萩原 義雄 識

此れまで、「かげ○○○」型の熟語をと見ているのだが、他に「かげ(シャイン)───」は、「かげ姿見」「かげ写し」「かげ絵」といった類語表現の語が知られる。下位語になると、鎌倉時代の『曽我物語』には「おもかげ」「たちかげ」「つきかげ」「ひかげ」「ひとかげ」「ゆふひかげ」と見え、南北朝時代の『太平記』には、「うしろかげ」「おもかげ」「つれなきかげ」「たち(太刀)かげ」「つきかげ」「ひかげ」「ひとかげ」「ほ(帆)かげ」「まつかげ」「みかげ」とある。準体助詞「の」をもっての語は「電(いなづま)のかげ」「燈(ともしび)のかげ」「夜(よ)のかげ」「燎(にはび)のかげ」「瑞籬之影」「星のかげ」「照射(ともし)のかげ」「篝火(かがりび)のかげ」「夕陽(セキヤウ)のかげ」となり漢字は「影」の字を用いる。あと孤例だが「化」字で「おもかげ」、「影明」に「あきらか」の訓みを添えたりもする。

その和語「かげ」なる語は、漢字で表記するとき、「影」「景」と用いられ、本源には「陰」「蔭」がある。
茲で人名についても、室町時代の『頓要集』〔47丁1行目〕に、「景蔭=〔幸+彡旁〕影」、易林本『節用集』には「景(カゲ)蔭陰影」〔下五十七ウ6行目〕の四字が見えるが、実際は本学渡辺三男先生の『日本の人名』〔毎日新聞社、昭和四十二年刊〕に見るように、「景清」〔218頁〕「景時」〔85頁下段〕=「梶原平三景時」=平家方にその者ありと聞こえた勇士「悪兵衞」景清(かげきよ)の名を引くくらいで、下位に見える三字「蔭陰影」などを名前にする人物は見当たらないようだ。

さらに寺名では、『撮壤集』に、京都十刹として「景德寺」や尼寺に比丘尼五山のひとつ「景愛寺(ハウキヤウイン)」が挙がっていて此方も「景」の字に尽きる。

この「景」字が上位にくると、熟語は「景観」「景色」「景勝」「景物」などと用いられ、他三字とは様相が異なっている。とりわけ、「影」の字について云えば、「影響」「影向(エコウ)」「影写」「影像」と用いる。此の「像(イメージ)」がつくり出す「創像」なる語については、国語辞典を繙いても得られないのだが、岡倉天心著『東洋の理想地』〔東洋文庫35頁〕に「創像的プラン」として用いられたりする。そして、「創像とは“かげ”なる像の“うつろひ”である」という命題に基づく」理論が田中純著『イメージの記憶(イメージのかげ)危機のしるし』〔東京大学出版2022/05/02 刊〕に表象する。此処には、「閾(しきみ)ヨク・かぎる」と「影(かげ)」を無意識に重ねて」いく所作が潜んでいたりする。その扱う対象も「映像」「写真」「絵画」「建築」「文学」などと云った多角広域なものと云えよう。

いま、ことばとして国語辞典に向きあっていくとき、例えば『日国』における見出し語「かげ【影】」には、
『日国』の意味
〔一〕日、月、星や、ともし火、電灯などの光。
〔二〕光を反射したことによって見える物体の姿。
( 1)目に映ずる実際の物の姿や形。
(2)鏡や水の面などに物の形や色が映って見えるもの。
(3)和歌、連歌、能などで作品の持つ含蓄、奥深さなどをいう。
〔三〕光を吸収したことによってうつし出される物体の輪郭。また、実体のうつしとりと見なされるもの。
(1)物体が光をさえぎった結果、光と反対側にできる、その物体の黒い形。投影。影法師。
(2)いつも付き添っていて離れないもの。
(3)心に思い浮かべた、目の前にいない人の姿。おもかげ。
(4)やせ細った姿。やつれた姿。朝蔭(あさかげ)。→のごとく。
(5)実体がなくて薄くぼんやりと見えるもの。→影のごとく。
(6)死者の霊。魂。
(7)実物によく似せて作ったり描いたりしたもの。模造品。肖像画。
(8)ある心理状態や内面の様子などが、表にちらとあらわれたもの。
(9)空想などによって心に思い描く、実体のないもの。
(10)以前に経験したことの影響として見えたり感じたりするもの。
〔四〕特殊な対象に限った用法。
(1)(謡曲「松風」の「月はひとつはふたつみつ潮の」という詞章による)江戸時代、大坂新町の遊女の階級の一つで、揚げ代二匁の下級の女郎。
(2)「かげ(影)の煩(わずらい)」に同じ。
(3)魚の群れ。高い所から見おろすと海の魚群が雲が映っているように見えるためという。
と云った語の認識が働いていて、現代の社会環境のなかでその必定性が求められたとき、幾つかが遺るものとなっていることに氣づかせてくれるのではなかろうか。