萩原 義雄 識

何事も起こらない日は、此の世にはないやもしれない。物事を日に併せてみていくと、記録や日記類は常に「学事(ものまなび)」にある者にとっては、常日頃から筆録する習慣を身につけておきたい。逆に申すなら、それだけ己れにとって、肝心肝要な物事の要(かなめ)となる「ことばの名」を忘れてしまっていることにもつながっているのだろう。人の記憶力の何と不確かさを見せつけてくれる。人は一日どれだけの新しい物事に出遭い、その名を留め置くのかは人に拠って大いに異なるものだろうが、対象の事の名まえを口にのぼらせて、ちゃんと斟酌されているのだろうかと首を傾げることもある。夏休暇も愈々後半を迎え、ままならぬ自然災害にめげずに、日頃出会えぬところに足を運び、写真や絵画に描きだされた景観の見事な川や瀧を目前にしてみたり、美しい花をじっと眺めて見たりして、白き瀧水の落ちくるさまを鵠が掛かっているように見立てたりして、趣きの心を常に養う時間にもなろう。
 何処にも出かける暇もなく過ごす人も
なかにはあろう。身体を運ぶことが許されないなかでも、絵本(孫悟空を主人公とする天竺に經典を得るため三蔵法師に仕え、猪八戒と沙悟浄の二人の仲間と一緒に冒険と浪漫の旅をする『西遊記』→仏蘭西語訳『La Pérégrination vers l’Ouest』2023年刊)や地図画(葛飾北齋画筆「東海道名所一覧」ライデン大学図書館蔵)などで辿る楽しみ方もある。
 そのような一昔(ひとむかし)のレトロ風な愉しさも、近ごろは、ゲーム感覚に盛り込まれていて、吾人が知るのでは、未知言語を自らの手で解読して人と人とを絆でつなぐ探索もの「Chants of Sennaar」があって、仏蘭西のゲーム会社が関わった。いまや世界をめぐるものとなっている。言わばことばを読み解きつつ世界を読み解くきっかけがここには存在する。
紙媒体の読み物では味わえないものだが、そのための電子機器類が必要不可欠なのが珠に瑕となっていたりする。電源なくしては稼動がむつかしい代物だが、今は誰もが問題なく、簡便に使いこなしていて、とりわけ若い人のなかで既に席捲しつつある。また、親子でコミュニケーションを図る時間に活用することにもなっていたりしているようだ。
 江戸時代の文化活動が紡ぎ出した最高峰の絵師、葛飾北斎と現代のアニメションやゲームソフトを結び付けた、日本の長崎に一八二三(文政六)年から一八三〇(天保元)年の間滞在した、F.フォン・シーボルト博士であったのかもしれない。シーボルトの阿蘭陀国に持ち帰ったコレクションは、帰国後のライデンで彼が記録した「日本」(記録文書)により、四つの部門㈠科学に関する収集品。㈡日本の産物、産業、および人々。㈢家屋や船の模型など。㈣「比較
民俗学(アイヌ関連資料)」は、今も燦然と輝きを持ち続けている。
 日本と遠く離れた欧州の阿蘭陀国から、一八五九(安政六)年日本に戻り、知己ある人との二年間の交流を果たした。
 欧州国と日本の文化交流の架け橋が今も茲に捉えられよう。
 
《補助資料》

La Pérégrination vers l’Oues』〔2023年刊〕架蔵
葛飾北齋画筆「東海道名所一覧」〔ライデン大学図書館蔵〕
八三五頁からなる一冊本
 
『畫本西遊記』岳亭五岳譯
葛飾戴斗画十冊 天保八年丁酉孟春發兌
因みに、北齋の《冨嶽三十六景神奈川沖浪裏》は、新千円札に図柄が採用されています。
一八世紀初頭にベルリンで開発された合成化学顔料プルシアンブルーを棭齋が長崎で求め得て使用していることも良く知られるようになりました。
Chants of Sennaar
ギリシア語の「Σενναάρ」を、ラテン語アルファベットで表記すると「Sennaar」になります。また、Google翻訳でギリシャ語→日本語に変換すると「センナール」との表記となります。

「東海道名所一覧」(ライデン大学図書館蔵)

F.フォン・シーボルト