萩原 義雄 識

日本では櫻の花が開花し、その花びらが舞う比に別れと出会いとが繰り広げられてきた。そこには、寔の繋がりが生まれるときでもあります。それはどんなに遠く離れた地に栖居しても人は人して認め合い、助け合い、己れが築きたい夢や希望を構築していく足掛かりともなってまいりましょう。はじめは単純な思ってもみなかった繋がりであっても、遇うからには何かが自身にも相手にも俟っているのです。

人は衣・食・住の三つに左右される。まず「衣」は襤褸でもこゝろの錦としてまず納めやすい。だが次の「食」となれば旅をしたことがあれば誰もが路銀が尽きて難儀することに出会うことは無きにしも非ず。「旅」を別名「草枕」と称してきました。和語「たび」は「たべ」に由来することばだとする語源説を称えた柳田國男が「たべたべ」と物乞いする、「食う」ことが抑も「旅」の始まりの語であったと自説を述べています。だが、『日国』第二版語源説にはその説は未収載となっています。人の旅の始まりは食べんがためにであったのが、やがて楽しみを目的とするまでになったということもありましょう。江戸時代には地図ならぬ「旅行用心集」も編まれ、今日の旅行へと拡大化して「友遠方より来る」を満遍となく繰り返して来たのです。

最後に「栖居」が最も重要となります。雨風そして大陽の陽射しを避け、快適な安らぎの空間をどう選ぶか、童話「三匹の子豚」がその原点として吾人達に教訓し語ってきたやもしれません。現代の住まう空間は以前よりもずっと整ってきています。

むしろ、お互い同士が聲をかけあったり、お隣の人を氣づかったりすることが減っているようにも思うのです。人はこれを「お節介」「お節介やき」と称して本統に思いやり、氣づかう姿が微笑ましく思えていたことを記憶しています。隣近所に一人でもいいから、お話しが交わせるような生活環境が生まれることを願うばかりです。共通する何かがあればきっと素敵な会話環境が訪れると信じてこれからも生きて参りましょう。

あかり・室温・寝起きに関わる電気・瓦斯・水道と便利になったにもかかわらず、その代価はここ徐々に高昇り、暮らしのなかで基本的に必要なエネルギーをできる限り節約しつつ使いこなす術が求められてきてもいます。時には共同体で使うことです。

ゴミもまだまだプラスチック、なかでも石油を原材料にした合成樹脂が大いなる課題を次に投げ掛けてきていて、人々がこのものをどう使い続けるかにかかってきてもいます。

何が最善で何が最悪なのかは誰も直ぐに結論をだすことはむつかしいかもしれませんが、そのなかで、各々が感じとった素朴な疑問に立ち向かう能力を養う大學での学びが今スタートしようとしています。学びの世界では、即座に効果を見せるより、長い月日をかけて見出す物事の方が多いと吾人は実感してきました。その気持ちを切り替えるのに、この季節の花の色も、黄色から白色へ、全て印象づけてくれています。そして、続く緑色の季節へ巡っていき、チェンジしていく。この自然景物の色彩印象があなたにもきっとスイッチをいれてくれると思う今日です。

 
小学館『日本国語大辞典』第二版
たび【旅】〔名〕(1)住む土地を離れて、一時、他の離れた土地にいること。また、住居から離れた土地に移動すること。*万葉集〔八C後〕一五・三六七四「草枕多婢(タビ)を苦しみ恋ひをればかやの山辺にさ男鹿鳴くも〈壬生宇太麻呂〉」*伊勢物語〔一〇C前〕九「から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕須磨「かの浦につき給ひぬ。かりそめの道にてもかかるたひをならひ給はぬ心ちに」*大慈恩寺三蔵法師伝永久四年点〔一一一六(永久四)〕一「中間に師の為に行(タヒ)の服を営造す」*天草本伊曾保物語〔一五九三(文禄二)〕イソポの生涯の事「アルトキEsopoガシュジンtabiuo(タビヲ)セラルルニヲヨウデ」*落語・鉄拐〔一八九〇(明治二三)〕〈禽語楼小さん〉「やうやく三日計り旅程(タビ)を踏み歩行(ある)きますと」(2)自宅以外の所に、臨時にいること。よその土地へ行かない場合でもいう。*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕国譲下「御即位に参りてはべりしままに、院のかくたびにおはしますだに参らず」*落窪物語〔一〇C後〕四「左の大臣殿、渡り給ふと聞きて、〈略〉姫君の御料なる一領(くだり)、ちひさき人に著せ奉り給へ。たびにはあらはなる事も有る物ぞとて奉り給ふ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕東屋「あさてばかり車たてまつらん。その旅の所たづねおき給へ」(3)自分の住んでいる土地でない、よその土地。他郷。*飛騨街道〔一九一九(大正八)〕〈江馬修〉「今に自動車が通ったり汽車が通ったりすると、他国(タビ)から悪い奴がどんどん入って来るぢゃらう」(4)祭礼で、神輿が本宮から渡御して一時とどまる所。(5)「たびもの(旅物)」の略。【方言】(1)自分の郷里以外の土地。他郷。他村。《たび》山形県米沢市149東京都三宅島333新潟県佐渡356西蒲原郡371長崎県対馬038913沖縄県石垣島996(2)都会。《たび》山形県米沢市151(3)出稼ぎに行くこと。《たび》新潟県佐渡351【語源説】(1)「タドルヒ(蹥日)」の義〔大言海〕。(2)他で日を送るところから、「他日」の義という〔類聚名物考〕。(3)「衆(たみ)」の義。軍衆は必ず他国へ出るところから〔志不可起〕。(4)海路の船旅をいう「トマフキ」の反〔名語記〕。(5)遠経または「タビ(外辺)」の義〔日本語源=賀茂百樹〕。(6)「タカクヒサシ」の義〔仙覚抄〕。(7)行く先をたまに見るところから、「タマミ(偶見)」の義〔名言通〕。(8)「タツビ(発日)」の義〔言葉の根しらべ=鈴江潔子〕。(9)「トビ(飛)」から分化したものか。飛行の転義〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(10)「トビ(外日)」の転か〔国語の語根とその分類=大島正健〕。(11)「タフ(陀経)」の義〔言元梯〕。【発音】〈標ア〉[ビ]〈ア史〉平安・鎌倉・江戸●○〈京ア〉[タ]【上代特殊仮名遣い】タビ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【旅】色葉・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【羇】色葉・名義・易林・書言【挔】色葉・名義【客】色葉・和玉【羇客・伴・呂・公・程】名義【行・羈・】和玉【寄・去家】書言
 
すまい[すまひ]【住・住居】〔名〕(動詞「すまう(住─)」の連用形の名詞化。「住居」は当て字)(1)(─する)すまうこと。住みつくこと。また、くらし。生活。*多武峰少将物語〔一〇C中〕「つれつれの御すまひなればにこそ、おもひすてられける忍草(しのぶぐさ)うとからずや御覧ずらむ」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕吹上上「かくおもしろき所に、などか心すごきすまいはし給ふらん」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕蓬生「生ける身をすて、かくむくつけきすまひするたぐひは侍らずやあらむ」*太平記〔一四C後〕一五・賀茂神主改補事「其比(そのころ)、先帝は未だ帥宮(そつのみや)にて幽(かす)かなる御棲居(スマイ)也」*俳諧・曠野〔一六八九(元禄二)〕七・述懐「一本のなすびもあまる住居かな〈杏雨〉」*浮世草子・西鶴織留〔一六九四(元禄七)〕二・二「女房に心ひかれ其所にて指をさされ幽なる住(スマ)ゐするは人間にはあらず」(2)住む場所。住みつく所。すみか。家。*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕中・天祿二年「いとめづらかなるすまひなれば、しづ心もなくてなん」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕夕顔「見入れの程なく物はかなきすまひを、あはれに、いづこかさしてとおもほしなせば」*古今著聞集〔一二五四(建長六)〕八・三二九「あるじとおぼしき尼、ただひとりあり。すまひよりはじめて、事におきて優にはづかしきけしたり」*名語記〔一二七五(建治元)〕八「すみかをすまひといへる如何。すみゐ也。住居也。すみをすまといひなせる也」*俳諧・春の日〔一六八六(貞享三)〕「穂蓼生ふ蔵を住ゐに侘なして〈重五〉我名を橋の名によばる月〈荷兮〉」*尋常小学読本〔一八八七(明治二〇)〕〈文部省〉五「ある日、此細工人等は、他に用ありて出で行きたる留守に、二人の小児、ふと其すまひの前を過ぎて、彼のかごを見付け」*春〔一九〇八(明治四一)〕〈島崎藤村〉一〇一「日記なぞを見せて貰ったりした足立の寓居(スマヒ)である」(3)家の使い勝手。*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Sumainoyoiiye(スマイノヨイイエ)〈訳〉よく設計した家」【発音】〈標ア〉[マ][ス]〈ア史〉鎌倉○○○室町・江戸●●●〈京ア〉[ス]【辞書】伊京・明応・天正・饅頭・黒本・日葡・ヘボン・言海【表記】【栖居】伊京・明応・天正・饅頭・黒本【住居】ヘボン【住】言海
『柳田國男全集』題三巻参照。