萩原 義雄 記

旅に出るとき、旅行鞄は現代にあってもつきものである。学生も九月半ばまでは、夏季休みということもあって、大きな荷物を持って乗り物で移動する。これと同じように古人たちも旅をした。この時、手に持ち運ぶ道具として、キャリーバッグならぬ「あまはこ【篋】」とか、「すり【簏】」という竹で編んだ籠状の小箱を持ち歩いていたようだ。『正倉院文書』天平二〔七三〇〕年七月四日・写書雑用帳(『大日本古文書』巻第一)に、「辛七合〈又須利一合〉」とある。

126_01『日本霊異記』〔八一〇(弘仁元)年〜八二四(天長元)年〕巻上・第三五に、時に擔(にな)ふ篋(アマハコ)の、樹上に在るを見るに、即ち種々の生物の声、篋の中より出づるを聞く。〈興福寺本訓釈篋安万波古〉
【画像1】:興福寺本『日本霊異記』上卷第三五
とある。この竹製の編み製の籠である筥物に入れ、此を肩に担って運ぶのである。源順撰『倭名類聚抄』〔九三四(承平四)年頃〕巻第六・行旅具第百八十九の冒頭語にも、

子説文云簏〈音鹿楊子漢語抄云簏子須利〉竹篋也
【画像2】:駒澤大学図書館蔵寛文十一年版本
と見えている。通常は衣類など入れて運ぶ。平安時代の『宇津保物語』〔九七〇(天禄元)〜九九九(長保元)年頃〕吹上之巻上に、

種松が奉る物は、一所にすりふたかけ、いかめしき馬におほせたり。白絹入れたり。
(種松が差し上げる物は、一所(ひとところ)に二つのすりを頑丈な馬に載せた。これに白絹を入れた)

と見えている。この行旅具は、鎌倉時代になると文献資料からは姿を消す。運搬法とこの筥具では、雨に降られたら、筥の中身も濡れてしまうため、持ち運びとして使用されなくなったとも言える。秀吉が小田原攻めの折、千利休が茶道具を運ぶことを目的に考案したのが「旅簞笥」という代物だった。牛車で運ぶにしても実に重い行旅具だった。がこれが、江戸時代になると、素材も竹から柳に変更し、「柳行李」へと移行していたとも言える。現代人の私たちは、「柳行李」を知る方も少ないだろう。今は、布製鞄、雨にも強い旅行鞄を持ってゴロゴロと音を立てながら移動する遊子(=勇姿)を気取っている人も増えてきた。だが、休みを重ねていく度に、旅馴れていく若者もいないではない。そこで、「私は、もてないだけなのです」と二重ことば表現できる旅馴れた人を憧憬してみても如何だろうか……。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
すり【簏】〔名〕特に、上代・平安時代に、旅行の際などに携行した、竹で編んだかご状の小箱。あまはこ。*正倉院文書‐天平二年〔七三〇〕七月四日・写書雑用帳(大日本古文書一)「辛簏七合〈又須利一合〉」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕六「簏子説文云簏〈音鹿楊子漢語抄云簏子須利〉竹篋也」*兼盛集〔九九〇(正暦元)頃〕「たび人はすりもはたごもむなしきをはやもていましね山のとねたち」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)〜九九九(長保元)頃〕吹上上「種松が奉る物は、一所にすりふたかけ、いかめしき馬におほせたり」【語源説】スヲリ(簀折)の約か〔大言海〕。スヲヲリ(簀撓)の義〔言元梯〕。【発音】〈標ア〉平安○○〈京ア〉[0]【辞書】和名・名義・言海【表記】【簏】和名・名義・言海


あま‐はこ【篋】〔名〕竹などで編んだ四角な携帯用の箱。*日本霊異記〔八一〇(弘仁元)〜八二四(天長元)〕上・三五「時に担(にな)ふ篋篋(アマハコ)の、樹上に在るを見るに、即ち種々の生物の声、篋の中より出づるを聞く。〈興福寺本訓釈篋安万波古〉」*新撰字鏡〔八九八(昌泰元)〜九〇一(延喜元)頃〕「帛篋笥也、箱也、方曰篋、円曰筥、阿万波古」【上代特殊仮名遣い】アマハコ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】字鏡・名義【表記】【帛篋・簏・箓】字鏡【篋】名義興福寺本『日本霊異記』上卷第三五卅五締知識為四恩作繪佛像有驗示奇表緣
河內國若江郡遊宜村中、有練行沙彌尼。其姓名未詳。住於平群山寺。率引知識、奉為四恩、敬畫像、其中圖六道。供養之後、安置其寺。因緣事、暫示東西。時其尊像、為人所盜。悲泣求之、終不得矣。更停知識、念欲放生。行乎難破、徘徊市歸。時見擔篋之在樹上。即聞種種生物之聲、從篋中而出。疑是畜生類、必贖而放之、留待物主。良久、主來。乃其尼等曰:「從此篋中有生物聲。吾欲買之、故待汝耳。」篋主對曰:「非生物也。」尼等乞之、而猶不予。時市人評曰:「可開其篋。」篋主怕然捨篋奔走。後開見之、尊像存焉。尼等歡喜流淚、泣矜曰:「吾先失斯像、日夜奉戀。今邂逅得遇。嗟呼慶哉!」市人聞之、來集稱:「難。」尼等歡、放生修福、遂安本寺。道俗歸敬、斯乃奇異之事也。


やなぎ‐ごうり[‥ガウリ] 【柳行李】〔名〕行李柳(こりやなぎ)の若枝の皮をはぎ、乾燥させ、麻糸で編んで作った行李。衣類などを入れるのに用いる。やなぎごり。*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕三二「行李〈略〉䇭今云柳行李」*譬喩尽〔一七八六(天明六)〕五「柳行李(ヤナギガウリ)世俗用之但古代象物而納二万物一器也殊従二禁中一為二勤許一納二宣命一此柳行李也、不疎思也」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)〜〇一〕〈徳富蘆花〉五・六「直ぐ柳行李(ヤナギガウリ)をしめて、新しい浴衣に着かへて」【語源説】柳籠織の意か〔筆の御霊〕。【発音】ヤナゴウーリ〈なまり〉ヤナッゴリ〔讚岐〕〈標ア〉[コ゜]〈京ア〉[ゴ]


やなぎ‐ごり【柳行李】〔名〕「やなぎごうり(柳行李)」に同じ。*俳諧・毛吹草〔一六三八(寛永一五)〕四「但馬柳籠履(ヤナギゴリ)」*浮世草子・世間娘容気〔一七一七(享保二)〕二「久三に挿箱なり共柳ごり成共もたせてつれてゆけと」*滑稽本・東海道中膝栗毛〔一八〇二(享和二)〜〇九〕初「あしたの昼食は、この柳(ヤナギ)ごりにいっぱいつめてもらえば」*門〔一九一〇(明治四三)〕〈夏目漱石〉六「下には古い創だらけの箪笥があって、上には支那鞄と柳行李(ヤナギゴリ)が二つ三つ載ってゐた」【方言】(1)柳ごうり。《やなぎくりぶぐ》沖縄県石垣島996(2)弁当入れの一種。《やなぎごり》奈良県南大和683(3)植物、こりやなぎ(行李柳)。《やなぎごり》山梨県一部030 発音ヤナギゴリ〈標ア〉[コ゜]〈京ア〉[ゴ]辞書言海表記【柳行李】言海

左から、篋(韓国製)、柳行李、旅簞笥(利休)益田孝旧蔵

左から、篋(韓国製)、柳行李、旅簞笥(利休)益田孝旧蔵


デジタル大辞泉
たび‐だんす【旅箪笥】茶道具の棚物の一。携帯用の桐(きり)木地製の棚で、千利休が豊臣秀吉の小田原の陣に従った際に考案したという。利休箪笥。