東京の冬は北風は冷たく突き刺さるが、陽光は既に「初春」から「立春」らしく、北風が遮隔された陽射しの長々とあたる樹木空間では、紅白の梅の花が綻びだし、微かに仄かな匂いを漂わせ伝えていた。ところは、駒澤大学キャンパスの南側に面した駒沢公園、だが西に向かって京都御苑や菅原天神社の朝から昼にかけては、風花が舞ふなかでもあり、花蕾は固くもう少しの時間が必要な景色でであった。ただ花咲く樹としては蠟梅の黄色が際立っていた。
或る意味、日照時間の長さは人にとっても樹木や草花にも大切な時季ということなのか。
『古事記』神話譚に「稲羽之素菟(いなばのしろうさぎ)」が知られ、彼の地に居た白き兎が多くの「和邇(わに)」を欺して、波路(なみじ)を「和邇(わに)」の背を足場に跳び越えて此の地、因幡の地に辿り付く。その瞬間、目論見に氣づいた「和邇」が菟の皮を剥ぎ取って「赤裸(あかはだか)」にしてしまう。茲に「白」から「赤」へと変移するさまが潜んでいて、『古事記』は「白菟」と「白」字で表記せず、「素」字で表記する。字音「ソ」「す」で和訓「しろ」の読み方が特殊なものだと氣づかされ、江戸時代の国学者本居宣長は『古事記伝』のなかで「しろうさぎ」の訓みに疑問を呈している。「故レ思に、素はもしくは裸(アカハダ)の義(ココロ)には非じか、若然もあらば、志呂とは訓まじく、異訓(アダシヨミ)ありなむ、人猶考へてよ」と説く。実際に『古事記』中には「白」字で記載する「白鹿」「白猪」「白智鳥」「白鳥」「白犬」の語例がある。宣長が「素」字に疑義をもつた所以とも言える。「裸莵(はだかなるうさぎ)」なる語も見えていて、身を覆う毛皮を失った「莵」がいて、此れを八十神と大国主の命とで医療処置の対応が正反対に行われていて、此の莵にとっては、後者の大国主の命の助言が見合う治療法であったことで「素菟」は痛みから解放され、元通りの姿に戻ったことになる。
此の類譚が鎌倉時代の古辞書、印融自筆本『塵袋』巻十に、
《前畧》昔コノ竹ノ中ニ老タル兎(ウサキ)スミケリ。アルトキ、ニハカニ洪水イテキテソノ、竹ハラ水ニナリヌ。浪アラヒテ竹ノ根(ネ)ヲホリケレハ皆ナクツレソンシケルニウサキ竹ノ根ニノリテナカレケル程ニオキノシマニツキヌ。水カサヲチテ後チ本所ニカヘラント思ヘトモワタルヘキチカラナシ。其ノ時キ水ノ中ニワニト云フ魚アリケリ。此ノ兎(ウサキ)ワニヽイフヤウ。汝カヤカラハ何(イカ)ホトカヲヽキ。ワニノイフヤウ一類ヲヽクシテ、海ニミチミテリト云フ。兎ノイハク我カヤカラハヲヽクシテ山野ニ満テリ。マツ汝カ類ノ多ニ少ヲカスヘム。コノシマヨリ氣多(ケタ)ノ崎(サキ)ト云フ所マテワニヲアツメヨ。一々ニワニノカスヲカスヘテ類ノヲヽキ事ヲシラム。ワニウサキニタハカレテ親族ヲアツメテセナカヲナラヘタリ。其ノ時キ兎ワニトモノウヘヲフミテカスヘツヽ竹ノサキヘワタリツキヌ。又其ノ後今ハシヲヽセツト思テワニトモニイフヤウ、ワレ汝ヲタハカリテコヽニワタリツキヌ。實ニハ親族ノヲヽキヲミルニハアラスト。アサケルニ。ミキハニソヘルワニ。ハラタチテ。ウサキヲトラヘテ。キモノヲハキツ。カクイフ心ハ兎ノ毛ヲハキトリテ。毛モナキ兎ニナシタリケリ。ソレヲ大己貴神(ヲヽナムチノ)ノアハレミ給テヲシヘ給フヤウ。カマノハナヲコキチラシテ。其ノウヘニフシテマロヘトノ給フ。ヲシヘノマヽニスルトキ多ノ毛(ケ)モトノコトク、イテキニケリト云ヘリ。ワニノセナ/カヲワタリテカソフル事ヲイフニハ兎蹈(ウサキフンテ)二其ノ上(ウヘ)ヲ一讀(ヨム)テ来渡(キタリワタル)ト云ヘリ。コヽニヨムトイヘルハカソフル心ナリ。一向ニ下臈ノカタコトニハアラサル歟。
と記載を見る。「素菟」と言わず、「老タル兎(ウサキ)」と設定されて此れに注解している。時節はいつ頃か、「俄に洪水出来ける」頃とし、時節は朧化され明確には語られていないのが特徴にもなっている。場所は「氣多(けた)の﨑」「竹(たけ)の﨑」と二語の所名が上下逆位語化していることも妙趣な点となっていたりするが「氣多の﨑」は、廿巻本『和名抄』に因幡國第百六に「氣多郡」と見えていて、此の地は冬二月は雪も積もるようだ。となれば、洪水を引き起こすは雨季に隠岐の島に流され、元の地に帰るための術として「和邇」と言う海上を自由自在に動き回れる生き物を敢えて用いた「菟」の数を算えるという智慧は計り知れない。そして地名「氣多」と「竹(太計)」の逆位語表記はこれまた妙趣さを感じさせる。二月は受験シーズン真っ盛り、学問の神さま菅原天神社には梅の花が「白」と「紅」の色合いで咲き誇る。動物は赤白で言うと、「馬」か(『三国志』関羽の乗馬した「赤兎馬」)がふと頭をよぎった、当然「白馬」は誰もが知る所である。「牛」も赤べこ、白牛となるかと紅白色にこだわってみた。受験が見事合格となれば、赤飯を炊いて家族で祝うことにもなろう。
《注記》
「因幡の白兎」と云うが、文部省著作『高等小學讀本』〔日本書籍株式会社、明治三十七年発
行〕第一課「因幡の兎」とし「白」字は、本文中も一切用いていない。
『古事記』上卷〔卜部兼永本複製〕参照。
者汝身如二本ノ膚一、必差、故、為レ如レ教其身如レ本也、此、稲羽之素菟(イナハノト)者也。
本居宣長『古事記傳』十之巻〔架蔵版本及び全集一・四百三十二頁〕参照。
印融自筆本『塵袋』巻十参照。