萩原 義雄 識

大学生活には数多くの課外サークル活動があって、各々の活動結果を整理して、刻みの良い年度に記念誌を此まで数多く編纂し発行されてきている。そこには誰もが知っている活動記録の歩みの結果があったり、人知れず埋もれかかってしまったものなど、その記念誌自体の歩みも当然あったりする。こうした記念誌は、こゝろの感動ともいうべき所属した部での想い出でもあり、当事者各々に依って大切に保管整理してきていたことにちがいない。その発刊部数が実際どのくらいなのかを知る手がかりもメモ魔な書記・記録係がいてこそ明らかとなるものであろう。

今回、その記念誌のひとつ、『駒澤大學相撲部五十年史』石田堅丈編〔一九七九(昭和五四)年八月刊〕一冊を以て紹介する。総頁数五二一頁、序に大本山永平寺貫首/曹洞宗管長秦慧玉ご老師(八四歳)の筆になる「驀直去(ばくじつこ)」(「いつもまよわずまっしぐらに進め」というほどの意。去は助字。)を載せ、宗務総長、総長、部長、日本相撲連盟会長、日本学生相撲連盟会長、日本相撲協会理事、日本相撲連盟副会長、相撲部後援会会長などお歴々の一文が添えられている。前編(昭和四年~十九年)、中編(戦後昭和二十年~五十三年)、後編第一部「こぼればなし」第二部「寄せ書き」第三部「校歌・応援歌・相撲甚句等」、〈附表〉歴代名簿、入賞者一覧、年表と続く。

このなかで吾人が目を惹いたのは、校章と校訓「信誠敬愛」部章と部訓「心気体忍」、校歌は北原白秋作詞、山田耕筰作曲、応援歌も上記両名。応援歌「燃えよ闘魂」作詞吉川静夫、作曲服部正があって、相撲部のための応援歌(昭和十一年頃作楢山大典団長時代)の「ツーツーレロレロ、ツーレーロ、ツーレーラレトラツレラトラ、ツレラレトラ、シャーラシャラ」と唱えて「うちの選手に手を出すやつはサイ とんで火に入る夏の虫/\ やぐら太鼓にふと目をさまし、あすはどの手で投げてやろ/\ どんと四股ふんで、どっかと落ちつけ 出足はやいが勝ちだぞい/\ 押すか投げるか、捻るか吊るか、何でもよいから勝てばよい/\ 念彼観音力一念黙し、土俵に上れば、修羅となる/\」〔四三四頁〕か・・・。

誰もが知っていそうで知らない応援歌が茲にはある。珠玉な文面に併せて貴重な写真画が添えられているが、此れこそが貴重な駒大相撲部の歴史を遺していると見た。

今般、駒大サークルの一篇として茲に紹介させていただいた。
 
《補助資料》
※「ツーツーレロレロ ツーレーローツレラレトレ ツレトレシャンツレラレトレ シャシャンコ シャン シャン シャン」は、「ドリフのツーレロ節」作詞なかにし礼、作曲不明が類似歌詞で、「ツーレロ節」の原詩は、ツーツーレロレロという名前は、戦前のヒット俗曲「シャンラン節(またの名を「ツーレロ節」)」(台湾民謡 作詞:村松秀一 編曲:長津義司)の歌詞からと云う。