萩原 義雄 識

いま吾人達が「翻訳」と此の語を用いるとき、その多くは欧米語を中心とした世界の諸国語から本邦である日本語のことばに置き換えて、その意味内容を広く伝えていく言語作業のことに云うのが通常の認識とする。近年、その「翻訳」技術はAI電子機器の発展により、瞬時にことばの置換えを果たすようになってきてもいる。

この「翻訳」作業は、個性あるものであれば、おなじ事物でも、伝承者がどう自身の感性でそれを読み取ったかということを表現する方法にも繋がっている。当に、当意即妙にして、発話者と聞く側の多くの人々(聴取者)らが共感覚にして、一なるおなじ事物として共有することを最大の目標としているからに他ならない。

茲に示そうとする「翻訳語」とは、日本人が大陸中国から渡来した珍奇な事物をいち早く受け入れるうえで、新たに日本語としての名前を付けるときの話しなのだが、大陸と日本共に同一と見なせる證は、やまとことばは、一拍から長くても五拍前後でのことばが対応語で示されよう。
「水」は「みづ」、「山」は「やま」、「玉」は「たま」、「金」は「こがね」、「鉄」は「くろがね」、「白馬」は「あをむま」とその翻訳は可能なのだが、本邦に見えない代物はすべて「珍物」にして、新たな名前を用意することにもなる。ないものはないので、当然、五拍以上の長ったらしい複合語「やまがわのこがねのたまみづ」などと名づけて用意されていくことになる。命名は容易ではないため、頭を悩ますことにもなったに違いない。その新語がやがて落ちつき馴染みだせば、人々はその名前をてんでに口に上らせ、軈ては記録されもし、辞書にその名が採録されていく。

こうした歩みがあってこその新たことばの誕生にもなるわけだが、その容子を徃古の字書に求めて見る研究作業も忘れてはなるまい。

大陸中国の本草書(漢方医療書)が実物と一緒に渡来し、これを読み解いていくのだが、ここでその一例を示すと、毒草類の「乕掌」=「虎掌」、字音「コシヤウ」。奈良の学僧昌住は、「蛇枕」虵乃冨曽美」と記録した。此のやまとことば「へびのふそみ」は、誰も見向きもしていない。平安時代の源順『倭名類聚抄』に「於保保曽美」とする。助詞「の」の下位部「フソミ」と「ホソミ」に何か類似性を見る。此れを三巻本『色葉字類抄』の編者橘忠兼は「オホヽソミ」と蹈襲する。だが、法相宗の学僧は観智院本『類聚名義抄』で「ホソヂ」とし、注記に「瓜類」と冠頭字「おほ」を取り除いて、最終拍を「ヂ」としている。全く不可解極まる状況化にあることが見てとれよう。二卷本『世俗字類抄』も「オホミアカラ」、七巻本は三巻本を継承とその採録者の此の語に対する呼称の相異を知ることになる。この異同和名語を統べ揃えて見たとき、唐代の新種が伝来し、その名前も「天南星」で「テンナンシヤウ」と云う。これに和名を添えることにもなるのだが、十卷本『伊呂波字類抄』は、前の「虎掌」の語を削除し、この新語を以て採録した。注記に「藥名」とだけ添える。この「天南星」が室町時代の通俗辞書『節用集』のなかでも新種語に敏感な饅頭屋本や印度本系経亮本、惠空篇『節用大全』に採録されていたりする。此等を江戸時代の寺島良安編『和漢三才図会』に、「虎掌」と「天南星」とは、共に類似するものの、やはり別種な植物であることを図絵を添えて説明する。やがて、和名も自ずと求め得られて、その代表が「うらしまサウ【浦島草】」と云う。少しく長い命名の語となっている。

言わば、日本語の長い拍の語例は、新種という日本に古くから存在しなかったか、存在していても名前が未だ無かった事物と云うものになっている。

言語分野で「ネーミング学」は、まだまだ理会できない新種の語をどう発見し、どう名づけて、どう人が活用できるのかへと今も継続中ということにほかなるまい。或意味の文化医療を見据えて学問への更なる高みをめざすためのはじめの一歩にしたい。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版

おお-ほそみ[おほ‥]〔名〕
植物「うらしまそう(浦島草)」の古名。
 本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「虎掌 一名虎巻 和名於保々曾美」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「虎掌 オホホソミ」  【発音】オーホソミ〈標ア〉[ホ]
【辞書】色葉
【表記】【虎掌】色葉

てんなん-しょう[ シャウ]【天南星】〔名〕
サトイモ科テンナンショウ属植物の総称。多年草で東アジアを中心にアフリカ、北米およびメキシコに約一五〇種知られている。普通高さ三〇~一〇〇センチメートル。地中に白または黄褐色で偏球形の塊茎がある。花茎は葉鞘に包まれ、葉身は複葉。雌雄異株。春、仏焔苞に包まれた肉穂花序をつける。日本にはウラシマソウやマイズルテンナンショウの仲間、ムサシアブミやアオテンナンショウの仲間などが三〇余種知られる。塊茎は有毒だが、晒して救荒食ともし、漢方では鎮痙・袪痰・発汗・健胃剤などとする。
へびのだいはち。へびこんにゃく。まむしぐさ。
学名はArisaema *伊呂波字類抄〔鎌倉〕「天南星 テンナンシャウ 菜名」 *俳諧・毛吹草〔一六三八(寛永一五)〕二「五月〈略〉天南星(ナンセウ)」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「テンナンセウ 天南星」方言植物、てっぽうゆり(鉄砲百合)。《てんなんしょう》島根県鹿足郡【発音】テンナンショー〈標ア〉
[ナ]〈京ア〉[ン]〈2〉【辞書】饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】 【天南星】饅頭・易林・書言・ヘボン・言海