萩原 義雄 記

日本の大学はこの時期になると学期末の成績発表、新入生のための入学試験、四年生の卒業式などが滞りなく進んで行くなか、在校生にとっては、人的交流を育むに相応しき課外活動のための時間が用意されている。このなかで己の自立心を養う意味でも大切な時空間を過ごすことに繋がるからだ。このとき、常に何事にあっても二項対立の世界観が自分に押し寄せてくることだろう。前に進むも後に退くも全てが自分の意思に委ねれていくからだ。とは言え、人は誰もが「進歩(プログレス)」を期待する。大望みをすれば、国家規模、国際規模にも及ぶのである。

先日、学内でこの学生たちが所属する課外活動を支える監督、コーチ、顧問の集いが催された。この交流会は毎年此の時期に開かれてきた。各々が所属する部活動がどのような状況化にあるのかを悉に知らしめるとても良い機会ともなっている。

明日への励み、励まし合う場(トポス)が茲には存在し、アイデンティティーへの扉の機能となっていると私は考えている。今年も個人・団体共に多くのめざましい活躍が報告され、紹介されていた。この知性的な学生たちの課外活動も、今年、早くも五十一年と言う半世紀の継続を果たしてきていることも見逃せないものがある。

こうした直線的なリニア時間にとらわれるだけでなくして、私たちには森羅万象の植物たちが芽を吹き、花を咲かせ、軈て花片を散らすと云った、織りなすように円環する時間、即ちサイクルをなす時間を読み取っていくことにも繋がっていくことになるまいか……。芥川龍之介の『神々の微笑』のなかで、主人公の宣教師オルガンティノが本邦に存在する山川の霊に向き合う寓話小説を書き上げていて、一つのことがひとつでは到底賄えないことを示唆しているようにも思えてくるのではある。この二つの時間軸を共に動かし続けていくという意識を私たちは先ずもって大切にしたい。

《補助資料》
芥川龍之介『神神の微笑』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html

オルガンティノは吐息をした。この時偶然彼の眼は、点々と木かげの苔に落ちた、仄白い桜の花を捉えた。桜! オルガンティノは驚いたように、薄暗い木立ちの間を見つめた。そこには四五本の棕櫚の中に、枝を垂らした糸桜が一本、夢のように花を煙らせていた。
「御主守らせ給え!」
オルガンティノは一瞬間、降魔の十字を切ろうとした。実際その瞬間彼の眼には、この夕闇に咲いた枝垂桜が、それほど無気味に見えたのだった。無気味に、――と云うよりもむしろこの桜が、何故か彼を不安にする、日本そのもののように見えたのだった。が、彼は刹那の後、それが不思議でも何でもない、ただの桜だった事を発見すると、恥しそうに苦笑しながら、静かにまたもと来た小径へ、力のない歩みを返して行った。