萩原 義雄 識

「なわせみ」という和語を使う現代の日本人はどのくらい、いることやらと思う。今や死語となりつつある。都会の緑蔭木立が多く生い繁る場所と云えば、公園、神社、寺(墓所)などがその代表のところとなろう。高層建築が林立するなかから、都内全域で戸外にあって、樹木が多く占める場所は、夏の殘暑から吾人達の心と身を調えてくれる恰好のオアシスの地に匹敵する。この都会の木立に時遅しと思われる一匹の蟬が鳴き、その鳴き声が昼下がりの樹木に響き続けていた。何とも言えぬ哀愁が漂う瞬間でもあった。折しも要人警護の警察官が都内至るところにいて、此も異様な雰囲気を醸し出していた。

そして、道の多くには坂が随所にあって、その坂には何時の頃からか「○○坂」と固有の名称が施されてきた。例えば、「鉄砲坂」「暗闇坂」のように、其名は坂のひとつひとつの個性を引き出しているかのように思われてくる。

此の坂道を人は歩いて上り下りし、やがて坂道は舗装され、自転車や自動車でも往き来できるようになった。そして、茲にも昨今、流行の片足を乗せてもう片方で蹴って推進力を加速させる乗り物「キックスボードスケーター」といった乗り物で移動する光景を目にする機会ともなった。なんと、この坂道をあれよあれよのうちに乗りこなして行く。ほとんど音なしで、歩いて移動する背後からすーっとすり抜けていく。自転車や自動車も電動化し、エンジン音も聞こえない、物静かな乗り物となってきている。或意味、歩く側からすれば怖い思いの乗り物だ。時には車道へと移り、変幻自在に過ぎ去っていく。道幅の広いところでは、自動車、自転車、歩行者とラインを区別し、色で示す工夫も交通環境の整備化ができてきてはいる。でも、茲にも問題が潜んでいることを忘れてなるまい。その道を敢えて遮蔽する一団があるからだ。

いま、時ならぬ蟬の鳴き声を耳にし、逆に鳴かぬ蟬「蚱蝉(なはせみ)」のことが脳裡を掠めた。そこは、臨済宗慈眼山光林寺、奇しくも幕末のヒュースケンが眠る墓地へとつながる木立であった。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
なわ-せみ[なは・・]【蚱蝉】〔名〕セミ類の雌をいう。発音器官をもたないので鳴かない。おしぜみ。なわせび。*本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「蚱蝉 一名瘂〈雌蝉不能鳴者〉〈略〉和名奈波世美」*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕下・天祿三年「よいぞよいぞといふなはぜみ、きにけるは。虫だに時節をしりたるよ」【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【蚱蝉】和名・色葉・名義・言海

※寛文十一年板『倭名類聚抄』の「蚱蝉」
蚱蟬 本草云蚱蟬〈作禪二音奈波世 〉雌蟬[レ][レ]ヿ者也
【訓み下し】蚱蟬『本草』に云はく、蚱蟬〈作禅の二音、奈波世美(なはせみ)〉は、雌蝉にして鳴くこと能はざるものなりといふ。〔巻十九、蟲豸部第 蟲豸類第 ・廿二丁表4行目。巻第八、蟲豸・虫名〕

※慈眼山光林寺と史跡「ヒュースケンの墓」画像資料(筆者撮影)
※「ヒュースケンの墓」については、日本言語文化テーマ研究にて、手塚治虫『陽だまりの樹』に引用掲載されている箇所を元に講義したことがある。