萩原 義雄 記
115

新宿区の近辺が映画「君の名は。」の聖地と呼ばれる訳 
須賀神社の坂道

秋晴れの空模様はまだまだ程遠い。秋雨前線と夏の湿度とが同居する。この生活環境指数は、身体バランスにも影響する。今話題の新海誠監督の長編アニメーション映画「君の名は。」が話題を広げている。2013年秋の前作『言の葉の庭』に続く作品であり、日本古典作品『万葉集』の韻文和歌を踏まえ、再び『夢と知りせば(仮)―男女とりかえばや物語』と題された企画書。同じく韻文勅撰和歌集である『古今集』中の小野小町の作とである

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
(訳:あの人のことを思いながら眠りについたから夢に出てきたのであろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかったものを)

をモチーフにした恋と奇跡の物語で、夢で見た少年立花瀧(たちばなたき)と少女宮水三葉(みやみずみつは)とが各々男と女とに入れ替わる「私/俺たち、入れ替わってる!?」に端を発して二人がやがて運命の歯車というものが動き出し出会うというドラマ仕立てになっている。絵画性を感じさせる原風景の地も大いに話題となっている。これを支えているバックの音楽もバランスの良さを有している。新海監督が組んだキャラクター田中将賀、圧倒的な作画力の安藤雅司、そして、RADWIMPS(ラッドウィンプス)の唯一無二の世界観が加わり、『君の名は。』のエンターテインメントとしての強度は確かなもの、見応えのある劇場版アニメとしてこの秋に登場した。

映画作品に仕上がる前の、原作小説である新海誠著『小説君の名は。』(角川文庫刊)も是非じっくり読んでみてほしい。書き出しはこうだ。

懐かしい声と匂い、愛(いと)おしい光と温度。
私は大切なだれかと隙間なくぴったりとくっついている。分かちがたく結びついている。乳房に抱かれた乳吞(ちの)み児の頃のように、不安や寂しさなんてかけらもない。失ったものは未(いま)だひとつもなく、とても甘やかな気持ちが、じんじんと体に満ちている。

といった感じである。会話文も妙味溢れている。

「なに寝惚けとんの? ご・は・ん! 早く来(き)ない!」〔第二章・端緒15頁〕

「それはこのあたりの方言じゃない? 糸守のお年寄りには万葉言葉が残ってるって
聞くし」〔第二章・端緒26頁〕

「「そうやってずーっと糸を巻いとると、じきに人と糸との間に感情が流れ出すで」
(33頁:お祖母ちゃん)」

「そしてうちらがいなくなった今、あの空間は九十一歳やよ! なんかもう大台やよ
人生最終ステージやよ、社務所ごと冥界からお迎えが来るかもやよ!」〔第二章・端
緒41頁〕

といった飛騨方言がその田舎臭さを醸し出す。奇跡の時間帯「黄昏時」「誰そ彼」「カタワレ時」と表現していく。この本歌として

誰(た)そ彼(かれ)とわれをな問ひそ九月(ながつき)の露に濡れつつ君待つわれそ
(訳:誰だあれはと私のことを聞かないでください九月の露に濡れながら愛しい人を待っている私を)

と、『万葉集』卷第十、二二四〇番、読み人知らずの和歌がここにも活かされていた。他にも「土地の氏神さまのことをな、古いことばで産霊(むすび)って呼ぶんやさ。」で始まる「糸を繋げることもムスビ、人を繋げるのもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ、同じ言葉を使う。それは神さまの呼び名であり、神さまの力や。ワシらの作る組紐(くみひも)も、神さまの技、時間の流れそのものを顕しとる」〔第三章・日々88頁〕も次なる作品への伏線となっているやもしれない。

この話しを、第一七回めの「文学七(日本のことば)」という本日の講義で展開した。
学生らの反応は「ことばの掲示板」に表出することとなる。