人には言わずもがなラッキーナンバーというものがある。その数字は人それぞれなのだが、とりわけ、スポーツの世界はより顕著なものとなっていると思われる。今季の世界陸上北京大会に出場中の選手、監督コーチなどにもそれぞれあるだろう。二十二日の男子マラソンを皮切りに夜行われた一万メートルには昨年まで本学の駅伝エースだった村山謙太選手が出場していた。結果はトップ集団に周回遅れでゴールとなった。世界に向けての初陣は彼にとっても苦い経験となったに違いない。この日本チームを率いる瀬古俊彦さんは、数字「九」がラッキーナンバーだそうだ。ラジオ番組土曜ワイド「永六輔その新世界」で現地から声の出演をし語っていた。永六輔さんはこの話しのなかで漢数字「九」にひとつ「丶」を添えると漢字「丸」の字となり、「まるく凡てがおさまる」とコメントし結んでいたのが印象的であった。江戸時代の漢字の文字遊びによるあの寺子屋教育が今もいきづいていたからだ。

九月は夏季休暇から後期学業に向けて始動していく時でもある。「九」にチョンと点を添えて各々が新たな時を歩み続けてゆく。この言動の目標をもう一度引き締めたらんと願ってやまない。小学生であれば夏休暇の出来事をまとめた絵日記が提出されるのだが、大学では夏休暇の容子を公開することはない。だが、真っ白な白紙のうちにはきっと同じくらい夏季休暇のそれぞれが感動体験した盛り沢山の事象が「九」の古訓(名義抄・字鏡集など)のうちに「キヨシ」と訓んでいることに喩えて云うのであれば、泉の如く滾滾(こんこん)と湧き出してきていることだろう。そっと吾が掌に清き水を掬みとって清涼感を味わうも良かろう。中国字書『説文』に、「九」を有する漢字として、「艽・鼽・鳩・虓・旭・宄・究・仇・尻・軌・禸」など十一字を収めているのだが、此等の意味内容を深く見るも良い。「九」文字だけを重ね書きして「蛩」「况」と畳字して見るのも良かろう。また、数列にして七、八、九…と上がるも、九、八、七…と下がるもありで、ルール規定は闊達自在に進めてみるのも実に自由であって、このときに自身で決断した目標軸がブレないことが一番大切であり、自身が立ち向かう勇気を何時も忘れないでいて欲しい。「九」は、氣も陽のめぐりであり、来たる「九月九日」は、重陽(ちょうよう)の節句と称し、古来から本邦でも尊んできた。
謡曲「枕慈童」に触れる機会ともなる。

観智院本『類聚名義抄』観智院本『類聚名義抄』〔天理図書館蔵・佛下末10ウ-6-〕

 


 音久 コヽノツ コヽノトコロ
 キヨシ アツマル 和又去

 

 

 

 

 

※土曜のTBSラジオ番組「永六輔その新世界」は九月まで続くが、其後、月曜日夜の番組に移行することが決まっている。
※謡曲「枕慈童」(まくらじどう)能の曲目。四番目物。金春(こんぱる)、宝生(ほうしょう)、金剛、喜多(きた)流現行曲。ただし金春流は昭和の復曲。観世(かんぜ)流ではこの能を『菊慈童』とよぶ。観世流の『枕慈童』は時代を八百年後に設定した同じ主題の別の能で、江戸時代の改作である。深山に湧く薬の水を尋ねる魏の文帝の使者(ワキ)は、七百年を美少年の姿のまま生きる慈童(シテ)と出会う。周の穆(ぼく)王に仕えた慈童は、帝の枕をまたいだ罪でこの深山に流されたが、枕に書かれた法華経(ほけきょう)の文章と、菊の葉の露の奇跡で、不老不死の仙界に生きている。慈童は美しく舞い、長寿の薬の水を帝に捧げて終わる。金剛流には、現在は省略されている前場、慈童が山に捨てられる場面も演ずる演出が残っており、類曲の『彭祖』(ほうそ)がある。なお、この能による長唄(ながうた)に一八六〇(万延元)年、十一世杵屋六左衛門(きねやろくざえもん:通称根岸の勘五郎)作曲による『枕慈童』がある。[増田正造]小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』所収