萩原 義雄 識

人々が生きるための生産活動を活溌化させ、再び途絶えかけていた全ての物事を推進しはじめている。歴史から学ぶべきこと、古えの書物を読み解くことから先人の歩みを知り、考え抜く手がかりを得ることなどその挙例は幾つもある。

そして、日本も世界に活躍の場を求めて、逆に、大勢の日本言語文化を学ぶ世界中の人が、その拠り所を求めて日本各地を旅したり、直接、文物に接したり、各々の多文化交流に滑車を動かす原動力となる「種子」が水と光りと土とを得て萌芽するようにその世態を感得する。

吾人は、此れを「風圡」ということばでこれまで表現し、時あるごとに彼等に語りかけてきた。「風」は「旅人」、「圡(つち)」は「圡地(つち)の人」が互いに出会い、親しく交流することで新たな文物が形成され、その覚え書きの記録が「風圡記(ふどき)」という書物にもなる。日本の歴史のなかで、マルコポーロがイタリアのヴェネチアから中国北京まで二度の旅をし、帰国後、自国は戦さに敗れ、彼は囚われジェノバに移送され、その獄中で同じく捕虜となっていた物語作家ルスティケッロと出会い、マルコは東洋の出来事をルスティケッロに具さに語り、彼がこれを口述記録した書、邦名『東方見聞録』〔東洋文庫所蔵〕があり、此れも近年になってその原記録が発見され、西欧各国語に翻訳される以前の記述内容を知ることになった。だが、この原記録から新たな邦訳本はまだ一般書としては刊行されていない。俟たれるところとなっている。今は、以前の英訳本から日本語訳〔平凡社版東洋文庫に活字本〕されたものを片手に東洋文庫本で読むことも佳かろう。

歴史上、世界を旅した記録には、東洋にもある。玄奘『大唐西域記』。此方も是非ご自身でお読みいただきたい。孰れも、水面に波紋が広がるように、「蒲公英(たんぽぽ)」の種子や茸(きのこ)類の胞子が風に運ばれ、新たな大地で生命を育むように、渡り鳥が木の実を食し、その種子を飛翔し、別なところに運ぶように、人もあらゆる良質な糧になるだろう原物を運び、可能性の高い大地に心の花木を咲かすその根本になってほしい。その善し悪しについては、『日国』用例に引く河上肇『貧乏物語』〔一九一六(大正五)年刊〕九・三〕が云う「此の一篇の悪詩は、奇縁か悪縁か、後に至って正統経済学派の根本思想を産む種子(シュシ)と為ったものである」が物語っている。

新たな道すじがそう容易く見つけ出せず実行に移すにも時間が必要となるものだが、焦らずあるがままの自分を信じて「今日見た夢は、明日の花となる」ことを常日頃から心に刻んで前向きに旅立っていくためのはじめの一歩にしていただきたい。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
しゅ-し【種子】〔名〕(古くは「しゅじ」)(1)種子植物の胚珠(はいしゅ)が受精後成熟したもの。形は球形、楕円形など種類によって異なる。外側は種皮で包まれ、中に次代の幼植物である胚やその養分となる胚乳を含む。一定の休眠期間をもつ。適当な環境条件のもとで発芽し、新個体となる。たね。*吾妻鏡-文治五年〔一一八九(文治五)〕一一月八日「自二秋田郡一、可レ被レ下二行種子等一」*東寺百合文書-ほ・寛元元年〔一二四三(寛元元)〕一一月二五日・六波羅裁許状(大日本古文書二・一七)「不下種子農䉼不論不熟損亡」*文明本節用集〔室町中〕「種子シュジ」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Xuji(シュジ)。タネ〈訳〉種」*尋常小学読本(明治三七年)〔一九〇四(明治三七)〕八・一「農産物の種子(シュシ)なども送ることができます」*斉民要術‐収種「凡五種種子、浥鬱則不レ生」(2)物事のもととなっているもの。物事の根本、基本。*江談抄〔一一一一(天永二)頃〕六「汝無二福種子一仍以二未生車子云人福一蹔令二借与一也」*名語記〔一二七五(建治元)〕九「米をうちまくは、食事の種子也」*貧乏物語〔一九一六(大正五)〕〈河上肇〉九・三「此の一篇の悪詩は、奇縁か悪縁か、後に至って正統経済学派の根本思想を産むの種子(シュシ)と為ったものである」*侏儒の言葉〔一九二三(大正一二)~二七〕〈芥川龍之介〉民衆「しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残してゐる」(3)⇨しゅうじ(種子)・しゅじ(種子)。【発音】〈標3ア〉[シュ]〈京ア〉[シュ]【辞書】文明・易林・日葡【表記】【種子】文明・易林
 
角川『古語辞典』現代仮名シュシ/シュジ
しゆし【種子】しゆじ【】現代仮名シュシ/シュジ
〔名詞〕1漢語。㋑植物のたね。例「(種)子(シユ)ジ」〔易林本節用集〕例「和賀部貫両郡分は、秋田郡より種子を下行せらるべし」〔東鑑・文治五・一一・八〕例「急ぎ種子農料を下し行はしめ」〔庭訓往来・三月〕㋺事物の生成の根源となっているもの。例「汝福の種子無し。仍て未生の車子と云ふ人の福を以て、蹔く借り与へしむる也」〔江談抄〕2仏語。梵語bīja の意訳。南都法相などでは、「シユジ」、または「シユウジ」と読み、天台や曹洞では「シユシ」と読むという。また唯識説に関しては、㋑「シユウジ」、梵字を意味して㋺は、「シユジ」と読むともいう。㋑仏教の唯識説において、心の本源とされる第八阿頼耶(アーラヤ)識に伏在していて、すべての事物を生成させる因縁となる働き。阿頼耶識が有漏・無漏の一切諸法の本因であるところから、植物の種子1㋑にたとえていったもの。『唯識大意・本・四二』に「種子、申は諸法の種也」とある。例「また第八識は、根身・種子・器界を縁ずと云へるも此の事なり」〔鉄眼仮名法語・五〕例「宿因の一種子{いつしゆじ}依然として心頭を離れず」〔通俗酔菩提・一〕㋺密教では、梵字(サンスクリット文字)の一つ一つが、仏菩薩や種々の事柄を表示し、象徴的意味を持つものと解釈されるが、そういうものとしての梵字一つ一つをいう。胎蔵界大日如来の種子は(阿)、金剛界大日如来のaそれはva 〓(鑁)。「種字」とも書く。『大日経疏』一〇に「阿字を説いて種子と為す。種子能く多くの果を生ず」とある。例「法花経の種に依て天親菩薩は種子無上を立たり。天台の一念三千これなり」〔開目抄〕例「凡そ種子と申すは仏の内証にして言語道断、真実無為の全体なり」〔地蔵菩薩霊験記・八〕
 
 「風圡記(ふどき)」には、『出雲風圡記』『常陸風圡記』など歴史上、貴重な文書が転写され、現在に受け継がれてきている。
 マルコ・ポーロ口述記『東方見聞録』〔東洋文庫蔵〕は、ラテン語版。一二九八(永仁六)年にイタリアのジェノバで口述されたもので、本人が書き残したものではない。高田英樹〔訳〕『マルコ・ポーロルスティケッロ・ダ・ピーサ世界の記:「東方見聞録」対校訳』それが一四世紀以降、欧州の様々な言語に翻訳され、「ジパング」という地名は当初、登場しないという。「ジパング」という音が史料に登場するのは一七世紀初めで、ポルトガル人イエズス会士のロドリゲスが『日本教会史』のなかで、「日本国」の中国語読みの「Jepuencoe」や「Jiponcoe」が転じて、「Zipangu」となったという。『見聞録』の「黄金島」は日本だと主張する原点となっている。

 
 玄奘三蔵『大唐西域記』〔平凡社東洋文庫刊〕は、元時代に呉承恩編纂『西遊記』の素材書。