山・瀬戸内・福岡・佐賀・壱岐・大分〕アズブ〔大分〕アスンブ〔仙台方言・秋田〕アソッ〔鹿児島方言〕アソン〔鳥取〕アップ〔岩手・仙台方言〕アップー〔壱岐〕アンブ〔静岡・南伊勢・鹿児島方言〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安●●○ 室町・江戸●●●と○●●の両様〈京ア〉(0)【上代特殊仮名遣い】アソブ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【遊】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・易林・書言・ヘボン・言海【遨】色葉・名義・易林・書言【游】色葉・名義・文明【嬉・媱・枯】色葉・名義・和玉【蕩・熙・惱】色葉・名義【好】色葉・和玉【潎々・濘・戯】色葉【倡・仭・逍・逸・呈・擾・泳・下・糜・放・飄・敖】名義【呻・徘・邏・篠・縿】和玉【宴・読】文明【逍遙】書言

【頭見出】あそ・ぶ【遊】↓あそぶ糸遊(いとゆう)「あそぶ(遊)糸」に同じ。*和漢朗詠集〔一〇一八(寛仁二)頃〕下・晴「かすみ晴れみどりの空ものどけくてあるかなきかにあそぶいとゆふ〈作者未詳〉」*六百番歌合〔一一九三(建久四)頃〕春中・一九番「春来れば靡く柳の友がほに空に紛ふや遊ぶ糸ゆふ〈藤原隆信〉」

あそび-ば【遊場】〔名〕子供などが遊ぶ場所。*小学読本〔一八七三(明治六)〕〈田中義廉〉二「汝等は、遊歩のときも、仕事場に来るべからず、遊び場にて、遊ぶべし」*門三味線〔一八九五(明治二八)〕〈斎藤緑雨〉五「二階は両人(ふたり)が遊(アソ)び場(バ)なれど」*銀の匙〔一九一三(大正二)~十五〕〈中勘助〉前・一〇「茶畑があって子供や鳥の遊び場になってゐる」
ゆう-し[イウ‥]【遊糸】〔名〕(1)「いとゆう(糸遊)(1)」に同じ。《季・春》*経国集〔八二七(天長四)〕一一・暇日閑居〈良岑安世〉「初笋篁辺出、遊絲柳外飛」*和漢朗詠集〔一〇一八(寛仁二)頃〕上・春興「林中の花の錦は時に開くもあり落つるもあり天外の遊糸は或は有りとやせん無しとやせん〈島田忠臣〉」*羅山先生詩集〔一六六二(寛文二)〕二九・春陰欲雪「山光日色共濛濛、猶恠遊糸落碧空」*沈約‐三月三日率爾成篇詩「遊糸映空転、高楊払地垂」(2)「いとゆう(糸遊)(2)」に同じ。*俳諧・御傘〔一六五一(慶安四)〕一「いとゆふ〈略〉遊糸と書也。詩に野馬(やば)と作もいとゆふの事也。いとゆふ過て遊糸(ユフシ)とか野馬とか有へし。春也」(3)「するめがね(鯣金)」に同じ。*造化妙々奇談〔一八七九(明治一二)~八〇〕〈宮崎柳条〉八「円擺の軸頂に髪毛の如き銕線を纏ふ。之れを遊糸(ユウシ〈注〉スルメ)と名く」【発音】ユーシ〈標ア〉[ユ]【辞書】色葉【表記】【游糸】色葉いと-ゆう[‥ゆふ]【糸遊(イウ)】〔名〕(1)春の晴れた日に、蜘蛛の子が糸に乗じて空を浮遊する現象。蜘蛛の糸が光を受けて流れ乱れるさまは、薄い絹織物(漢詩では「碧羅」)にたとえられる。また、蜘蛛の糸が光の加減で見えたり見えなかったりするところから、あるかなきかのものにもたとえられる。《季・春》*和漢朗詠集〔一〇一八(寛仁二)頃〕下・晴「かすみ晴れみどりの空ものどけくてあるかなきかに遊ぶいとゆふ〈よみ人しらず〉」*狭衣物語〔一〇六九(延久元)~七七頃か〕一「天稚御子(あめわかみこ)、角髪(びづら)結ひて、言ひ知らずをかしげに、芳しき童姿(わらはすがた)にて、ふと降りゐ給に、いとゆふのやうなる物を、中将の君にかけ給と見るに」*六百番歌合〔一一九三(建久四)頃〕春中・二〇番「佐保姫や霞の衣織りつらん春のみ空に遊ぶ絲ゆふ〈藤原経家〉」*土御門院集〔一二三一(寛喜三)頃〕「遊絲繚乱碧羅天大空にたがおりなせるくれはとりあやに乱るるのべの糸ゆふ」(2) 春あるいは夏の晴れた日に、地面から立ちのぼる気。陽炎。*和英語林集成(初版)〔一八六七(慶応三)〕「Itoyu< イトユフ遊糸」*武蔵野〔一八九八(明治三一)〕〈国木田独歩〉六「林の一角、直線に断たれて其間から広い野が見える、野良一面、絲遊(イトイウ)上騰して永くは見つめて居られない」(3)「いとゆうむすび(糸遊結)」の略。*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕祭の使「君達御簾あげて、いとゆふの御几帳ども立てわたし」*栄花物語〔一〇二八(長元元)~九二頃〕音楽「いとゆふなどの末濃(すそご)の御几帳」 【語誌】(1)本来、漢語に「遊糸」があり、蜘蛛の子が銀色の糸をなびかせながら空中を流れている現象(gossamer)をさす。和歌でその「遊糸」を題として「いとゆう」の語が作られたものか。(2)「遊糸」が空中をあるかなきかに浮遊する現象であるため、地面から立ちのぼる大気が揺らめいてみえる気象現象の「陽炎(かげろう)」との混乱が生じたとされる。(3)昆虫の「蜉蝣」(カゲロウ)とする解釈もみられるが、それは陽炎を転じた名で、「いとゆう」との直接関連はないようである。これらの混乱がいつ頃生じたものかは断定しにくい。(4)服飾に関する「いとゆう」には、「糸木綿」「糸結う」など諸説があるが未詳。なお、歴史的仮名遣いの「いとゆふ」は平安時代以来の慣用による。【語源説】(1)遊糸の文字読み「アソブイト」を、几帳の「イトユヒ(糸結)」に寄せ「アソブイトユフ」という。その上略〔碩鼠漫筆・大言海〕。(2)イト(糸)タユタフの義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】イトユー〈標ア〉[ト]〈京ア〉[ト]【辞書】書言・ヘボン・言海【表記】【遊絲】書言【絲遊】ヘボン