萩原 義雄 識

西暦二〇二四年四月が動き出す。大陸からは此の時季に黄砂が日本列島に飛来する。巨大な黄砂になると、あたり一面此の砂に蔽われてしまうこともある。西の空から列島各地にもたらされ大自然の営みに逆らわず凡てあるがままのものとして受け捉えてきた邦人の祖は此の天象の現象をどう見定めて記録しているかを見ておくと、蒼朱黄黒白(あをあけきいくろしろ)の基本五色彩とある中核に位置する「黄の砂」という点も妙相となっている。「黄」の色は「黄牛(あめうし)」、花色で云うと「黄菊」「黄花」、食彩で云えば寿司屋で黒が「海苔(のり)」、白が「米飯(しやり)」、朱は「赤身の魚」、蒼も「青身の魚」、黄がなせるものとして「玉子焼き」が考案され、「黄色」の彩りとして相当させてきた。食の調理法からその知恵はめざましい。今では黄色はごくごく通常な色合いなのだが、例えば、車や自転車のボディーに使われる塗料も実は他の色に比べ手間暇がかかるものと知るとあらゆるものの色のなかで「黄の色」は特別なものとなってくる気がする。
春の季節のなかで、川縁の道を散策する折にさくら花の下に黄色い菜の花が彩りを添えている景色に度々出会うことも決して珍しくはないと思う。
人は住み慣れたふるさとの地から、遠く離れた土地に各々の夢をめざし、旅立ちの瞬間を迎えていて、空港や駅改札口から大きなトランク(=語源に四角い篋の意と象の鼻の意などを云う)を携えて移動する若者を目にする時でもある。その重量たるや、三〇キロを有に超える重さかなと推し量る。列車やバスなどの交通機関を利用して、各々の目的地に向かおうとしている光景が眼前には多く見受けられる時なのだから。
そこには、同じように、同じ夢を抱きつつ、同じ所にやってきたことで、新たなともだちにも出会うことになろう。新たな居住場所を得て、新たなる棲家とする。見るもの聞くものありとあらゆる物がそのときの己れを高めていくことになろう、言わば、未知なるものと出会いなのだから、その瞬間瞬間を大切にメモリアルすることでその瞬間の出来事がきっと自身に息づいて行くことになろう。
目を閉じて、思い描いていた世界と当に現実の世界との対面ともなり、とても貴重な体験になることを願おうではないか。新たな清い風が吹き始めている大切なのだから。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
こう-さ[クヮウ‥]【黄砂・黄沙】〔名〕(1)黄色い砂。*経国集〔八二七(天長四)〕二〇・下毛野虫麻呂対策文・策問「冒公司、屡煩丹筆、徒□黄沙」*謝荘‐自潯陽至都集道里名為詩「青渓如黛、黄沙金」(2)黄色の堆積土。第四氷期に砂漠地域から風に運ばれて中国北部、中部・北ヨーロッパ、アメリカなどに堆積したもの。(3)砂漠。*蕉堅藁〔一四〇三(応永一〇)〕出塞図「寒雨黄沙暮、西風白草秋」*壺山詩稿〔一七七七(安永六)〕軍城早秋「曾辞鳳闕辺関、十歳黄沙戦未還」*王昌齢‐従軍行・七首詩・其四「黄沙白戦穿金甲、不楼蘭、終不還」(4)中国の北部、東北部、モンゴルなどで、黄色の細かい砂が風で吹きあげられ、黄色または赤褐色に空をおおう現象。三月から五月にかけて、微細な砂塵が偏西風に乗って日本にも飛来する。霾(ばい)。《季・春》*不勝簪〔一九八〇(昭和五五)〕〈阿波野青畝〉「きのふけふ濁世さながら黄沙かな」*南史‐梁本紀下・簡文帝「大宝元年春〈略〉丁巳、天雨黄沙」(5)牢獄。*性霊集‐六〔八三五(承和二)頃〕於大極紫震両殿請百僧雩願文「女謁進歟。黄沙寃耶」【発音】コーサ〈標ア〉[コ]

栃木県真岡鐵道

 

https://www.etymonline.com/ 参照。

「trunk」の意味は「象の鼻;幹;トランク;胴体」
【trunkの語源】15世紀半ば、「箱、ケース」として使われた言葉で、古フランス語のtronc「教会の施し箱」だけではなく、「木の幹、人の体幹、木製のブロック」としても知られています(12世紀)。ラテン語のtruncus「木の幹や体の幹」という意味で、そもそも「切り取られた、オフにされた」という意味があり、おそらくPIEの根*tere-(2)「横切る、通り抜ける、克服する」から来ていると推測されます。
「箱、ケース」という意味は、おそらく身体を内臓の「箱」と見なしているためです。英語は「木の主要な幹」と「身体の胴部」という意味を古フランス語から15世紀後半に取り入れました。自動車の「荷物入れ」の意味は1930年代からあります。鉄道の「trunkline(主要な路線)」は1843年から、電話のバージョンは1889年からあるとされています。
「象の鼻」と一五六〇年代に呼ばれ、trunk(名詞1)から来たと見られていますが、trump(名詞2)すなわちtrumpet(トランペット)との混同から来ている可能性もあります。