萩原 義雄 識

「権利」という漢語は、日本語にはなかった。中国書籍『荀子』そして『史記』鄭世家賛に、権力と利益の意として用いられているものの、この漢語のことばは長く用いられた形跡をみないからだ。小学館『日国』を繙くと、本邦にあって、はじめて用いられたのが室町時代、土井本『周易抄』〔一四七七(文明九)年〕巻六に、「私─権利は爵ぞ」という語例があって、意味は、「物事を自由に行なったり、他人に対して当然主張し要求することのできる資格」とする。
さらに、「権利」は「権理」とも表記され、明治時代になると俄然使われるようになる。意味も「{英語}right の訳語とし、自己のために一定の利益を主張したり、これを受けたりすることのできる法律上の力。私法上の権利である私権と、公法上の権利である公権とに分かれる。」
とし、【語誌】に「英語right の訳語として幕末頃から日本語として定着し始めたが、これは中国近代の洋学書である丁韙良訳の「万国公法」(一八六四)からの借用と思われる。」としている。これを作家の井上ひさしさんが『日本語教室』〔新潮新書410 二〇一一年刋〕のなかで、福澤諭吉が「外国にある概念で日本にないものを漢字二つ使って翻訳するという仕事を一所懸命にやっていました。」と言い、翻訳語「演説」「談話」の語を作ったと云います。ただ此の「権利」の原語「right(ライト)」は『西洋事情』のなかで「訳字を以て原意を尽すに足らず」(翻訳不可能)としたとし、此に代わって「おちょこちょいの西周(にしあまね)が仏教用語のなかから持ち出してきた」と説いています。英語の「right(ライト)」が「力ずくで得る利益」であること、此事は『日国』に未収載の裏話です。共用語である「自由」(Liberty/リバティー、freedom/フリーダム)と用いています。他にも「世紀」「絶対」「範疇」「人格」「雑誌」「民法」「統計学」「哲学」「美術」が明治代書記に作られています。こうしたことばが日本を欧米に比氣をとらないように力強くしていく原動力となったとも言えます。
いま、吾人達は世界全体が暗澹としたコロナ禍で暮らしています。このことがいつまで続くのか誰も予測できないからです。ここにあって、和製漢語による造語力はあるのだろうかとふと思うこと頻りです。「ソーシャル・ディスタンス」とか、「フジィカル・ディスタンス」と長いカタカナ表記語を口にし、文字化してきています。日本語では相撲や剣道などでいう「間合いをとる」という和語は用いずして、再び変容していく瞬間を目の辺りする思いは国際日本の姿なのかもしれませんが、聞きなれない物言いがこれまた、重ねて苦渋を強いられているように吾人には思えてなりません。「ずばり東京」は、東京オリンピックで賑わう予定が異国の人が激減するなか、逆に横文字のことばを多用する時となってきました。伝統ある季節ならではの催しごとが態を潜め、未知なることばと向き合う試煉の夏でもあります。なり
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
けん-り【権利・権理】〔名〕(「荀子-勧学」の「是故権利傾也」による)(1)権力と利益。
史記-鄭世家賛「語有之、以権利合者、権利尽而交疎」(2)物事を自由に行なったり、他人に対して当然主張し要求することのできる資格。*土井本周易抄〔一四七七(文明九)〕六「私─権利は爵ぞ」*彼日氏教授論〔一八七六(明治九)〕〈ファン=カステール訳〉九・二「生徒をして学課に従事せしむる権理を有す」*花柳春話〔一八七八(明治一一)~七九〕〈織田純一郎訳〉一〇「余は彼の父なり、彼を誘引するの権利ありと」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)~〇一〕〈徳富蘆花〉六・二〇「思想の自由の為め、言論の権理の為に」*吾輩は猫である〔一九〇五(明治三八)~〇六〕〈夏目漱石〉一「目刺の頭でも鰡(ぼら)の臍(へそ)でも一番先に見付けたものが之を食ふ権利がある」(3)({英}right の訳語)自己のために一定の利益を主張したり、これを受けたりすることのできる法律上の力。私法上の権利である私権と、公法上の権利である公権とに分かれる。*泰西法学要領〔一八六六(慶応二)〕〈津田真道〉「又古昔彼土に人奴あり、生殺与奪の権全く其主人に在りて、毫釐も権利を有(たも)たず」*立憲政体略〔一八六八(明治元)〕〈加藤弘之〉国民公私二権「是故に其臣民たる者の身、自ら権利の存するあり。権利に二類あり、一を私権と称し、二を公権と称す」*大日本帝国憲法〔一八八九(明治二二)〕二章「臣民権利義務」*日本国憲法〔一九四六(昭和二一)〕一二条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は」【語誌】(3)は、英語right の訳語として幕末頃から日本語として定着し始めたが、これは中国近代の洋学書である丁韙良訳の「万国公法」(一八六四)からの借用と思われる。【発音】〈標ア〉[ケ]〈京ア〉[ケ]【辞書】言海【表記】【権利】言海
じ-ゆう[‥イウ]【自由】〔名〕(1)(形動)自分の心のままに行動できる状態。(イ)思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。また、そのさま。思うまま。*続日本紀‐宝亀八年〔七七七(宝亀八)〕九月丙寅「専二政得一志、升降自由」*中右記‐康和四年〔一一〇二(康和四)〕五月九日「而依大衆申、以仁源法印可為執行別当由、今日被仰下、頗難自由歟」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Iiyu-na(ジユウナ) コトヲスル」*こんてむつすむん地〔一六一〇(慶長一五)〕三・二五「心のじゆうをえ、ぜんだうに入べきため、たっして身をいとふべき事」*歌舞伎・曾我梅菊念力弦〔一八一八(文政元)〕四立「自由(ジイウ)ながら、明白になされて下さりませ」*百学連環〔一八七〇(明治三)~七一頃〕〈西周〉二上「神は万物の根元にして万物を自由にするの権ありと称するより」*後漢書‐閻皇后紀「兄弟権要威福自由」(ロ)(特に、中古・中世の古文書などで)先例、しかるべき文書、道理などを無視した身勝手な自己主張。多くその行為に非難の意をこめて使われる。わがまま勝手。
*金勝寺文書‐元暦二年〔一一八五(文治元)〕四月二四日・関東下知状案(平安遺文八・四二四二)「村上蔵人不指院宣、任自由恣押領」*長門本平家物語〔一三C前〕一・額打論事「自由に任せて延暦寺の額を興福寺の上に打せぬるこそ安からね」*徒然草〔一三三一(元弘一/元徳三)頃〕六〇「世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし」*言継卿記‐天文二年〔一五三三(天文二)〕二月・紙背(僧承沢書状)「今朝尊墨之時節取乱御返事遅々、自由千万其恐不少候」*浮世草子・好色盛衰記〔一六八八(元禄元)〕五・二「女郎のよはき所を見付、自由(ジユフ)成事をいひかかりぬ」(2)ある物を必要とする欲求。需要。*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八(元禄元)〕四・一「是は小紅屋といふ人大分仕込して世の自由(シユウ)をたしぬ」(3)便所。はばかり。手水場(ちょうずば)。*浮世草子・傾城色三味線〔一七〇一(元禄一四)〕江戸・四「自由(ジユフ)に立ふりして勝手に入て」(4)({英}liberty, freedom の訳語)政治的自由と精神的自由。一般にlibertyは政治的自由をさし、freedom は主に精神的自由をさすが、後者が政治的自由をさすこともある。政治的自由とは、王や政府の権力、社会の圧力からの支配、強制、拘束をうけずに、自己の権利を執行すること。たとえば、思想の自由、集会の自由、信仰の自由、居住・移動の自由、職業選択の自由などの市民的自由をいう。精神の自由とは、他からの拘束をうけずに、自分の意志で行動を選択できること。カント哲学では、自然必然性の支配をうけない理論性の活動を、「…からの自由」または「消極的自由」といい、自分が立法した道徳法則に従って意志を決定する実践理性の活動を、「・・・への自由」「積極的自由」「道徳的自由」という。*英和対訳袖珍辞書〔一八六二(文久二)〕「Liberty 自由掛リ合ノナキコト」*西洋事情〔一八六六(慶応二)~七〇〕〈福沢諭吉〉二・一「訳書中に往々自由原語『リヘルチ』通義原語『ライト』の字を用ひたること多しと雖ども実は是等の訳字を以て原意を尽すに足らず」*泰西勧善訓蒙〔一八七三(明治六)〕〈箕作麟祥訳〉六・二〇五章「人其自由の権を行ふに他人の自由の権を妨ぐること勿れ」*東京朝日新聞〔一九〇五(明治三八)年〕一一月二日「此の勅諭は先づ人身保護律の発布及思想言論の完全なる自由を約し、新聞及集会の自由も亦保護せらる」(5)人が行為をすることのできる範囲。法律の範囲内での随意の行為。これによって完全な権利、義務を有することになる。*大日本帝国憲法〔一八八九(明治二二)年〕二二条「日本臣民は法律の範囲内に於て居住及移転の自由を有す」*民法〔一八九六(明治二九)年〕七一〇条「他人の身体、自由又は名誉を害したる場合」【方言】(1)物事の便利。便。《じゆう》島根県那賀郡054《じゅう》島根県石見725《じよお》島根県725(2)《じょお》愛知県尾張567 島根県725( )物事の具合。《じゅう》高知県長岡郡864《じゅうよお》高知県860(3)わがまま。かって。また、そうするさま。《じゅう》長野県佐久493《じよお》岐阜県飛騨502 島根県725《じゅうよ》兵庫県加古郡664《じゅうてんべ》島根県益田市・美濃郡725【発音】ジユー〈なまり〉ジュー〔鳥取・島根〕ジューヨー〔愛媛周桑〕ジヨ〔淡路〕ジヨウ〔岐阜〕ジヨー〔埼玉方言・飛騨〕ジュウヨ〔播磨〕「じゆうに」ジューニ〔瀬戸内〕ジョーニ〔埼玉方言〕〈標ア〉[ユ]〈京ア〉[ジ]【辞書】饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【自由】饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海
ま-あい[‥あひ]【間合】〔名〕(1)時間の程よい間隔。適当な時機。ころあい。ひま。*史記抄〔一四七七(文明九)〕一一・孟旬列伝「あれともよく人の機嫌まあいを見てはたらくぞ」*評判記・色道大鏡〔一六七八(延宝六)〕四「ひとつうけはうけながら、まあいをみてはすてんとし」*洒落本・白狐通〔一八〇〇(寛政一二)〕雛妓「ぬしもきなんしたかろうけれど、まやひがわるひからの事でざんせう」*改正増補和英語林集成〔一八八六(明治一九)〕「Maai(マアイ)ガヨイ」*私の詩と真実〔一九五三(昭和二八)〕〈河上徹太郎〉私のピアノ修業「音構成の間合ひにその後天的な複合の美を期待する造型家であった」(2)舞踊・音曲などで、調子の変化する間のわずかの時間。*評判記・野良立役舞台大鏡〔一六八七(貞享四)〕坂田藤十郎「間(マ)合上手なれはおのづから狂言がいきてみゆるなり」(3)隔たり。距離。多く、剣道などでいう。*剣法略記〔一八三九(天保一〇)〕三・勝ちまけのわかれ「離れたると合ひたると、合うて離るるきわと、進退の間合と、〈略〉これらのわかれは数多の次第あり」【発音】〈なまり〉マヤイ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】言海【表記】【間合】言海
 
『ずばり東京』開高健(かいこうたけし)ルポルタージュ選集(光文社文庫刋)に用いた語
近代化、国際化、急速な人口流入・・・。一九六〇(昭和三五)年代前半、東京オリンピックに沸き立つ首都は日々、変容を遂げていった。その一方で、いまだ残る戦後の混乱、急激な膨張に耐えられずに生じる歪みも内包していた。開高健は、都内各所を隈無く巡り、素描し、混沌さなかの東京を描き上げる。各章ごとに様々な文体を駆使するなど、実験的手法も取り入れた著者渾身のルポ。