萩原 義雄 識

板井慶次郎編纂『雅俗故事新編』(一八八五(明治一八)年刊、上下二冊)巻之上〔四十三ウ10~四十四オ8〕に、

二五五【猫鈴ノ議】伊蘓普譚(いそつぷたん)に云ふ。鼠猫の為に捕らる。一日、群鼠集會し、防禦の策を議す。一鼠曰く、鈴を以て猫尾を緊らは猫來る。必ず鳴らん。鳴れば則ち匿る可らん乎。ー衆(の)鼠皆之を賛し、議忽ち一決す。老鼠問て曰く、鈴を猫尾に緊す可は則ち可也。之を緊る者誰なりやと衆(の)鼠黙して答ふる者なし。議頓に止む。是議論は議論、実地は実地と云ふの比喩なり。世間往々猫鈴の議論を為す者あり。
編者曰く、予、議塲に列し、他人の論を駁する。是所謂、猫鈴の議なりと云ふ。一日、議員某氏來り、猫鈴の故事を問ふ。予對るに上の比喩を以てす。某氏曰く、之れ操觚者(そうこしや)の未た嘗て唱ざるのヿ也。子獨り之を唱ふ。不通の比喩を以て衆議を駁す。他の嘲を受んと。予曰く縱ひ、操觚者未だ唱へざるも子の如き実地を顧みざるの論者を駁するに最も妙なる比喩なれば子の如き論者多き冪ハ之を唱ふる者も亦從て多からんとかたれば其憤然として去る。

と、中国や本邦の故事とは異なる西洋の寓話である『イソップ物語』の譚しがたった一つだけ盛り込まれている。ここで、表記は漢字とカタカナで記載しているのだが、便宜上ひらがな表記に改めた。さらに、ふりがなは原文には一切用いられていないが、ここも読者に解ってもらう観点から筆者が読みがなを添えておくことにした。どうだろうか?なぜ、ここに一つだけ取り込まれたのだろうか?と疑問に思えてきた。現行の物語で、この寓話譚を知らない人はいない。だが、室町時代のキリタン資料『ESOPOの物語』には、この寓話は未収載、ただ仮名草子『伊曾保物語』下卷第十七に「鼠(ねずみ)の談合(だんがう)事」として所載する。だが、江戸時代にこの話しが引用した文献作品資料を見ない。

再び明治時代に『伊蘓普物語』はどのような経緯を辿っているのかと言えば、渡部温譯『通俗伊蘇普物語』〔一八七三(明治六)年〕、『漢譯伊蘓普物語』〔一八七六(明治九)年〕があり、上述の資料へと展開していることを「日本言語文化探求」(一九九八(平成一〇)年から二〇二〇年迄)の講義を通して検証してきた。訓誡を「議論は議論、実地は実地」としてその共通したいましめを示す。

長々と引用してきたが、この寓話は、現在「鼠(ネズミ)の会議」として、子ども絵本やアニメなどに継承されてきてもいる。そこでは、どんな勝れた企てであっても、実行不可能であれば何もならないとしている。

小学館『日国』第二版には、堀田善衛『記念碑』〔一九五五(昭和三〇)年〕の「誰が猫の首に鈴をつけにゆくか、というあれだよ」を引用する。
いよいよ、後期授業がスタートする。この日本の故事成語集に編者板井氏は唯一この寓話を挟み込み、「実地を顧みざるの論者を駁するに最も妙なる比喩なれば子の如き論者多きときハ之を唱ふる者も亦從て多からん」と説いている。このように、板井氏の百三十六年前の書物がどう響くのか?はたまた、おおもとの『ESOPOの物語』のこの寓話は、世界の国々でどう共鳴していくのか、新たなスタート地点を迎えようとしていると吾人は思う。
 
《補助資料》
仮名草子『伊曾保物語』下卷、第一七

第十七 ねずみどもだんかうの事
有時鼡。老若男女。相集せんぎしけるは。いつも猫と云徒者(いたつらもの)に亡さるゝ時。千度くやめ共其益なし。彼猫。声を立るか然らずは。足音たかくなどせば。かねて用心すべけれ共。ひそかに近付程に。ゆだんしてとらるゝのみ也。いかゞせんと云ければ。古老の鼡すゝみ出申けるは。詮ずる処猫の首に。鈴を付て置侍らば。易知なんと云。皆々尤と同心す。然らば此内より誰出てか。猫の首に鈴を付給はんやと云に。上臈鼡より下鼡に至迄。我付んと云物なし。
是に依て其度のきでう。[事]をはらでたいさんしぬ。其如人のけなげだて云も。畳の上のくはうげん也。戦場に向へば。常につはものと云者も。ふるひわなゝくとぞ見えける。然らずはなんぞ速に。敵こくを亡さる。腰ぬけの居斗。たゝみ。たいこに。手拍子共。是等のことをや可

 
『漢譯伊蘇普物語』

鼠防
鼠受クル於貓矣、一日群鼠聚議輩足智多能、
深謀遠慮、日藏夜出、亦矣、無如(イカントモ)キヲ
之害、必sup>ス須一sup>ノ善法保全クハ矣、於
紛紛獻所不便乃後一鼠獻リテ响鈴一繋
於猫頸、彼若ラハ等聞、儘奔避豈不カラ哉、衆鼠
、眞善策ナリ也、于忻然タラ各以タリト
中有者、衆問、汝不善乎、
、善善矣、而レ冫、誰ソヤ也、請メテ
、由衆鼠面面相一レ、如世人ノ多ク有
一レタリト者、及ムニ一レ、終上レ、吾矣、
(ハカリゴトヲタテマツル。山田美妙編『漢語林』)
 
伊蘓普物語(いそふものがたり)之内鼠の會議(そうだん)の話
或ころ鼠どもが猫に手ひどくくるしめられ、
此がいをのぞくよきてだてもがなとある夜
よりあひてだんかふをしたりしがこれぞと
おもふばかりごとも出ずしかるにひくおはりに
いたりはるかばつざより小鼠がすゝみ出て
〽わがともがらのかのみけにとらるゝは
ひつきようかれのちかよるを知ずして
おのおのにゆだんがあるゆゑなりよつて此ごは
かのねこのくびにすゞをつけおかんしかる
べしとぞどうじたりけるそのとき
かたはらにもくねんとしてひかへ
ゐたるふるねずみおそるおそるすゝみ
出てものしづかに申立るやう〽この
こうのふもかならずあるべし
しかしこゝにうけたまはり度一り
ありたれどのがかのねこに
すゞをつけにまいらるゝにや
 議論は議論実地は実地なり

 
  議 長  
②〽なるほどしごく妙げい妙げい
①〽此くびたまをかやうにしてかのみけのくびにつけおきますとあるくたびごとにガランガランとおとがいたしますヲ
③〽われらもごどういかんしんかんしん
①〽ハテ、そんなことができるものかしら
 
渡部温譯『通俗伊蘇普物語』〔全六巻六冊、毎巻約四十篇の寓話を収め、総計二三七話を収める。一八七二(明治五)から一八七五(明治八)年刊〕

420 第七十七衆鼠商議《ねずみだんがふ》の話(一〇八)
421 或頃鼠どもが猫に手ひどく苦《くるしめ》られ、此害をのぞく好き手腕もがなと、一夜《あるよ》衆鼠《ねずみ》會同《よりあひ》をなして、[商, (八/口) @古; # 2 – 0 4 – 04 ]議《だんがう》をはじめたり。 衆鼠商議の話
422 そのとき席上において種々《いろ~ 》の獻策《まをしたて》ありて、夫々詮議を遂げられたれど、是ぞとおもふ謀計《はかりごと》もなし。 衆鼠商議の話
423 然るに最後《ごくをはり》に至つて遙か末座より一疋の小鼠が進出議《すゝみいで》、いと驕色《ほこりか》に申し立つる樣、「我輩《わがともがら》の彼《かの》猫に多く取らるゝは、畢竟彼の近寄るを知らずして各《おの~ 》油斷するがゆゑなり。 衆鼠商議の話
424 よつて此後は彼《かの》猫の頂領《くびたま》に鈴をつけ置《おか》む。 衆鼠商議の話
425 然るときは彼の來る事知れ易くして我逃げ事遲からじ」と。 衆鼠商議の話
426 衆皆《みな~ 》此謀《はかりごと》を聞いて感伏《かんぷく》し、異口同音に可然《しかるべし》とぞ同じける。 衆鼠商議の話
427 その時傍《かたはら》に默然として控へたる老鼠《ふるねずみ》、恐る~ 進み出で、座中をきつと見渡して、物靜に申立つる樣、「此策《はかりごと》極めて妙なり。 衆鼠商議の話
428 其效能も亦著明《いちじるし》かるべし。 衆鼠商議の話
429 但し茲《こゝ》に承る度き一事あり、誰殿が猫の領《くび》に鈴を付けに參らるゝや」。 衆鼠商議の話
430 議論は議論、實地は實地なり。 衆鼠商議の話

イソップ物語そのものに備わる真実による警醒諷刺(けいせいふうし)の魅力と人々の感興をそそる内容によりますが、わが国での、この物語の急速な普及の端緒となったのは本書でした。明治六年文部省編纂の小学読本に「狼が来た」話が採用されたのをはじめ、「獅々と鼡」の話など国語や修身教科書に、また教師の例話にと、時勢の動向による消長こそあれ、今日までわが国の教育と関わり続けてきました。

因みに、本書以前のものでは、一五九三(文禄二)年に天草耶蘇(やそ)会コレジオで、読本としてつくられたものが最も有名で、ラテン語から口語文に翻訳し、ローマ字で印刷した『ESOPONO FABLLAS』といい、七十篇の寓話を収めています。その後、キリシタン弾圧の余波を受け、欧風物は陰をひそめましたが、この物語だけは『伊曾保(いそほ)物語』して愛好され、慶長・元和年間に度重ね印刷されました。その寓話数は六十四。

また、日本で一部漢学生に愛読された明朝末期の漢訳旧本で二十二話、更に吉田松陰も長崎から入手して活用したといわれる清朝晩期の漢訳新本で八十一話でした。これに比べ、本書は寓話数が圧倒的に多く、活用、選択範囲は広いものとなりました。

本書の訳者渡部温は、当時最も進歩的要素を備えた沼津兵学校の英学の教授で、本書と同じ年に、Thomas James 撰『Æsop’s Fables』を英語副読本に使用するために、渡部温撰として203話を二冊に収めて『英文伊蘇普物語(イソップスファーブルス)』を官許復刻しています。それを更に和訳したものが本書です。本書の長所は彼の英語教育のみでなく、広く教育に対する熱意の現れといえます。彼は著・訳書も多く、後に東京外国語学校の校長になった人です。
「全人」1991 年10 月号(No.520 )より
 
The Mice Council (ネズミの会議)
Once upon a time all the Mice met tugether in Council,and discussed the best means of securing themselves against the attacks of the cat. After several suggesions had been debated, a Mouse of some standing and experience got up and said,”I think I have hit upon a plan which will ensure our safety in the future, provided you approve and carry it out. It is that we should fasten a bell round the neck of our enemy the cat, which will by its thinking warn us of her approach.“This proposal was warmly applauded, and it had been already decided to adopt it, when an old Mouse got upon his feet and said,
“I agree with you all that the plan before us is an admirable one: but may I ask who is going to bell the cat?”
〔『Aesops Fables』ナビつき洋書五頁〕

『故事成語を知る辞典』
【意義】いざ実行しようとすると非常に危険で、だれも進んではやろうとしないことのたとえ。
【用例】誰が猫の首に鈴をつけにゆくか、というあれだよ[堀田善衛『記念碑』一九五五(昭和三〇)年]
【由来】古代ギリシャの『イソップ寓話集』の一篇から。あるとき、ネズミたちが集まって、どうやったら猫に狙われる危険から逃れられるか、相談をしました。あるネズミが、猫の首に鈴をつければ近づいてくればすぐにわかる、と思いついたところ、みんなはいいアイデアだと大喜び。しかし、年寄りのネズミが「だが、だれが猫に鈴を付けるんだね」と言うと、みんな黙り込んでしまったということです。

小学館『日本国語大辞典』第二版
《親見出し》ね-こ【猫】ねこの首(くび)に鈴(すず)を付(つ)ける
猫の来るのがすぐわかるように、鼠が猫の首に鈴をつける。あれこれと議論をしても、実行する段になると、だれがやるにしても至難のわざであるというたとえ。また、考えはよくてもだれも実行できず議論倒れになるというたとえ。*仮名草子・伊曾保物語〔一六三九(寛永一六)頃〕下・一七「『然らば、このうちより誰出てか、ねこのくびにすずをつけ給はんや』といふに、上らうねずみより下鼠にいたるまで、『我つけん』と云ものなし。是によて、そのたびのきぢゃうことおはらでたいさんしぬ」*記念碑〔一九五五(昭和三〇)〕〈堀田善衛〉「誰が猫の首に鈴をつけにゆくか、というあれだよ」