萩原 義雄 識

早、師趨の月が今年も巡ってきた。日本経済もコロナ禍からの脱出に動き出した矢先に、更なる新種のオミクロン株(スパイクタンパク質に約三十箇所)が世界各地から報道されはじめ、国内での水際防止対策が発動されたものの、時間稼ぎに過ぎないことは誰もが疑わないことだろう。この新種のタイプが何をもって防禦できるかさえ誰もつかめていない。先の読めないなかで、人は行動するに先立ち、ワクチン接種した後も、マスクと手指の消毒が唯一の我が身を護る手段とせざるを得ない。さもなくば、人流の渦巻く接触を全て絶たないければならない。所謂、「巣籠もり」生活を再び続けるか、人の少ない田舎暮らしを営むかと云うことになろう。イソップ寓話に「都会の鼠と田舎の鼠」という譚しが思い浮かぶ。都会の暮らしは田舎の鼠にはせせこましい、何かと暮らしの複雑なルールを厳守しないと不特定多数の人々の行動を制御しきれないからだ。とは言え、都会は物流・食品・機構などの連動が素早く総てが新鮮に感じる場なのかもしれない。

紀伊國屋書店刊のマーク・ボイル(吉田奈緒子訳)『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』が紹介された。自給自足と単簡に結びきれない人の原点に戻る策から学ぶことを臨んでか今様を映し出している。

ワンコイン、リーズナブルで飲食が調えばと思いつつも、働き手にとって給金が一日七千円以下はきつい暮らし向きを強いることに繋がる。住宅・衣料・飲食・医療・慶弔・娯楽・貯金と家計簿をつけていくと、月々の生活を何とか逼迫させないように努めるしかない。年乃瀬を前に電子機器類は今や欠かせない。燃料費が価格高騰のなかで、此の費用の工面はどなたも切実となってきている。

こうしたときにこそ、暮らしの智惠囊は大きく開かれ、今や必須の知識となってくる。火を熾すことで保温感さ、水を高きから低きへ流す=【瀉】ことで得られる清涼感さを効率良く廻(めぐら)していく。当面、言語情報のネット継続が余儀なくなされることになろう。『虚堂録』卷二、『雲門録』上卷に見える「咄咄咄力㘞唏(トツトツトツリキカキ)」[『禅学大辞典』〔大修館書店刊・九五五頁二段〕に「うぬめ、うぬめと思わず発する声。えい、えい、えいと力を出して物を引く声。忽然(こつぜん)として、大事を悟ったとき、覚えず発する声」]が遠く遠く響き聞こえていきますように。