萩原 義雄 記

独立行政法人国立国語研究所編『日独仏西基本語彙対照表』という書籍が一九八六(昭和六一)年代に編まれていた。この語彙対照表は外国人のための日本語教育として必要な学習基本語彙の基礎資料提供が主なる目的であった。だが、此のヨーロッパ諸国語の基本語彙と日本語の基本語彙との対比は、余り利用されたという経緯を知らない。同研究所編『分類語彙表』が基軸になっていることも見逃せない。これに加えて冊子書籍が大きめの活字で表示されていたら見る目も変わっていたのではと思ってしまった。でもじっくり眺めていくと、学習力があればこうやって利用できるのだ。例えば、日本語「はちみつ【蜂蜜】」の語は、分類コード1.433 〔食料>調味料・麹など〕にあり、この対照表で独語「HONIG」、仏語「MIEL」、西語「**」(蜜「MIEL」)という具合に知りたい語と触れ合うことができる。次に「コーヒー【珈琲】」も1.435.7 〔食料>飲料・たばこ〕独語「KAFFEE」、仏語「KAFÉ」、西語「KAFÉ」と実に分明であることに氣づく。

これまで日本語の片仮名表記のなかに、長音符号「ー」を三語に用いてきたが、明治の文豪森鷗外は、「ー」はしるしであって、文字ではない、字でないものは書きたくないとして、「ヨオロッパ」「コオド」「コオヒイ」と記述していたことをご存知だろうか。今では、持ち運びして呑める代物となった「珈琲」は、この発音を学べばよいことになる。むしろ、「蜂蜜」はややお国がらを知って用いねばなるまい。

この春四月は、東京都心に他国や地方から人が多く集まる時季。彼等のことばは、母語を基調としていながら東京共通語を使うに長けていたりする。だが、この東京語にも訛はあり、「あの人はえばっていていやだ」などは、良く耳にする。「いばって【威張・息張】」が正しい。駅名も「秋葉原」を「あきはばら」と称しているのだが、元は「あきははら」「あきばはら」、「新宿」は「しんじく」でなく「しんじゅく」、「宿場」字を「しくば」とは言わず、「しゅくば」である。「高田馬場駅」は「たかだのばば」と書かれているものの「たかのばば」というのが江戸風なのだそうだ。

121《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
はち‐みつ【蜂蜜】〔名〕ミツバチが植物の花からとって巣に貯えた蜜。白色透明または黄色のねばりけのある濃液。糖分がきわめて多く栄養価が高い。食用・薬用に供せられる。*改正増補多識編〔一六七〇(寛文一〇)頃〕四「蜂蜜〔和名〕波知美豆(ハチミツ)」*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕五二「蜜〈略〉蜂蜜(ハチミツ)出二於紀州熊野一者最佳、芸州之産次レ之」*西洋道中膝栗毛〔一八七〇(明治三)〜七六〕〈仮名垣魯文〉三・下「幽灵が亡者に取つくのは氷砂糖を蜂蜜で喰やうなものだぜ」【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】ヘボン・言海【表記】【蜂蜜】ヘボン・言海【図版】蜂蜜〈日本山海名産図会〉英語「honey 」中国語「fēngmì 【蜂蜜】」
コーヒー【珈琲】〔名〕({オランダ}koffie {英}coffee )《カヒー・カッヒー・カーヒー・コヒー・コッヒー・コーヒ・コッフィー》(1)芳香、苦味の強い焦げ茶色の飲料。カフェインを含むため覚醒作用のある嗜好品。*輿地誌略〔一八二六(文政九)〕二・都児格「常に哥喜(コーヒー)及泉水を好み用ゆ」*西洋聞見録〔一八六九(明治二)〜七一〕〈村田文夫〉後・三「西洋にて加菲(カーヒー)を多く用ゆる事煎茶と並び行はる」*東京新繁昌記〔一八七四(明治七)〜七六〕〈服部誠一〉六・西洋料理店「茶に滑比(コツヒー)と曰ひ、菓に巴的岌希(ぱつとけいき)と曰ひ」*内地雑居未来之夢〔一八八六(明治一九)〕〈坪内逍遙〉五「ここの『コヒイ』は甘(うま)くないから」*露団々〔一八八九(明治二二)〕〈幸田露伴〉一二「然るに彼は一杯の珈琲(コウヒイ)をも与へずして吾輩を園中に禁錮するにあらずや」*風俗画報‐一六号〔一八九〇(明治二三)〕論説「茶酒を飲むにも瀬戸九谷の製を好み菓物を盛り珈琲(コツフィー)を喫するにも清水有田の産を用ひんとするもの」*夜ふけと梅の花〔一九二五(大正一四)〕〈井伏鱒二〉「コーヒーとしる粉とをのむべく私は二階へあがった」*私の東京地図〔一九四七(昭和二二)〕〈佐多稲子〉坂「喫茶店の山本では〈略〉私は、山本で一杯のコーヒをのむことに、幾分の文化の雰囲気を感じた」(2)(1)のもとになるもの。最近ではインスタントコーヒーの粉もさすが、本来は、コーヒーノキの種子(コーヒー豆)を炒(い)って粉に挽(ひ)いたものをいう。この粉を煮だすか蒸気を通して(1)を作る。*舶来語便覧〔一九一二(大正元)〕〈棚橋一郎・鈴木誠一〉「コーヒー珈琲Coffee (仏)(英)珈琲樹の果実の核を焙焼して粉末とせしもの。之に砂糖を加へ熱湯に和して飲む〔コッフィー英〕〔カフェー仏〕」*ブルジョア〔一九三〇(昭和五)〕〈芹沢光治良〉四「台所では肥ったコックがパンの籠を受けとる。コーヒを煎じる」*メサの使徒〔一九五〇(昭和二五)〕〈武田泰淳〉「『青沼さん、このコオヒイはいかがでございませうか』仙波は〈略〉コオヒイ缶をさし出した」(3)「コーヒーまめ(─豆)」に同じ。*中外新聞‐慶応四年〔一八六八(明治元)〕五月三一日「茶、コッヒー等は商売少く値段高下無し」*蒼氓〔一九三五(昭和一〇)〜三九〕〈石川達三〉第一部「珈琲(コーヒー)はもう生産過剰で行き詰りましたな」*ランボオ〔一九二六(昭和元)〜四八〕〈小林秀雄〉一「アフリカ内地では、珈琲(コーヒー)、香料、象牙、並に黄金の商人」(4)「コーヒーのき(─木)」に同じ。*東京日日新聞‐明治一五年〔一八八二(明治一五)〕二月二二日「兼て小笠原島へ試植せられし珈琲は〈略〉此ごろ全く成長して最はや実を結びたり」【語誌】(1)近世後期に蘭学書にしばしば見えるように、オランダ語koffie に由来する。語源はアラビア語のgahwah (飲み物、酒の意)。アラビアで飲料として飲むようになったのは一三世紀頃からで、イギリスに伝わったのは一七世紀、その後フランスに伝わり、コーヒー店が生まれた。日本のコーヒー店は、明治一九年(一八八六)にできた東京日本橋の「洗愁亭」、同二一年の東京上野の「可否茶館」が早い。明治四〇年代になるとコーヒー店は一般に「カフェー」とも呼ばれた。(2)漢字表記は骨喜、滑比、架非、加菲、㗎啡、加非、咖啡、咖〓〔啡+刂〕、珈琲、哥非乙、哥喜、歌兮、茄菲などがあるが、明治一一年(一八七八)の「新撰薬名早引」には「咖啡」が登場し、他の漢字表記よりは比較的多くの辞典で使われた(ちなみに中国語ではこの表記が用いられる)。一方、現在使われている「珈琲」は既に文久二年(一八六二)の「英和対訳袖珍辞書」に見えるが、明治三〇年代末頃から徐々に定着し始め、以後もっぱらこの表記が使われるようになった。(3)片仮名表記も、コーヒ、コーヒー、コッヒー、カッヒー、カヒーとまちまちであった。コッヒー、カッヒーと促音の入る形は、明治二〇年頃まで比較的によく見られるが、それ以降は一般にコーヒーの形が用いられるようになった。【発音】〈標ア〉[ヒ]〈京ア〉コーヒ(0)【辞書】ヘボン・言海【表記】【咖啡】言海