萩原 義雄 識

室町時代の古辞書『下學集』〔文安元(1444)年成立〕の古写本である亀田本に、
ハル【春】異名 青帝。東君。青陽。麗景 時節 14④
ナツ【夏】異名 朱明。三伏 時節 14④
アキ【秋】異名 白藏。商天 時節 14④
フユ【冬】異名 極時 時節 14④

とあります。また、後の元和版『下學集』には、
 
ハル【春】ハル 異名 青帝 東君 青陽 麗景 時節 27②
ナツ【夏】ナツ 異名 朱明 三伏 時節 27②
アキ【秋】アキ 異名 白藏 商天 時節 27②
フユ【冬】フユ 異名 極時 時節 27②

という記載が見えます。

この典拠についてですが、中国の類書に求めることが今日の学説であり、これについては本学教授片山晴賢先生が、昨年本学の〔駒澤短期大学研究紀 〕第29号に『下学集』「時節門」の漢籍典拠稿というご高論がございますので、是非ご参照願います。

ただ、この箇所の典拠については、何に拠るかは明確に位置づけられていません。
今後の課題とも言えましょう。そして、私が引用公開している『運歩色葉集』は、この『下学集』の影響下にある当代の古辞書であります。

お尋ねの「白蔵」ですが、古くは漢詩集『本朝文粋』(一〇六〇(康平三)年頃)卷第十二・辨薫蕕論<都良香>に、「白蔵九月、驚冬加振撃之威」と引用されています。

また、中国の字書『爾雅』釋天に、「秋爲白藏 氣白而収藏」とあります。

已上、そちらの知りたいご希望に適うものになっているか分りませんが、お應えとさせていただきます。

駒澤大学駒澤短期大学「情報言語学研究室」萩原義雄

二〇〇二(平成一四)年に、某テビ番組から以来取材受けたとき、上記回答を用意して報告とさせていただいた資料です。いま、何故此の語資料を引き出したかについて説明しておきますと、この時分、電子媒体での高速検索資料は調っていず、その多くは紙媒体の辞書や文献資料を繙いてその内容について模索することが当然の作業だったからです。
さて、もし仮に今日このことば情報について依頼があれば、吾人はどうするのだろうかと考えながら、この依頼作業を茲に再現して見ようと思いたちました。
先ずは、知識を備えていても、小学館『日本国語大辞典』第二版〔ジャパンナレッジ〕で検索します。
 
小学館『日本国語大辞典』第二版
はく-ぞう[‥ザウ]【白蔵】〔名〕秋の異称。《季・秋》*本朝文粋〔一〇六〇(康平三)頃〕一二・弁薫蕕論〈都良香〉「白蔵九月、驚振撃之威」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「白蔵ハクザウ秋名」*俳諧・増山の井〔一六六三(寛文三)〕秋「白蔵(ハクザウ)旻天(ひんてん)」*爾雅-釈天「秋為白蔵。〈注〉気白而収蔵」【辞書】下学【表記】【白蔵】下学
とあって、吾人が紙媒体で調査した文献資料は、この国語辞典に見事に引用されていて、その同じ情報がたちどころに知り得てしまうことが明らかとなっています。ただ、どこがどうアプローチしていくとき、異なっているかと云えば、室町時代の古辞書、東麓破衲編『下學集』を正面に据えて、中国字書『爾雅』(南北朝板複製、汲古書院刊)を繙いていったことです。
これをさらに突き詰める意味から、角川『古語大辞典』を繙いて見ます。
 
角川『古語大辞典』
はくざう【白蔵】ハクゾウ〔名詞〕漢語。秋の異名。『爾雅』・釈天に「秋は白蔵と為す〈氣白くして収藏す〉」とある。
例「秋〈異名白藏{ザウ}商天〉」〔下学集〕
例「不(しからざれ)ば則ち白藏九月、驚颷振撃之威を加へ」〔都氏文集・三〕
とあって、寧ろ角川『古語大辞典』の方が『下學集』の語例をメインに据えて収載していることが見えて来ます。
吾人の報告方法は正鵠を射ていたと自負できる瞬間を感じています。このように、ことばの探索は行われていきます。ですが、ここで終わりにせず、さらに追及する姿勢を見せておきますと、此の語に「主」を膠着した複合語「白蔵主」という語を求めておくことにしました。ひょっとしたら、依頼主は此方を臨んでいたかもと思いを馳せてみました。
 
小学館『日本国語大辞典』第二版
はく-ぞうす[‥ザウス]【白蔵主・伯蔵主】【一】〔名〕(1)禅宗で、経蔵を管理し、教学にも通じている僧の称。蔵主(ぞうす)。(2)広く、老狐の化けた者の称。*談義本・艷道通鑑〔一七一五(正徳五)〕五・四「いっかないかなそれほどの化し手は並や通途(つうず)の白蔵主(ハクゾウス)にはあらず」*洒落本・蛇蛻青大通〔一七八二(天明二)〕「どの様な白蔵主(ハクゾウズ)でも真実の尾先をあらはし」(3)狂言面の一つ。狂言「釣狐(つりぎつね)」に用いる。僧に化けた狐の、人間との混在した表情を表わす。*わらんべ草〔一六六〇(万治三)〕四「伯蔵主ハクザウス似たりとも云、従太猷院様、道倫拝領」【二】狂言「釣狐」の登場人物の名。猟師の殺生をやめさせるため、老狐が猟師の伯父の僧に化けたもの。一説に、永徳年間(一三八一~八四)の頃、和泉国(大阪府南部)大鳥郡小林寺耕雲庵に住み、霊性をそなえる三匹の野狐を愛育して、常に身辺に飼っていたと伝えられる僧を素材にしたといわれる。【発音】ハクゾース〈標ア〉[ゾ]【図版】白蔵主【一】(3)

ここで、意味の大きな相異があることに氣づかされましょう。意味内容は三区分にされていて、
(1)禅宗で、経蔵を管理し、教学にも通じている僧の称。蔵主
(2)広く、老狐の化けた者の称。
(3)狂言面の一つ。狂言「釣狐」に用いる。僧に化けた狐の、人間との混在した表情を表わす。

このうち、⑴禅語で「蔵主」ともいうことが見えていますが、用例を添えていません。これでは、いつ頃から用いられてきたのかを明らかにできない意味合いの語と云えましょう。禅語だから、専門の『禅語大辞典』〔大修館刊〕をご自身でお調べなさいという感じです。ですが、この辞典の項目にすら立項が見えていません。次に、⑵ですが、怪奇がかっていて老狐が老僧に化身して猟師に殺生をやめさせようと説き伏せる。⑶の狂言「釣狐」に用いる面へと展開する名前で、用例も⑶の狂言資料『わらんべ草』〔一六六〇(万治三)年〕江戸初期資料に登場し、且つ⑵の江戸時代の用例として、談義本『艷道通鑑』〔一七一五(正徳五)年〕卷五・第四に、「いっかないかなそれほどの化し手は並や通途(つうず)の白蔵主(ハクゾウス)にはあらず」や洒落本『蛇蛻青大通』〔一七八二(天明二)年〕に、「どの様な白蔵主(ハクゾウズ)でも真実の尾先をあらはし」と記載親しまれてきた怪異譚の主人公名となっています。茲に、⑴と⑵⑶との間には共通する点は「仏門僧」という点にだけ、其の意味のかけ離れが注目すべき点となっているからです。
さてさて、⑴の意味と未載語用例に立ち帰ってみておきますと、意味は「禅宗で、経蔵を管理し、教学にも通じている僧」を「白蔵主」と立項した手がかりは断たれてしまいました。この意味は岩波『広辞苑』第七版でも収載してます。その先後はここでは留め置きますが、どちらかが孫引きにした感は伺えてきます。そして、大徳寺第四三五世、大綱宗彦禅師自画賛の「白蔵主」は、「宗旦狐」を意味しています。今でも、相国寺境内には「宗旦狐」の祠が知られています。時代は降りますが、江戸時代の『和泉名所図会』卷一の少林寺・通心霊祠にこの「白蔵主」と「元伯宗旦」の「伯」字で「伯蔵主」の語例を載せています。当にぐるぐる廻りの語とも云えましょう。因みに、「蔵主」については、『禅苑清規』三蔵主や『永平広録』卷六・第四六七に見えています。此の「白蔵主」は老狐の化身として伝えられ、「宗旦狐」は今も大切に祠に祀られていて、人と人との交流を和ませてくれる人流スポットなのだと一人思いを馳せて、遠くに出かけることが出来ない今の世情、その夢想は広がりをみせてくれています。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ぞう-す[ザウ‥]【蔵司・蔵主】〔名〕仏語。(1)禅寺で、経蔵をつかさどる僧。のちに知蔵と称せられたもので、禅院六頭首中、第三に位する職。また、一般に僧をいう。*太平記〔一四C後〕一六・小弐与菊池合戦事「小弐が最末(いとすゑ)の子に、宗応蔵主(サウス)と云僧」*伊京集〔室町〕「蔵主ザウス僧官」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Zo<su(ザウス)」*禅苑清規-三蔵主「蔵主握金文、厳設几案、準備茶湯・油火・香燭、選請殿主、街坊表白、供贍本寮及看経大衆」*勅修百丈清規-下・両序「知蔵職掌経蔵、兼通義学、凡看経者、初入経堂、先白堂主、同到蔵司相看」(2)(蔵司)禅宗で、(1) の居室をいう。蔵司寮。【辞書】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言【表記】【蔵主】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言
『仏教語大辞典』
ぞう-す【蔵主】禅寺で、経蔵をつかさどる僧。のちに知蔵と称せられたもので、禅院六頭首中、第三に位する職。*永平広録卷六・第四六七「請蔵主上堂」
岩波『広辞苑』第七版
はく-ぞうす【白蔵主】‥ザウ‥①禅宗で、経蔵を管理し、教学にも通じている僧。②永徳(一三八一(弘和一/永徳元)〜一三八四(元中一/至徳元))頃、泉州堺の小林寺耕雲庵の住僧。稲荷を信仰し、三匹の狐を飼ったが、この狐に霊性があり、賊を追ったり吉凶を告げたりしたと伝え、狂言「釣狐」に作られた。白蔵主撮影:神田佳明(所蔵:山本東次郎家)写真画像割愛

秋里籬島(湘夕)著竹原信繁(春朝斎)画『和泉名所図会』卷之一より

『桃山人夜話』絵本百物語〔東洋文庫蔵〕「野狐」

 
小説、京極夏彦『巷説百物語』「白蔵主」
《梗概》甲賀の国・夢山の麓にある社で、狐釣りである弥作はおぎんと名乗る女と出会う。おぎんは江戸からずっと弥作の後を尾けてきたと云う。弥作は火盗改めの密偵か、狐が化けたものかとおぎんを疑い、疑心暗鬼に陥る。弥作には火盗改めに追われ、狐に怨まれる覚えのある忌まわしい過去を持っていた。
漫画、椎橋寛「ぬらりひょんの孫」集英社刊の「白蔵主」

『和泉名所図会』卷一「少林寺・通心霊祠」

 

 
通心靈祠
祭神稲荷大明神俗に鉤狐社といふ。永德年中に耕雲庵といふ。當寺の塔頭あり。其住侶を白藏主といへり。この僧稲荷大明神を常に信仰して毎日法施怠らず。或時明神感應あつて竹林より三足の白狐出現せり。即抱帰りて養愛す。此狐霊あつて随仕の用を達し、又盗難を避る事あり。伯蔵主の甥に獵を好むあり。かの白狐此者を恐れ伯蔵主の体に化て其甥の家に行殺生の罪をさま〱語り戒めけるに此おのこ敏きものにて狐の僧に化たる事をしり密に道に出て其術をつくし獵しけると也。これを狂言師大蔵といふ者工夫をめぐらし野干の所作を狂言す作り鉤狐又ハ吼噦とも名つけたり。彼狐大蔵がこゝろをしめしを感じ、又老僧と化し野干の骨髓の動を教しとなり。其より此狂言を初メて行ふ時ハ此寺に来ツてかの白狐の棲し竹林の小篠を伐て杖となす事此狂言の故實なる。享保十八年来京師吉田家より通心霊社と神号を與へられしなり。
デジタル大辞泉プラス

宗旦狐(そうたんぎつね)日本の妖怪。京都市上京区にある相国寺に伝承が残る化け狐。千利休の孫、千宗旦に化けて茶席に現れ、見事な点前を披露したとされる。[二〇一九年一月更新]

大徳寺第四三五世の大綱宗彦禅師自画賛の「白蔵主」、法衣をまとって法師に化けた老いた狐のことです。謡曲『古狐』や狂言『釣狐』に登場します。「白蔵主」は、「伯蔵主」とも書きますが、これは元伯宗旦(一五七八(天正六)~一六五八(万治元))の伯をとったもので、いわゆる「宗旦狐」を意味しています。今でも、相国寺境内には「宗旦狐」の祠(宗旦稲荷明神)があります。

賛  大かたの 世捨人には心せよ ころもはきても 狐なりけり  大綱

大綱宗彦(だいこうそうげん)禅師(一七七二(安永元)~一八六〇(万延元))は大徳寺第四三五世住持で茶僧としても名高く、永楽保全・楽慶入の参禅の師であります。和歌、茶の湯を能くし、書画に優れ、裏千家十一代玄々斎宗室・表千家十代吸江斎宗左・武者小路千家七代以心斎宗守らと親しかった。