萩原 義雄 識

旧暦九月十三日の今日十月二十九日の夜、十三夜の美しき月を迎えて、日本人が十五夜の月についでその一月あとに愛でる十三夜の月が西の空に沈む頃を境目に気温がぐっと低くなっていく。霜が降りる頃ともあって、霜月(しもつき)と呼称してきた。

この時期の収穫物に従って、「栗月」「豆月」という異名も生まれました。月見団子も十三個、乃至三個用意し供物の栗や枝豆などを添えます。この枝豆の品種の一つに「ゆあがりむすめ【湯上がり娘】」という名前で親しまれる豆食品が知られています。プリッとした艶肌で甘みに特徴がある枝豆です。麦酒(ビール)好きにこの豆莢に三粒豆の茹でたてがつまみとして無くてはならない代物でありましょう。鴨脚樹の実である銀杏(ぎんなん)も日本酒にあう微妙味さがあるから不思議です。

畠山の作物も数々あるのですが、秋味を決める海の産物も多種に及びます。来る「すしの日」は、毎年十一月一日です。歌舞伎十八番の狂言演目「義経千本桜」のなかに鮓屋の段があり、主役である弥助が実は都落ちした平家の武将である平維盛(清盛の孫)であり、大和国(奈良県吉野郡下市村)で鮓屋を生業(なりわい)にしていた旧臣宅田弥左エ門を頼り、吉野川で獲られた鮎を食材とする鮓職人として身を隠しながら働くうちに弥左エ門の娘お里と恋仲になって、程なくして養子となり、実の名を捨てて改名した日が此の十一月一日とされているからです。此の日、
寿司職人の方はご贔屓の客に海苔を配る慣習が続けられてきています。

秋食の日本文化は、神事の催し、祭りの行事と共に密接に繋がって活溌に動いていきます。夜の帷が刻々と近づき、陽の当りが恋しくなる時候であればこそ、大学構内への立ち寄りも極めて僅かな最中となっていましょうが、短い時間であればあれ、凝縮されたものごとがそこには生まれてくると信じていきたいものです。
 
小学館『日本国語大辞典』第二版
よしつねせんぼんざくら【義経千本桜】浄瑠璃。時代物。五段。二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳(並木宗輔)合作。延享四年(一七四七)大坂竹本座初演。義経伝説中、堀川夜討・大物浦(だいもつのうら)・吉野落に題材をとり、平知盛・維盛・教経らがいてそれぞれ名を変えて生きのびていたとする平家の後日物語。二段目の切「大物浦」、三段目の切「鮓屋(すしや)」、四段目の中・切「川連館(かわつらやかた)」が有名。「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」とともに浄瑠璃の三大傑作。通称「千本桜」。
「つるべすし弥助」は現存する鮨店すし屋のことは俗に「弥助」と呼ばれ、「乱暴者」の意味で使われる「ごんたくれ」はお里の兄であるいがみの権太に由来します。