萩原 義雄 識

朝顔の種は、手毬形の裹中に四五粒が生成され、白いものは白き花、黒きものは碧き花を咲かせる。蔓状に巻き付き、葉は梶の葉、桑の葉に似て稍こぶりという特徴を有する。此の「朝顔の花」が小学校の理科、生植物観察に打って付けとして、種から育て観察し、夏休みに自宅に持ち帰って、更なる観察ノートに各々が記録すると云った案配で誰もが一度は経験したことがあろう。植える種の色あいで花色が決まっていると知ったとき、突然交配種で白と碧とが混じり合った花はどう見定めてきたかとついつい氣になってしまうのは吾人だけではあるまいと思う。斑入りの朝顔はどんな種の色をしているのかと想像してみたこともあった。江戸時代には今の傳通院「朝顔市」の先魁として珍重されもした。

以前、二〇一七年八月号にも登場させ、実は二度目の記載内容となっている。鎌倉時代の朝顔を知り、見るうえで欠かせないのが絵巻類となり、『平家納経』分別功德品の最初に描かれた草花圖に当面の「朝顔」が登場する。此は正しく今の「朝顔」に等しいと判断してみた。こうした図絵がやはり物を言い、多くの物語や随筆そして、和歌、俳句などにも読み込まれてきた「あさがほ」をはじめて検証が可能となると言える。
『今昔物語集』〔卷第二十四〕藤原道信朝臣、送父讀和歌語第卅八

今昔、左近中将ニ藤原道信ト云人有ケリ、法住寺ノ為光大臣ノ子也。一條院ノ御時ノ殿上人也。形チ・有樣ヨリ始テ、心バヘ糸可咲テ、和歌ヲナム微妙ク讀ケル。未ダ若カリケル時ニ、父ノ大臣失給ヒニケレバ、歎キ悲ムト云ヘドモ、甲斐无クテ墓无ク過テ、亦ノ年ニ成タレバ、哀ハ盡セヌ物ナレドモ、限有レバ服除トテ、道信中将此ナム讀ケル。〽カギリアレバケフヌギステツフヂ衣ハテナキモノハナミダナリケリ ト云テ泣ケル。亦、此ノ中将、殿上ニシテ数ノ人掩有テ、世中ノ墓无キ事共ヲ云テ、牽牛子ノ花ヲ見ルト云心ヲ、中将此ナム、 アサガホヲナニ ハカナシト思ヒケム、人ヲモ花ハサコソミルラメト。
 
卷第二八・第五に、
○早ウ、此ノ為盛ノ朝臣ガ謀ケル樣ハ、「此ク熱キ日、平張ノ下ニ三時四時炮セテ後ニ呼入レテ、乾タル時ニ李・塩辛キ魚共ヲ肴ニテ、空腹ニ吉クツヾシリ入サセテ、酸キ酒ノ濁タルニ、牽牛子ヲ濃ク摺入レテ呑セテハ、其ノ奴原ハ不痢デハ有ナムヤ」ト思テ、謀タリケル也ケリ。
と見えていて、漢語「牽牛子(ケニゴシ)」、和語「アサガホ」の結びつきを示し、この実を磨り潰して藥にて服用することが見て取れる。

元々は薬剤として重宝され、やがて庭に咲き誇る観賞用の花へとその広がりをみせ、現代の吾人達は和漢薬のイメージより観賞花として夏の風物詩として馴染み深さを見せてきた。

いよいよ猛暑がやってきた。自然の営みとその巡りを感じながら、緑蔭での暑さ凌ぎの暮らしを楽しみたい。
 
《補助資料》
『阿さ家宝叢』(あさがおそう)〔文化十四(一八一七)年刊〕

▽傳通院「あさがほ市」
『日本の歳時記』
朝顔市仲夏:入谷朝顔市
鉢植えの朝顔を売る市。例年七月六日頃から三日間開かれる、東京都台東区入谷の鬼子母神境内の市が知られている。江戸時代に田んぼだった入谷で、観賞用の朝顔を栽培していたことから、ここの朝顔市が有名になった。現在は、江戸川や葛飾で栽培されたものを並べ、売っている。江戸情緒を楽しむ人々で賑わう。
関連→朝顔

▽牧野富太郎と「あさがほ」図絵

小学館『日本国語大辞典』第二版
へいけのうきょう[ヘイケナフキャウ] 【平家納経】広島県佐伯郡宮島町の厳島神社に長寛二年(一一六四)平家一門が奉納した経巻。全三三巻。法華経二八巻、無量義経・観普賢経・阿彌陀経・般若心経および平清盛自筆願文各一巻。平家の繁栄を祈り一族が一品一巻を分担して写経・製作したもので、各巻意匠を異にし、当代工芸技術の粋を集めている。付属の経箱、経箱を納める唐櫃(からびつ)ともに国宝。
同神社蔵。【発音】ヘィケノーキョー
〈標ア〉[ノ]

▽架蔵複製本より
※「牽牛子」は、『名医別録』下品に収載され、「気を下し、脚満、水腫を療じ、風毒を除き、小便を利する」薬物と知られ、「ファルビチン(pharbitin)」という成分が「腸内に入ると、胆汁や腸液で分解され、腸管に強い刺激を与えて蠕動を増加し、腸粘膜が充血し、分泌を増加して水溶性下痢を引き起こす。峻下、利尿薬として、二便不利、水腫などに応用する。また駆虫作用も認められている」という。本邦江戸後期の醫師岡村桂園が説く「牽牛子」の内容も十分知りおくことにしたい。また、白い朝顔の花を焼酎漬けにした液体を夏虫に刺されたとき塗ると効き目ありとも云う。