萩原 義雄 識

室町時代の古辞書に広本(文明本)『節用集』天部氣形門に、「天狗」の語を、
△天狗(テ ン グ)[平・平軽]ソラ、イヌ 魔類〔天部氣形門七一六頁3〕
とし、語注記に「魔類」と記載する。これを承けて、
○魔(マ)[平]タマシイ。外道也。文殊言。其精進者。乃為魔求/其便[一]。若懈怠スレハ[二]
[一]云々。在[二]釋氏要覧[一]。〔末部氣形門五六九頁3〕
と記載していて、語注記に「外道也」と説いている。同じく、天正十八年本(=堺本)『節用集』には、
天狗 魔〔天部畜類門下冊十五オ6〕
魔 天狗也。―本ハ磨ノ字也。磨滅スル佛法/意也。梁武帝改也。〔天正十八年本・下卷摩部・畜類門3ウ⑦〕

とあって、摩部畜類門に標記語「魔」で、訓みを「マ」とし、語註記の冒頭部を「外道也」とせず、「天狗なり」とし、「魔、本は、磨の字なり。佛法を磨滅する意なり。梁の武帝、改めて魔の字と作すなり」と『伊京集』の語註記内容に共通する記述を得た。この典拠とした引用書ついては未記載であるが、「外道」と云わずに「天狗」とした内容は、『正字通』が「譯經論曰、魔古从石作磨石靡省也。梁武帝改从鬼」(「魔」は古へは石に 从(した)がひ磨に作す「石靡」を省くなり、梁の武帝、改めて魔と爲す」)と云う内容に依拠していることが判明するのだが、語注記の冒頭づけ「天狗也」の語意が当代の意義でもあった。

今、阿蘭陀国ユトレヒト大学の図書館に秘蔵されいた天草版国字本『サルバトール・ムンディ(救世主)』五〇丁が再び現代に浮上し、世界中の識者、更には衆目の人々が知るところとなった。このように長い年月、人目に触れることもなく眠っていた書物が公開され再び読み解くことができること自体が奇跡に近いからだ。今読み解く吾人にとっても至福の時間となっている。

さて、この奇跡のような書物を読んでいくなかで、ふと氣にとまった文言がこの「天狗のたばかり」と云う語表現でもあった。この「○二つにハ我らか科をこんひさんにあらハす以て、にあひたるいけんをうけ、みちびかれ、天狗のたばかりをのがるゝやうを教へらるべき事」というのだが、今の私たちにとって、此の時代の「天狗」が「魔」であったこと。今でも「魔物」と表現すると「人を狂わせ害をするような性質をもつ化け物の類」の意となる。彼らは既にこの「天狗」なる日本人の畏怖感を理会し得ていたとも言えよう。同じキリシタン資料『ぎやどぺかどる』〔一五九九(慶長四)年〕卷下・二・四「天狗のぼうりやく、あにまを出入し様々にへんずる事をわきまへ、萬ののぞみを本とせず、表 むき善なりと見ゆる事に、早く同心せざる事も此善也」〔東大図書館蔵〕とも共有する文脈となっている。『日葡辞書』も「悪魔」の意で、なかでも「荒天狗」は「残忍で害悪を加える悪魔。」〔邦訳三一R〕としていて『日国』第二版は、「キリスト教での悪魔にあたるもの。室町時代末期に渡来の西洋人によって与えられた訳語」として記載する。

だが、江戸時代の庶民衆にあっては、「天狗」が如何なるものかというと、二〇一八年ブームに乗って読まれた平田篤胤著『仙境異聞』(岩波文庫)には、童人を対象に神誘いをして「百日断食」のあと師杉山僧正と子弟の誓状を交わし、余事(諸武術・書法・符字・幣切り・醫藥製法・武器製作・佛道諸宗の秘事経文)の教えなどをしている。修行鍛練の場でもあり、幽 界(かくりよ)で日常なされたことを十五歳の天狗少年寅吉が問答のなかで語った聞書きで、「日本に徃古より伝えて云う魑魅(ち み)に似た者があって、身を隠し空を凌ぎ奢りを憎み満てるを害し、神力自在なる」ものとし、「阿末乃左古(あまのざこ)」を「天狗」と云うとある。「荒天狗」もただ単に「荒々しい天狗」であって、「摩訶大天狗」と称呼する。このことばの温度差を感じ得ない。此の意識を培いゆくうえで、『源平盛衰記』卷第八・法皇三井灌頂の条の「大智の僧は大天狗、小智の僧は小天狗」という語表現にも関わっているとみたい。

それは邪気を人に寄せつけない、ありとあらゆる歳事の作法にも継承されてきていて、例えば、弥生三月の雛祭の供え物に「白酒」があり、古くは「桃花酒」とも云い、『万葉集』に、
四二七五 天地与 久万弖尓 万代尓 都可倍麻都良牟 黒酒白酒乎
あめつちと ひさしきまでに よろづよに つかへまつらむ くろきしろきを
右一首従三位文室智努真人
と詠まれている「白酒(しろき)」「黒酒(くろき)」が此の神供の酒(邪氣を除く)と言える。言い換えれば人の命(いのち)を長らえゆくための術(すべ)と云うことになる。
きっと、「勧善懲悪・仏法守護を行なう山神」として祀られその霊威が人々に大きく働くことに憧憬を求めてきたのかもしれない。上巳のあとに続く冨春を俟ちたい。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
てん-ぐ【天狗】〔名〕(古くは「てんぐう」とも)(1)天上や深山に住むという妖怪。山の神の霊威を母胎とし、怨霊、御霊など浮遊霊の信仰を合わせ、また、修験者に仮託して幻影を具体化したもの。山伏姿で、顔が赤く、鼻が高く、翼があって、手足の爪が長く、金剛杖・太刀・うちわをもち、神通力があり、飛行自在という。中国で、流星・山獣の一種と解し、仏教で夜叉・悪魔と解されたものが、日本にはいって修験道と結びついて想像されたもの。時代によりその概念に変遷があるが、中世以降、通常、次の三種を考え、第一種は鞍馬山僧正坊、愛宕山太郎坊、秋葉山三尺坊のように勧善懲悪・仏法守護を行なう山神、第二種は増上慢の結果、堕落した僧侶などの変じたもの、第三種は現世に怨恨や憤怒を感じて堕落して変じたものという。大天狗、小天狗、烏天狗などの別がある。天狗を悪魔、いたずらものと解するときはこの第二・第三種のものである。*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕俊蔭「かくはるかなる山に、誰れかものの音調べて遊びゐたらん。天ぐのするにこそあらめ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕夢浮橋「事の心をし量り思たまふるにてんくこだまなどやうの物のあさむき率てたてまつりけるにやとなんうけたまはりし」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「天狐 テンク」*平家物語〔一三C前〕八・鼓判官「若き公卿・殿上人、風情なし知康には天狗付いたりとぞ笑はれける」*謡曲・鞍馬天狗〔一四八〇(文明一二)頃〕「そもそもこれは、鞍馬の奥、僧正が谷に年経てすめる大天狗なり、まずおん供の天狗はたれたれぞ」*蔭凉軒日録-文明一八年〔一四八六(文明一八)〕二月一二日「所画雲端天狗形者有之」*幸若・未来記〔室町末~近世初〕「抑我等が異名を天狗といふはいわれあり、むかしは人にてさふらひしが、仏法を能習ひ我より他に智者なしと、大まんじんをおこすゆへ、仏にはならずして天狗道へおつるなり」*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八(元禄元)〕二・四「むかし此人をやとひて舟を仕立けるに、有時沖に一むら夕立雲のごとく塩吹けるを目がけ一の鑓を突て風車の験をあげしに、又天狗(グ)とはしりぬ」(2)修験道の行者。山伏。*雑俳・川傍柳〔一七八〇~八三〕初「医者が見放すと天狗をよばる也」(3)能楽で、(1)をかたどった面。*わらんべ草〔一六六〇(万治三)〕四「一天狗 木の葉天狗の類にきる」(4)キリスト教での悪魔にあたるもの。室町時代末期に渡来の西洋人によって与えられた訳語。*ぎやどぺかどる〔一五九九(慶長四)〕下・二・四「天狗の謀略、あにまを出入し様々に変ずる事を弁へ、万の望みを本とせず、表むき善なりと見ゆる事に、早く同心せざる事も此善也」(5)高慢なこと。うぬぼれること。また、その人。*大坂繁花風土記〔一八一四(文化一一)〕今世はやる詞遣ひ「てんぐ、或はのばす、又くひん、又ぬう」*俳諧・古学截断字論〔一八三四(天保五)〕上・梧一葉「今の世の自僭(テング)といふ俳師のやうに拙くのたまふ物かは」(6)(「てんく」とも)「てんぐせい(天狗星)」に同じ。*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕一「天狗 テング 星名。事見〔史記天官〕〔五雑組〕又本朝霊魅中其較著者曰二天狗一」*史記-天官書「天狗、状如大奔星、有声、其下止地類狗、所堕及炎火之、如火光炎炎衝天」(7)「てんぐはいかい(天狗俳諧)」の略。*洒落本・三躰誌〔一八〇二(享和二)〕「『面白いことを始るからよびに上たのさ』〈略〉『今天狗(テング)を始るのさ』『馬鹿らしいねへ』」(8) 魚「うばざめ(姥鮫)」の異名。【語誌】『日本書紀』舒明九年二月に「大星従東流西。便有音似雷。時人曰。流星之音。亦曰。地雷。於レ是。僧旻僧曰。非流星。是天狗也。其吠声似雷耳」とあり、この記事の前後をみると、七年に彗星(ははきぼし)が見え、八年に飢饉、「天狗」のあとが蝦夷の大乱の記事となっている。つまり、星座の異変が、地上の異変をもたらすものとして、「天狗」(北野本訓ではアマツキツネ)が出ている。この『日本書紀』の文章に含まれている「異変をもたらすもの」「天空を飛ぶもの」「天と山をつなぐ、大音を発する怪物」という概念が、まず山の神霊と結びつけられ、(1)となったのであろう。(1)の挙例、『宇津保物語』や『源氏物語』は、そのようなものとしてとらえている。しかし、一方では山岳信仰を奉ずる修験道の山伏が、この概念を活用するに及んで、鳥類型天狗と僧侶型天狗を経て、山伏型天狗が現われてくる。【方言】(1)自慢をする人。《おてんごお〔御─〕》神奈川県津久井郡 317(2)(自慢することが多いところから)仲介業。周旋業。《てんぐ》石川県鹿島郡 411《てんご》富山県砺波 398【発音】テング〈なまり〉テングン〔岐阜・広島県・讚岐・伊予〕テンゴ〔新潟頸城・埼玉方言・富山県・信州上田・静岡〕テング〔岩手・仙台方言〕テンゴー〔静岡〕テンゴン〔富山県〕〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)【辞書】色葉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】 【天狗】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【天狐】色葉【図版】 天狗(1)〈西鶴諸国はなし〉
あら-てんぐ【荒天狗】〔名〕荒々しい天狗。*謡曲・鞍馬天狗〔一四八〇(文明一二)頃〕「姿も心も荒天狗を、師匠や坊主とご賞翫は、いかにも大事を残さず伝へて、平家を討たんと思(おぼ)しめすかや」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Aratengu(アラテング)〈訳〉残忍で悪事をなす悪魔」【辞書】日葡
しょう-てんぐ[セウ..]【小天狗】〔名〕小さい天狗。こてんぐ。*謡曲・鞍馬天狗〔一四八〇(文明一二)頃〕「いかに沙那王殿、只今小天狗を参らせて候」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Xôtengu (ショウテング)。チイサキ テング」【発音】 ショーテング〈標ア〉[テ]【辞書】日葡

だい-てんぐ【大天狗】〔名〕(1)大きな天狗。また、位の高い天狗。*金刀比羅本保元物語〔一二二〇(承久二)頃か〕下・為朝生捕り遠流に処せらるる事「愛宕、高雄の大天狗(ダイテング)などが、人をたぶらかさむとするにこそとて」*太平記〔一四C後〕一八・高野与根来不和事「我慢・邪慢の大天狗共、如何にして人の心中に依託して、不退の行学を妨げんとしけれ共」*謡曲・鞍馬天狗〔一四八〇(文明一二)頃〕「今はなにをか包むべき、われこの山に年経たる、大天狗はわれなり」(2)非常に高慢なこと。他に対して大いに誇ること。また、その人。*吾妻鏡-文治元年〔一一八五(文治元)〕一一月一五日「云二行家一、云二義経一、召取之間、諸国衰弊、人民滅亡歟。仍日本第一大天狗者、更非二他者一歟」*雪中梅〔一八八六(明治一九)〕〈末広鉄腸〉下・二「学者とか政事家とか云ふ人は〈略〉銘々大天狗(ダイテング)で、他人を軽蔑し」*千曲川のスケッチ〔一九一二〕〈島崎藤村〉三・山荘「番頭は鼻の先へ握り拳を重ねて、大天狗をして見せた」【発音】ダイテング〈標ア〉[テ]〈京ア〉[テ]
まか-だいてんぐ【摩訶大天狗】〔名〕(「摩訶」は大の意)大天狗のこと。*浄瑠璃・勇金平〔一七一六(享保元)〕三「そぞろ立てよろこべば、まか大天句のじゃまん坊御前にかしこまり」
【発音】マカダイテング〈標ア〉[テ]からす-てんぐ【烏天狗】〔名〕想像上の怪物。つばさがあり、烏のくちばしのような口をしている天狗。*西洋道中膝栗毛〔一八七〇(明治三)~七六〕〈仮名垣魯文〉八・上「印度海中或は紅海の小島に章魚(たこ)の種類あり。その形〈略〉觜尖りて画ける烏天狗(カラステング)の如し」*鬼涙村〔一九三四(昭和九)〕〈牧野信一〉一「かなふ仕儀なら喉を鳴らして飛びつきたい WET 派のカラス天狗が、食慾不振のカラ腹を抱へて」【発音】カラステング〈標ア〉[テ]〈京ア〉(テ)

邦訳『日葡辞書』〔岩波書店刊〕Tengu.(テング)【天狗】Tenno inu.(天の狗)悪魔。▼ Are,ryru;Tatari;Tcuqi,u.(付き、く);Toritcuqi(付き、く),u;Vocoxi,su(起し、す);Xemedaxi,l,xemeida-xi,su.〔邦訳六四五L〕
Aratengu.(アラテング)【荒天狗】残忍で害悪を加える悪魔。〔邦訳三一R〕
† Xo>tengu.(ショウテング)【小天狗】Chisaqi tengu.(小さき天狗)小悪魔。文章語。¶反対語は Daitengu(大天狗)である。〔邦訳七九六L〕
‡Daitengu.(ダイテング)【大天狗】↓ Xo>tengu.〔邦訳一八〇L〕

しろ-き【白酒】〔名〕(「き」は「さけ(酒)」の古名)神前に供える一対の酒の一方。特に大嘗祭・新嘗祭に用いるものをいう。特別に選んだ米を醸造して酒をつくり、これを二分して、一方を白酒とし、他方にはくさぎ(恒山)の灰を入れて黒酒(くろき)と称した。*続日本紀-天平神護元年〔七六五(天平神護元)〕一一月二三日・宣命「由紀・須伎二国の献れる黒紀・白紀(しろキ)の御酒を赤丹のほにたまへゑらぎ常も賜ふ酒幣の物を賜はり以ちて」*万葉集〔八C後〕一九・四二七五「天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒(しろき)を〈文室浄三〉」*延喜式〔九二七(延長五)〕四〇・造酒司「熟後以久佐木灰三升、〈採御生気方木〉和合一甕、是称黒貴。其一甕不和、是称白貴【補注】「御酒」の上代特殊仮名遣は「み」「き」ともに甲類であるが、「白酒」「黒酒」の場合の「き」は乙類となる。その理由は不明。【方言】濁り酒。どぶろく。《しろき》奈良県吉野郡 688【発音】〈標ア〉[シ]【上代特殊仮名遣い】シロキ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】言海【表記】【白酒】言海
くろ-き【黒酒】〔名〕(「き」は酒(さけ)の古名)黒い色をした酒。黒御酒(くろみき)。新嘗祭(にいなめさい)、大嘗祭(だいじょうさい)などに供える。『延喜式』には、特につくった醴酒(あまざけ)を二等分し、くさぎ(常山または恒山と書く)の焼灰を入れたものを黒酒といい、入れない方を白酒(しろき)というとある。室町時代には醴酒を白酒とし、これに黒ごまの粉を入れたものを用いた。*続日本紀-天平神護元年〔七六五(天平神護元)〕一一月二三日・宣命「由紀・須伎二国の献れる黒紀(くろキ)白きの御酒を赤丹のほにたまへゑらぎ、常も賜ふ酒幣の物を賜はり以ちて」*万葉集〔八C後〕一九・四二七五「天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒を〈文室浄三〉」*延喜式〔九二七(延長五)〕四〇・造酒司「其造酒者〈略〉熟後以久佐木灰三升〈採御生気方木〉和合一甕、是称黒貴、其一甕不和、是称白貴」*芋粥〔一九一六(大正五)〕〈芥川龍之介〉「肩幅の広い、身長(みのたけ)の群を抜いた逞しい大男で、これは、煠栗(やきぐり)を噛みながら、黒酒(クロキ)の杯を重ねてゐた」【発音】〈標ア〉[0]【辞書】言海【表記】【黒酒】言海

「貴船の化身と牛若丸」歌川国芳画
〔所蔵者:プーシキン美術館〕