萩原 義雄 識

司馬遼太郎原作『峠』の映画化として、同題に副題付き「峠 最後のサムライ」六月十八日に新宿ピカデリー映画館七階劇場に観に行った。此の映画作品中での監督小泉堯史がこだわる自然風景観が初めから美しく捉え出されていた。
太陽に向かって迷い無く翔ぶ一羽の烏(からす)が此の映画のはじめとおわりに見事に暗喩され捉えられていた。作中主人公の河井継之助(つぐのすけ)(演者は役所広司)が妻スガ(演者=松たか子)を慰労する宵に芸者遊びに先に一人赴き、座敷が整うまで控えの間で床の間の掛け軸の絵に目を馳せ眺め、そこの女中に掛け軸に描かれた大きな口を開けてぐわぁと鳴く烏に魅入る意味を話して聞かせる。それは此鳥が朝に夕に太陽に向かってまっしぐらに翔ぶ潔い唯一の鳥だから、吾人もそうありたいと解くシーンにある。
また宵になって、夜空に昇ってきた新月をものの見事に映像大写しにする。下弦の月も同じく時の移りの早さを無言で暗示する。こうした天象自然風景の表現が此の映画における越後長岡に暮らす人々の心の機微へと傾斜していく。
こうした日常の暮らしのなかで一つ出来ことなのだろうが、妻への労りとなって具象化され、敢えて取り寄せた舶来のオルゴール風簫が継之介から妻スガに贈られ、その場で撥条を回しで奏でる。曲は「庭の千草」が仕込まれていた。
そして、風の音に「氣」を感じ、一首の和歌が字幕となって視覚引用される。今の活字文字ゆえ、その書字から伝わる心根までは得がたいだろうが、此の歌が日本最古の勅撰和歌集と言われる『古今和歌集』(九〇五(延喜五)年成る)に収められていて、此を妻に吾が心の分身として刻む。ここでの現代人が口にする「愛= LOVE」ということばは、実に重みをもって継之助の心のことばとして語られている。原作にはない、監督小泉堯史が練りに練った名言が心惹く。「愛とは互いに見合うことではなく、同じ方向を見つめることだ」は、次に示す和歌へと共感覚する。
原作とは異なることも多々あって、原作を斯くも観劇に値する映画作品に仕立て上げていることを伝えて、吾人にとって水無月祓え(=夏越の祓とも)の事締めの茅輪くぐりに「水無月の名越しの祓へする人はちとせの命延ぶといふなり」〔『拾遺集』所載〕の歌を唱え、穢れを祓い清らな姿態で更なる高みに向かっていく文月への門出になれとしたい。

『古今和歌集』巻第十七・雑歌上、八七五番に、

女どもの見て笑ひければよめる

兼芸法師(けむけいほうし)

0875 かたちこそ深山隠れの朽木なれ 心は花になさばなりなん

※定家自筆『古今和歌集』影印資料より
※旧伏見宮家旧蔵複製本〈架蔵〉より

ヲムナトモノワラヒケレハヨメリケル
ケムケイ法シ

カタチコソミヤマカクレノクチキナレ
コヽロハイロニナサ(ラ)ハナリナム


 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
オルゴール〔名〕({オランダ}orgel)《オルゴル・オールコール》(1)手回しやぜんまい仕掛けで回転する円筒につけた刺(とげ)で、音階順に並んだ金属製の櫛(くし)の歯をはじいて小曲をかなでる玩具。小箱、タバコケース、置時計などに装置され、日本には江戸時代末期に渡来。自鳴琴。風簫(ふうしょう)。舎密開宗〔一八三七(天保八)~四七〕四・附録「時辰儀(とけい)自鳴箏(オルゴル)の発絛(ぜんまい)」*寄笑新聞〔一八七五(明治八)〕〈梅亭金鵞〉一〇号「睡気(ねむけ)をさそふ琴の音と聞しは彼の『オルゴール』てふものなれば」*風俗画報‐二三号〔一八九〇(明治二三)〕土木門「又オールコールは(春雨の曲)四曲及び(一つとせ)(トコトンヤレ)(山寺の)(洋楽)等の八曲を一度に発声し」*白い柵〔一九五二(昭和二七)〕〈永井龍男〉「『ネジを巻くと琴のやうな歌が・・・』『うんうん、オルゴールの・・・』」(2)(おるごうる)歌舞伎囃子(ばやし)の楽器。大小の音色のちがった念仏用のリンを、三、四個木の板にとりつけ、二本の貝ばちで打って、(1)のような音色を聞かせる。蝶の飛びかう場面、神秘的幻想的な場面などに用いる。【語誌】(1)一八世紀末にスイスの時計製作者たちにより考案された。一九世紀に入って日本に伝わったとされる(輸入品目の例として、「酉紅毛船脇荷物帳」に「ヲールゴール」、「本売直組帳 脇荷物売印帳」に「ヲルゴル」の記述が見える)。(2)『武江年表』には嘉永六年(一八五三)四月に深川仲町で「阿蘭陀渡りチャルゴロ」という「函中自然と色々の音を出す器」を見せ物にしたという記述があり、オルゴールのことかと考えられている。国立科学博物館には、江戸末期(嘉永年間)に江戸の時計師小林伝次郎が作ったオルゴール付き枕時計がある。【発音】〈標ア〉[コ ゚]〈京ア〉 [ゴ]
【辞書】言海
「庭の千草」アイルランド民謡(歌曲)『夏の名残のバラ(夏の最後のバラ)』。日本の唱歌の題名。作詞:里見義(ただし)、曲はアイルランド民謡に基づく。発表年は一八八四(明治一七)年。
「夏越の祓」 此の時季「茅の輪くぐり」の注連縄が神社に設けれています。拝礼し三度八之字を描くように括り抜け、この折に「水無月の名越しの祓へする人はちとせの命延ぶといふなり」を唱えて行います。お試しあれ。そして、京の和菓子「水無月」を口にすることも涼氣を呼ぶこと間違いなしでしょう。