萩原 義雄 識

時は春を感じさせるように、時折の雨降りが地上の土に潤いをもたらし、人の行き来も適いてか、多くの若者たちが新たなる活動拠点に向かって動きだしている。此の時期、海外に己れ自身が学ばんと最良の行程計画を練って動くのもそのためであろう。とは言え、旅の資金づくりは容易でないことも慥かである。

此の冬から春の兆しを感じられる時を、斯くも吾人はイタリア国ミラノから朝一番でアドリア海沿いに列車で移動し、イタリアにある独立国サンマリノ共和国に向かった。閑かな街並みを抜けて車で半日案内していただく。彼は此の地から一時間ほど離れた街に住み、そこから二駅先の病院で外科医として勤務している。此処に日本の伊勢神宮から齎され鎮座する立派な神社が丘陵に広がるぶどう畑に覆われるようにあって、古式さを伝えるものとなっていた。イタリアには寺院は幾つかあるが、神社茲に一箇所と云う。その場からさらに急勾配の道を上ったティターノ山の頂き街の中心地にある女神の像が安置される、四方を望めるところまで、祭禮行事にあわせて御輿を担ぐと云うそこは、箱根駅伝の五区・六区を思わせる高台に位置する。車で上っても駐車場に入れ階段を上らねばならないのだが、ここにもエレベータが二層に設置され、一気にあがることができたり、下から直に上り下りするケーブルカーも動いている。その山の頂きにある建造物も美しい。邦人(東洋人)は、吾人とジェノバに住む彼の知人の二人だけで他には見ない。神の宿る大石も、樹木も、池も整備されていた。そして夕方彼の住む近くの町まで暗がりの道を只管走らせ、自身の家に近い海辺に誘ってくれた。その打ち寄せる波音も、ベルベットのような和らぐ砂が続く浜を歩いたり、ゆっくり走ったりする。此の浜辺近くのレストランで、土地の魚だという〝mormora 〟と云う鯛の一種を揚げた魚料理を大皿一杯に盛って出してくれた。骨のある魚故、邦人の吾人には箸で食したいと思った。そして、此の魚名に漢字を製してみた。「耳」三字重ねの「囁」の口扁を魚扁に換えた字を書いてみた。熱々で食すには旨かった。駅近くのホテルに宿をとり、夜案内してくれた街並みをもう一度ひとり朝散歩し、歩いて三分もかからない海沿い駅「Senigallia」から山沿いの駅へと鉄路を行き、ローマに向かった。途中には和紙の生産地で有名であったパブリィアーノを通る。残念なことに現在では生産を停止しているという。ローマ大での研究発表を翌朝に行い、翌日も発表は続くのだが、吾人は二十一年ぶりに訪ったこともあり、ローマの日本文化会館の清水館長のご案内で、庭園そして建造物について、本学の深沢キャンパスにも繋がる数寄屋風建築家吉田五十八(いそや)氏の設計となる、その遺風な建造物と庭樹木、庭石などローマ日本館の佇まいを楽しんで、夕方直行電車で一度ミラノに戻り、再び南イタリアのカラブリアに空港から飛んだ。そのあとのことは来月号に綴ることにする。
 
《補助資料》

サンマリノ共和国・・・イタリア半島中東部のティターノ山に位置する、面積六十一平方キロメートル(世田谷区とほぼ匹敵する広さ)、人口約三、四万人の世界で五番目に小さな国。三〇一年に建国された現存する世界最古の共和国。
※画像筆写撮影



独立精神の象徴である自由の女神像(Statua della Libertà)。
※画像筆写撮影



魚名「mormora」
地中海などの砂底に生息し、釣りや料理(特に焼き魚やフライ)で親しまれる大衆的な白身魚



ローマ日本文化会館前
*清水館長と吾人
*館の題字は、吉田茂元総理大臣が大使であったときに揮毫