萩原 義雄 識

北川和秀さんから提供資料とコメント文をいただき、吾人(=文字の保つ生態言語学)なりに此の作品と向きあってきたことを思い出し、筆を走らせてみた。
思えば、三月十一日東北大震災が発生したあと、多くの人がその復興支援活動に立ち上がった。なかでも、駒大ふれあい広場を中心に福島原発がもたらした、土地の人々が遠隔待避をもたらされた人たちへのささやかな復興支援活動であった。この活動は、一時コロナ禍で休止せざるを得なかったが、その後も夏の八月駒大盆踊りに併せて今も継続していて、KOCC 会長中村雅彦さんを中心に復興バザーを行ってきている。集めた支援基金は駒大陸上競技部現監督藤田敦史さんを介して福島県に届けてきている。その活動メンバーも少しずつ様変わりしているものの、今夏も開催に向けてメンバー一致協力による企画案が検討されている。そして、この活動もあと二年もすると廿周年を迎える。当初、此の走りつづけてきたグループに參與していただいた南イタリア出身のダニエラさんも南相馬にむけて等々力でチャリティー・コンサートを催した。
東北全体の支援活動は、ネット情報からの発信もあって、此の宮澤賢治作「雨ニモマケズ」の朗読そして、歌唱へと広がっていったことを思い出す。思えば京都に一年を通じて「祭り」が絶えず行われてきた歴史には、苦悩からの救済が根底にあるのだとつくづく感じる。人と人とが絆で繋がり、互いに助け合う。そこには共に尊重しあい、くらしを豊かになるように祈っての歌や踊りがいきいきと繰り返されてきた。場所は賢治がことばに説く東西南北どこにも存在することを忘れてはならない。
陽差しを浴びて、元気に歩き、走り、動き続け、喉が渇いたら水や酒(成人のみ)を吞み、腹が空いたら旨味のたっぷり感じる自然からの命の恵みを食す。そして、動き疲れたら、大樹の葉陰で休息する。そのような時の流れをこれからも常の生き方(生態)として続けてみたい。とは言え、此も京都ならではの「しきたり」に、「かりたらかへす」、自身が座った座布団を立ち去るときに裏返しにして立ち去るしぐさにも表出している行動でもある。いま、ひらがなで表記したが、夏目漱石作『坊っちやん』に、「此三圓は何に使つたか忘れて仕舞つた。今に帰すよと云つたぎり、帰さない。今となつては十倍にして帰してやりたくて帰さない。」と一文を読み、多くの人がいぶしがる方もおありだと思う。動詞「かへす」の漢字を「帰」字で数度にわたって表現しているのだが、作者漱石は慥かにこのように表記している。此を岩波活字本を以て読むと、編纂者が「返」字に置換している。茲に本来の漢字の使い分けが潜み、漱石は斯くも記載するからだ。「其三円は五年経つた今日迄帰さない。返せないんぢやない、帰さないんだ。」と両用して使い分けている。此を見て、識別する知力を養い、学ぶことの大切さを己れ自身に求めていくことを大切になさってほしい。清から借りた三円、他者から借りたお金とを見事に分別表記していることに氣づくことになろう。
同じのようで同じでない物事を見極める一助となればと今、吾人自身思う次第である。
 
《補助資料》
夏目漱石『坊っちやん』一九〇六(明治三九)年四月一日発行雑誌「ホトトギス」〔第九巻第七号〕に発表。四〇〇字詰め原稿用紙二五〇枚に相当で、実際の用紙は松屋製十二行×二四字、五七六枚から成る。後に、集英出版社から原稿で読む夏目漱石『坊っちやん』が二〇〇七(平成一九)年十月一七日に刊行されている。

「雨ニモマケズ」の影印

「雨ニモマケズ」の影印を入手しました。
また例によってネットオークションです。
興味深いものがあるとつい手を出してしまいます。
「雨ニモマケズ」の原本は手帳に書かれていたと思いますが、これはそれを1本に繋げて巻物のようになっています。
宮沢賢治記念館が作成したもののようです。
字が細かくてよく読めませんね。
二枚目の画像は冒頭部のアップです。
「モ」はなぜ小さいのでしょうね。
文章的に、あとから補ったものとは思えませんので、宣命書きのようなものでしょうかね。
三枚目の画像はその次の部分。
最初「ヨクワカリ」と書いたのが、「ヨクミキキシ ワカリ」と訂正されています。
四枚目の画像のようにカラーも再現されています。
「シズカニ」を消して「行ッテ」と訂正してありますが、その上さらに赤で「行ッテ」と書いています。
なんでしょね。念のためにでしょうか。
などなど、素人の私があれこれ書かなくても、宮沢賢治の研究者が散々考えていることでしょうけど。
それでもやはり、作者自筆本はあれこれ興味深いです。

【図一】「雨ニモマケズ」の全体画像
詩の構図
⑴東西南北の方位と作者賢治を取り巻く社会構造
①「東」 病気の子供
②「西」 疲れた母
③「南」 死にそうな人
④「北」 ケンカ、ソショウ
*すべてが苦悩に満ち、救済する主人公が動く。

北川和秀(元群馬女子大教授)さんから提供資料とコメント文

雨ニモマケズ」の影印

「雨ニモマケズ」の影印を入手しました。
また例によってネットオークションです。
興味深いものがあるとつい手を出してしまいます。
「雨ニモマケズ」の原本は手帳に書かれていたと思いますが、これはそれを1本に繋げて巻物のようになっています。
宮沢賢治記念館が作成したもののようです。
字が細かくてよく読めませんね。
二枚目の画像は冒頭部のアップです。
「モ」はなぜ小さいのでしょうね。
文章的に、あとから補ったものとは思えませんので、宣命書きのようなものでしょうかね。
三枚目の画像はその次の部分。
最初「ヨクワカリ」と書いたのが、「ヨクミキキシ ワカリ」と訂正されています。
四枚目の画像のようにカラーも再現されています。
「シズカニ」を消して「行ッテ」と訂正してありますが、その上さらに赤で「行ッテ」と書いています。
なんでしょね。念のためにでしょうか。
などなど、素人の私があれこれ書かなくても、宮沢賢治の研究者が散々考えていることでしょうけど。
それでもやはり、作者自筆本はあれこれ興味深いです。
 
□茲から、萩原義雄が識しています。
【図一】「雨ニモマケズ」の全体画像

詩の構図
⑴東西南北の方位と作者賢治を取り巻く社会構造
①「東」 病気の子供
②「西」 疲れた母
③「南」 死にそうな人
④「北」 ケンカ、ソショウ
*すべてが苦悩に満ち、救済する主人公が動くことば表現。
 
[図二]

*「風」字の旁部「虫」字を崩し書きにする。
*「暑」字の下位部「者」に「丶」点を添える。
*「丈夫」の「丈」字に「丶」点を添える。
*和語動詞「いか・る」を漢字表記で「嗔」と記載する。

□「あめ」の単漢字「雨」の滴部分を「水」で記載する。
□「ヨク」の単漢字は通常「欲」字だが、賢治は下心の字「慾」を以て記載する。
□ことば表現「マケズ」と「マケヌ」といった、「ず」「ぬ」の否定表現助動詞の言い回しに留意してみておきたい。
 
[図三]

*「少々」の踊り字「〻」。
 
小学館『日本国語大辞典』
かん-じょう[‥ヂャウ]【勘定】〔名〕(1)(─する)いろいろ考え合わせて判断を下すこと。
*続日本紀‐天平宝字八年〔七六四〕七月丁未「勅曰、前者、卿勘定而奏、依庚午籍勘者可沈。是一理也」*名語記〔一二七五(建治元)〕五「衆生の罪福を勘定し給」*こんてむつすむん地〔一六一〇(慶長一五)〕三・一五「ただ身ひとりのうへをかんぢゃうすべし」(2)(─する)金銭や物の数量を数えること。計算すること。決算。*延喜式〔九二七(延長五)〕一一・太政官「凡諸国依異損請正税雑稲未納者、率勘二定損田一」*吾妻鏡‐文治四年〔一一八八(文治四)〕六月一四日「可春近御領乃貢未進注文也、早可勘定之由云々」*御成敗式目〔一二三二(貞永元)〕五条「抑留年貢之由、有本所之訴訟者、即遂〓結解、可勘定」*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八(元禄元)〕三・五「三十年あまり、勘定(カンデウ)なしの無帳無分別」*人情本・春色梅児誉美〔一八三二(天保三)~三三〕初・六齣「勘定(カンゼウ)して呉(くん)なヨト手をたたく」(3)(─する)代金を支払うこと。また、その代金。*高野山文書‐〔年未詳〕五月七日・会行事某書状案(大日本古文書五・七一八)「又水旱の損〓に勘定候て、年預坊へ御わたしある分にて候」*洒落本・道中粋語録〔一七七九(安永八)~八〇頃〕「そんならあすの朝、一所に勘定(カンジャウ)しやう」*当世書生気質〔一八八五(明治一八)~八六〕〈坪内逍遙〉二「双方共に勘定(カンジャウ)をすまして牛肉屋を出る」(4)仕事の報酬としての金銭。*女工哀史〔一九二五(大正一四)〕〈細井和喜蔵〉一六・五〇「彼は咥へ煙管で用を言つけるのだ。そのくせ彼の取る勘定は妻よりもすけない」(5)(─する)利害、損得などを予測して計算すること。見積り。予想。*滑稽本・風来六部集〔一七八〇(安永九)〕飛だ噂の評「寝ても起ても飯と汁と香の物計(ばかり)喰て居れば、病気も出ず勘定にもよけれ共」*随筆・世事見聞録〔一八一六(文化一三)〕二・百姓の事「先づ損益の勘定が第一番になり、世の義理はその次に廻りて、有りて無きが如し」*文明田舎問答〔一八七八(明治一一)〕〈松田敏足〉学校「苦と楽の岐路(わかれみち)が、経済(カンゼウ)に疎いと精しいにある事だから」(6)(─する)考えに入れること。→勘定に入れる。*門〔一九一〇(明治四三)〕〈夏目漱石〉一七「宗助は羨しい人のうちに、御米(およね)迄勘定(カンヂャウ)しなければならなかった」(7)いろいろな事情を考え合わせて出る結論。わけ。活用語の連体形や「…という」の形を受けて用いられる。*酒中日記〔一九〇二(明治三五)〕〈国木田独歩〉五月八日「矢張上に立てば酒位飲まして返すからね自然と私共も忙がしくなる勘定(カンヂャウ)サ」*日本橋〔一九一四(大正三)〕〈泉鏡花〉五七「蛇が蟠(とぐろ)を巻いて居る上でお孝といちゃついてござる勘定だ」*春泥〔一九二八(昭和三)〕〈久保田万太郎〉向島・八「ぢゃア俺のはうが、さきへ君より東京へ出て来た勘定か?」(8)簿記で、資産、負債、資本、収益、費用について、その増減の記録計算をするために設定する計算上の区分のこと。借方、貸方という形式を用いて増減、変化を記入する。勘定科目、勘定口座の意味にも用いる。(9)キリスト教で、神の下した審判。室町時代末期に西洋人によって与えられた訳語。*ぎやどぺかどる〔一五九九(慶長四)〕上・二・一二「最期に臨んでは命を養ふ為に、尋求し事の望み悉くあひやみ、官位〓祿の畜へ、武芸の営み皆なく也、只御勘定の緊しき事をのみ歎き」(10)江戸時代、勘定組頭の支配を受けて勘定所の事務を取り扱った役人のこと。勘定衆。*吏徴〔一八四五(弘化二)〕別録・下・布衣以下御目見以上「御勘定 寛永十五年戊寅十二月五日始置二十二員一」(11)飲食などをおごらせて帳尻を合わせること。*胡瓜遣〔一八七二(明治五)〕〈仮名垣魯文〉初・下「勘定(カンジャウ)とは俗におごる、おごらせるなど云言葉なり」【方言】(1)考えに入れること。問題にすること。《かんじょう》新潟県佐渡 352(2)心積もり。予定。はず。《かんじょう》岩手県気仙郡 100 山形県米沢市 151《かんじょ》秋田県仙北郡 130 山形県 038139 新潟県佐渡 038 東蒲原郡 368(3) 都合。《かんじょう》山形県米沢市 151《かんじょ》宮城県仙台市 121 山形県東田川郡 038 新潟県東蒲原郡 368(4)理由。訳。《かんじょう》新潟県佐渡 038 岐阜県郡上郡 504《かんじょ》宮城県仙台市 121(5)加減すること。《かんじょ》富山県砺波 398(6)倹約。《かんじょう》熊本県下益城郡 930 大分県南海部郡・北海部郡 939 鹿児島県種子島《かんじょ》熊本県玉名郡 058《かんじゃっ》鹿児島県鹿児島郡 968(7)有利。利得。《かんじょう》京都府竹野郡 622(8)給料。《かんじょう》香川県豊島 829(9)算数。《おかんじょう〔御─〕》新潟県佐渡 352【発音】カンジョー〈なまり〉カンジュ〔NHK(秋田)〕カンジョ〔千葉・紀州・NHK(香川)〕
カンジヨ〔飛騨・和歌山県〕カンゾー・クヮンジョー〔岩手〕クワンジヨウ〔和歌山県〕〈標ア〉[ジョ]〈京ア〉[0]【辞書】下学・文明・伊京・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【勘定】下学・文明・伊京・饅頭・易林・書言・ヘボン・言海
 
[図三]

*「コハガラナクテモイヽトイヒ
「怖がる」と漢字表記しない。
*「北」の字に特徴が見えている。

こわ-が・る[こは‥]【強─】〔自ラ四〕(形容詞「こわい(強)」の語幹に接尾語「がる」の付いたもの)強情を張る。頑固を通す。*能因本枕草子〔一〇C終〕一〇〇・ねたきもの「やをらまろび寄りて、きぬ引きあくるにそらねしたるこそいとねたけれ。なほこそこはかり給はめなどうち言ひたるよ」【発音】コワガル〈標ア〉[カ゜]
こわ-が・る[こは‥]【怖─】〔他ラ五(四)〕(形容詞「こわい(怖)」の語幹に接尾語「がる」の付いたもの)こわいと思ってそれを態度に表わす。しきりに恐れる。*史記抄〔一四七七(文明九)〕一〇・管晏「いつも管仲か政を本にして行たそ。十二諸侯の中には一ち斉をこわがったそ」*俳諧・猿蓑〔一六九一(元禄四)〕五「ただとひゃうしに長き脇指〈去来〉 草村に蛙こはがる夕まぐれ〈凡兆〉」*歌舞妓年代記〔一八一一(文化八)~一五〕三・寛保二年「荒獅子のかたへ来り男の助を剛(コワ)がり」*林檎の下の顔〔一九七一(昭和四六)~七三〕〈真継伸彦〉一「達磨の立像をみるとこわがって泣いたこと」【発音】コワガル〈標ア〉[カ゜]〈京ア〉[0]【辞書】ヘボン・言海【表記】【怖畏】ヘボン