萩原 義雄 記述

あらたかな年乃初めに、己がなかで近未来に向けて祈り願う心ごとは人にとって最上の行いといえよう。この季節に自然界の植物は、慣わしとして「松」「竹」「梅」の三つの樹木類をもってその願いの尊さを私たち日本人は日本の藝術文化として高めてきた。この「まつ、たけ、うめ」は、大槻文彦編『大言海』を繙くと、

まつたけうめ〔名〕【松竹梅】此三種ノ植物ヲ歳寒三友(サイカンノサンイウ)トモ云ヒ、能ク歳寒ノ霜雪ニ耐ヘ凌グヲ以テ、支那ニテハ、其節操ヲ賞シ、我ガ邦ニテモ、繪ニカキ、染物、織物、彫物ノ模様ナドニシテ、メデタキモノトス。」〔第四冊四一六頁一段目〕

と記載している。近現代には、小学館『日国』第二版の見出し語「しょう‐ちく‐ばい【松竹梅】」が記載する「【一】(2)品物や席などを三等級に分けたとき、それぞれの等級にかえて用いる語」として、品位の格付けにも用いられるようになってきた。その品位は決して失せることなく、これを彩る匠職人がそのこゝろもちを常々啓蒙保持してきた。
その一例として、日本家屋の欄間に浮き彫りにしている各々の樹木に表出する「まつたけうめ」の彫像は、

一 松は、氣品を表し、その家の主人を表す。
 一 梅は、優雅を表し、その家の奥様を表す。
 一 竹は、氣骨を表し、その家の子供を表す。

として、「家族全体の氣品、優雅、氣骨を表し、屋敷を代表する座敷に飾ることで、家族円満で家族一体となって、末永く平穏を願うとの意味」を込めているという。これを一つ拡大化して教育現場である大学、そして更なる高みとして日本国家のこれからの有り様に向けて、その「祈りと願い」を精一杯に「まつたけうめ」にこゝろを込めて展開してみたいものである。この「気品さ」「優雅さ」「氣骨さ」を自身の周囲に常に持続維持させることがこの二〇一六年を私たちがかたち作っていくうえで絶対に必用なのだという心構えで向き合っていきたいものである。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
しょう‐ちく‐ばい【松竹梅】【一】〔名〕(1)松と竹と梅。冬の寒さに耐えて松・竹は緑を保ち、梅は花を咲かせるので、古来「歳寒の三友」と称し、めでたいもののしるしとして、画題や祝い事の飾り、立花などに用いられる。《季・新年》*空華集〔一三五九(正平一四/延文四)〜六八頃〕三「和荷山九峰、春雪賦松竹梅鈍夫雲心二老」*中華若木詩抄〔一五二〇(永正一七)頃〕上「一の句、竹は、松竹梅の三友とて、梅松と盟を結ぶ者也」*塩原多助一代記〔一八八五(明治一八)〕〈三遊亭円朝〉一八「松竹梅の縫模様の振袖を持て来ますと」*李邕‐題画詩「酔裏呼童展畫、笑題松竹梅花」(2)品物や席などを三等級に分けたとき、それぞれの等級にかえて用いる語。【二】邦楽の曲名。めでたい曲として代表的。〔一〕地歌、箏曲。江戸末期、大坂の三津橋勾当(こうとう)作曲。梅に鶯、松に鶴、竹に月を配したもので、にぎやかな手事(てごと)[=間奏]がある。このあとをうけて「新松竹梅」「明治松竹梅」などが作られた。〔二〕長唄。「室咲松竹梅」「君が代松竹梅」など数曲の通称。三世杵屋正次郎作曲の「室咲松竹梅」が最も有名。〔三〕河東節。四世山彦河良作曲。文政一〇年(一八二七)正月初演。能「老松」(おいまつ)の詞章に梅と竹と添え、郭気分を出したもの。【発音】ショーチクバイ〈標ア〉[ク]〈京ア〉[ク]

◆江戸時代〔一八五〇(嘉永三)年刊〕
東籬亭悠翁編・池田英泉画『群花百人一首和歌薗』須原屋茂兵版より引用
 子日乃御遊(ねのひぎよゆふ)
  子乃日(ねひ)する
   野邊(のべ)に小松(こまつ)の
  なかりせば
    千代(ちよ)の例(ためし)に
     なにを曳(ひ)かまし
                忠峯