萩原 義雄 記

穏やかな事始めがいつの間にかに進み、新たかな年を迎える。江戸時代から明治、大正時代の人々にとって、お正月の月をどうしていたのかを「とり」という一語に托して眺めて見るとしよう。という訣で平成二九年(二〇一七)酉年を迎える。十三回前の酉年をふと振返り見れば、明治六年(一八七三)生まれの作家、泉鏡花が脳裏に浮かぶ。彼の『二、三羽―十二、三羽』という小説は、「鳥」の話しであっても、干支(えと)に描かれる「雞(にはとり)」ではない。「雀(すずめ)」が話題の主である。他に、「夜鷹(よたか)」「木兎(ずく)」「鶯(うぐいす)」「目白鳥(めじろ)」「かなりや」「山雀(やまがら)」「鵯(ひよ)」「駒鳥(こまどり)」「頬白(ほおじろ)」「駄鳥(だちよう)」「鷹(たか)」の鳥名が見えている。云うまでもなく「鶯」は、「何でも囀る(さえず)……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明(あきら)かに鶯(うぐいす)の声を鳴いた。」鳴き声を添えている。実際は、飼った「目白鳥(めじろ)」が他の鳥の囀りを物まねするというのだ。この「目白鳥」は十五例も見えている。それ以上に「雀」の語は七十二例〔「雀」50例、「親雀」11例「仔雀」7例、「山雀(やまがら)」4例〕と多い。この作品における主人公であるからにして、鳴き声の聞きなしも多く、親雀と仔雀と異なっていて実に妙趣である。次に抜粋しておく。
 
1)いけずな女で、確(たしか)に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌(てのひら)の中に入った。〔仔雀〕
2)あの声がキイと聞えるばかり鳴き縋(すが)って、引切(ひつき)れそうに胸毛を震わす。〔仔雀〕
3)あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴(くちばし)を赤く開けて、クリスマスに貰(もら)ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺(ゆる)がせて、こう仰向(あおむ)いて強請(ねだ)ると、あいよ、と言った顔色(かおつき)で、チチッ、チチッと幾度(いくたび)もお飯粒(まんまつぶ)を嘴から含めて遣(や)る。〔仔雀〕
4)いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつき合(あい)の喧嘩(けんか)さえ遣(や)る。〔仔雀〕
5)生意気(なまいき)にもかかわらず、親雀がスーッと来て叱(しか)るような顔をすると、喧嘩の嘴(くちばし)も、生意気な羽も、忽(たちま)ちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声(あかんぼごえ)で甘ったれて、餌(うまうま)を頂戴と、口を張開(はりひら)いて胸毛をふわふわとして待構(まちかま)える。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言っても肯(き)かない。〔仔雀〕
6)で、チイチイチイ……おなかが空いたの。
7)御飯(おまんま)はすぐ嘴(くちばし)の下にある。パッパ、チイチイ諸(もろ)きおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、啄(ついば)むと、今度は目白鳥が中へ交(まじ)った。〔親雀〕となっている。

私たちの身近でいて、これまで中心を彩らなかった「雀」をこうまで描写した泉鏡花は、庭に小鳥を観察できる餌台を拵えた。冬正月の寒雀は今どこに営巣しているのだろうかと思う。昔は、実った米を食い荒らす害鳥として、茅葺きの軒先のおがらを抜き取り、そこに巣を作ることで嫌われてきたが、都会の寒雀を大学校内でさっと見つけることすらむつかしい鳥となっている、どうか、数羽でも見つけてほしいものだ。

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《補助資料》
福藁や雀が踊る鳶がまふ   小林一茶
福藁に雀の下りる日和かな  正岡子規