萩原 義雄 記

秋の色彩りは、東京を離れ東北山形新幹線「つばさ」号からみる車窓の景色が際立っている。時節は学園祭真っ只中の十月末日から十一月初旬である。吾人は当に北に向かう列車の窓から移り行く遥か遠き山野の景色を眺めている。生憎の曇り空だが、曇天の山渓でも然り。線路沿いの近景には、しろい尾花が目立つ。そうしたなか、黄葉した樹木は何の樹なのだろうか?今当に色づきを見せている。

「黄葉(もみ)」は、寧楽・明日香の地を中心とした凡そ七十四年の間に「かえるで」(蛙の手) した雞冠木なる樹木を万葉人が好み、やがて大陸から唐風の詩(白楽天の『白氏文集』)のブームが本邦にも渡来し、京の王朝人がこの詩に風靡し、「紅葉」の文字表記が広く用いられるようになっていく。「紅葉の宴」や「紅葉狩り」も日本でも定着した時である。とりわけ、高尾山のイロハモミジの樹は形状・色栄えとも佳く、名だたる名所となっている。また、春の女神(東の方位を司る)が佐保姫であれば、秋の女神(西の方位を司る)「龍田姫」に準え、奈良の龍田山も最たる「紅葉」の名所となった。まさに人が植物の生命力を身につけようとする呪術性求めて木々と接するとき、木の葉の色の移り変わりは、自然界という天候の予兆とも相俟って、民間にも深く息づいたのであるまいか。

現在、関東以北は、当に黄葉と紅葉の彩なす時を迎えている。何世紀にも亘って、日本列島での営みが続くなかで、今や地球規模のネット社会という利便性もあってか、この素晴らしい日本の季節の光景を知る海外からの旅行者も増加している。この国でのもてなしの到来は、四季の季節感にあるやもしれない。海外旅行で見た真新しい光景がこの日本各地にも夜空の星のように散在する。ちょっぴり貯えた小遣いで、数日の旅を楽しんでみることも明日への糧となろう。

116

鴨脚樹の黄葉とイロハモミジ

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
かえる‐で[かへる:]【蝦手・蛙手・鶏冠木】〔名〕(古くは「かえるて」)(葉の深くきれこんださまが蛙の手に似るところからいう)「かえで(楓)」に同じ。*万葉集〔八C後〕
八・一六二三「吾がやどに黄葉(もみ)つ蝦手(かへるて)見るごとに妹をかけつつ恋ひぬ日はなし〈大伴田村大嬢〉」*万葉集〔八C後〕一四・三四九四「子持山若加敝流弖(カヘルテ)の黄葉(もみ)つまで寝もと我(わ)は思(も)ふ汝はあどか思(も)ふ〈東歌〉」*日本釈名〔一六九九(元禄一二)〕下・木「鶏冠木(かへで)、葉のかたち、かへるの手に似たり。かへる手と云を略して、かへてと云」*長塚節歌集〔一九一七(大正六)〕〈長塚節〉明治三四年「蛙手(カヘルデ)の木々の木ぬれは、秋さればもみづとを言へ、みな月のけふのてる日に、ここに匂へる」【発音】〈音史〉古くは第四拍清音。【上代特殊仮名遣い】カヘルデ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)かえるで‐の‐き[かへるで:]【蝦手木・蛙手木・鶏冠木】〔名〕(古くは「かえるてのき」)植物「かえで(楓)」の古名。*常陸風土記〔七一七(養老元)〜七二四(神亀元)頃〕行方「野の北に、櫟(いちひ)、柴(くぬぎ)、鶏頭樹(かへるでのき)、比之木(ひのき)、往々森々(よりよりいよよか)に自から山林(はやし)を成せり」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「鶏冠木カヘデノキカヘルデノキ」【辞書】書言【表記】【鶏冠木】書言
語誌】(1)紅葉する樹木の代表的なものであり、モミヂとあるのはである場合が多い。そのためか、詩歌にカヘデ、カヘルデの語形は少なく、『万葉集』には古形の「カヘルデ」と「若カヘルデ」が各一例、八代集には、「変へで」と掛け詞に用いた一例〔『後撰集』雑一・一〇九三〕があるだけである。(2)「楓」の字は、『本草和名』『新撰字鏡』に「カツラ」と読み、「和名抄」には「ヲカツラ」としている。これらによって、『万葉集』の「楓」も「カツラ」と訓読されている。のちに、「楓」が「カエデ」に用いられるようになったが、中国で「楓」というのは、マンサク科の「フウ」であり、「カエデ」とは別のものである。

もみじ[もみぢ]【紅葉・黄葉・栬】〔名〕(動詞「もみず(紅葉)」の連用形の名詞化。古くは「もみち」)①(─する)秋に、草木の葉が赤や黄に変わること。紅葉(こうよう)すること。また、その葉。《季・秋》*万葉集〔八C後〕一五・三七〇七「秋山の毛美知(モミチ)をかざしわが居れば浦潮満ち来いまだ飽かなくに〈大伴三中〉」*伊勢物語〔一〇C前〕二〇「君がためたをれる枝は春ながらかくこそ秋のもみぢしにけれ」*古今和歌集〔九〇五~九一四〕仮名序「むめをかざすよりはじめて、ほととぎすをきき、もみぢををり」*有明の別〔一二C後〕一「さくらのもみぢの、ほろほろと、かごとがましくおつるかげをぞ、わけいで給」*俳諧・発句題叢〔一八二〇~二三〕秋下「翳す手の裏透き通る紅葉哉〈大江丸〉」② 楓(かえで)、または楓の葉をいう。*小学読本〔一八七四〕〈榊原・那珂・稲垣〉三「花を賞するは、以上の数品に過ぎざれども、紅葉を愛するは蝦手(かへて)を最とす、故に特に紅葉(モミチ)の名を擅にす」*浮雲〔一八八七~八九〕〈二葉亭四迷〉二・七「(モミヂ)は既に紅葉したのも有り、まだしないのも有る」③紋所の名。楓を図柄としたもの。丸に紅葉、杏葉紅葉など。④「もみじがさね(紅葉襲)」の略。*讃岐典侍日記〔一一〇八頃〕下「五節のをり著たりしきなるより紅までにほひたりし紅葉どもに」*今鏡〔一一七〇〕四・藤波「女房の車いろいろに、もみぢのにほひいだしなどして」*宇治拾遺物語〔一二二一頃〕一三・六「九月斗のことなれば、薄色の衣一重に、紅葉の袴をきて」*雁衣鈔〔鎌倉末か〕「紅葉面赤色。裏濃赤色」⑤恥ずかしさや怒りのために顔が赤くなることのたとえ。→もみじを散らす。*浮世草子・傾城禁短気〔一七一一〕一・一「くはっと気をあげ、時ならぬ紅葉(モミヂ)面にあらはし」