萩原 義雄 識

「兎」字の話しをしたい。昨年の「虎」から今年の干支として引き継ぐ。算用数字1221で、上から読んでも下から読んでも同じくなる「回文」〔わたしまちましたわ、あなたきんのんきだなあ〕ということば遊びの表現を云う。
そこで、作ってみた回文を茲に披露してみたい。

虎苦樂(とらクラク) 氣明(ケあ)けの兎(うさぎ) 像除(ざうの)け上(あ)げ クラクラと
とお算(かぞ)えるに 似(に)る絵(え)ぞが菸菟(おと)

と詠んで見た。「とととと」…。

「兎」の字は、日本の古い地名にも引用する。平安時代に源順が編纂した『和名類聚抄』〔二十卷本・郡國部〕があって、茲に記述された地名を江戸時代の国学者本居宣長がまとめた『和名抄國郡郷部』上下二冊自筆写本〔現京大図書館←川瀬一馬←寳玲文庫←大槻文彦←いさわ([伊澤蘭軒]←射和文庫[三重松阪])←吉葛園(よさづらのその)竹綿麿(竹川氏)所蔵印←鈴屋〕と云った錚々たる知識人の手を渡って現在の京大図書館に所蔵(デジタル公開書籍)する。宣長の弟子であった伴信友も『和名類聚鈔郷名集覧』を編纂している。此の資料では、「兎束土都加」〔八ノ四丁ウ〕と記載し、「兎原[宇波良]」は未記載する。宣長自身も「攝津國兎原郡」の名のみで、この「兎」字の地名については関心事を見せていない。いま、「兎」年にあたって「うはら」「とつか」と音訓各々で訓む地名があったことを知る。
 
⑴「うはら」【兎原】和名・文明・易林
名古屋市博物館資料叢書『和名類聚抄』〔28オ〕では「少+蓉」字。
 
⑵「とつか」【兎束】→「うつか」高山寺本は「兎〓」『日本歴史地名大系』


名古屋市博物館資料叢書『和名類聚抄』〔55オ〕では「兎東(、)」字。


※大東急記念文庫蔵『倭名類聚抄』〔天正四年、菅為名写〕
七美郡 兎束
として、振り仮名記載を見ない。
此方も「うつか」と和訓漢字表記ともとれる。他に鳥名で「鵜塚(うづか)」の地名もある。

現在、この地名は「七美郡兎束郷(兵庫県)」と呼称する。此の地は、山名豊国ゆかりの地、豊国は秀吉に仕えて御伽衆となり、秀吉の死後は徳川家康に接近する。関ヶ原の戦いでは東軍に参加し、戦功を挙げて家康より「但馬国で一郡を領し給え」のことばを得て但馬国七美郡6700石を与えられ、兎束村に陣屋を築いて地名を「福岡」と改めた。知行は1 万石に達しなかったが、名門の出自により旗本でも別格とされ、後に交代寄合表御礼衆の一つとされた。NHK 大河ドラマ「どうする家康」ではここまで描けないだろうから「兎」字に関わる地名で今年の指標をどう見るのかが楽しみともなる。
最後に、「兎」の字を地名に用いた例は意外にもすくないことがわかる。地名は軈て此の地に生きた人の姓名として用いられていく。
さあ、今年も元氣に笑いあり、涙ありのいち、二三、二〇二三年の幕開けをはじめよう。
 
【兎】字所載の廿卷本『倭名類聚抄』一覧

通番 當該漢字 郡郷名 万葉仮名 和名 國名 丁数
1009 摂津國 兎原[宇波良] 宇波良 うはら 巻五 國郡部第12 畿内郡第60 11丁裏7行目
2000 兎原郡 兎原郡 × × 巻六 國郡部第12 摂津國第72 9丁裏7行目
4441 七美郡 兎束[土都加] 土都加 とつか 巻八 國郡部第12 但馬國第105 5丁裏2行目

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
う【兎・菟】〔名〕「うさぎ(兎)」の古いいい方。*拾遺愚草〔一二一六(建保四)~三三頃〕上「露を待つうの毛のいかにしをるらん月の桂の影を頼みて」*和訓栞〔一七七七(安永六)~一八六二(文久二)〕「兎もうとばかりよめりうさぎは後の訓成べし」【語誌】『日本書紀』斉明五年三月條に「問「菟」、此をば「塗毗宇(トヒウ)」と云ふ。「菟穂名」、此をば宇保那(ウホナ)と云ふ」とあって、「菟」字は「ウ」と訓んでいる。【語源説】(1)「ウ」の音はやすらかに発せられるところから易産の意で名づけたか〔和訓栞〕。ウム(産)の「ウ」と同種〔俗語考〕。(2)「ウサギ」の略〔日本語原考=与謝野寛〕。→「うさぎ(兎)」の語源説。【辞書】言海【表記】【兔】言海