萩原 義雄 記

天竺(インド)国生まれの仏教が二〇〇〇年前から中国世界の人びとの魄魂の救済、精神の拠り所としてのこゝろの糧にもなって、ユーラシア大陸の東半にまで広がり続け、これを大仏教文明圏と位置づけてきました。日本国も一三〇〇年に届くところまできました。ですが、なぜこの東側に広がりを見せた仏教文化が西側に及ぼうとしなかったのだろうかと思いつつ、原点とも言える天竺国世界、イスラム世界、キリスト世界が仮令、後発とは言え、きっちりとカーテンを下ろしています。今、この観点をこれ以上述べることはしませんが、ここに何か私たち日本文化の魅力を見定めて行くときの見逃してはならない重要な鑰があると思っています。
グローバル化が進み出してきたいま、「日本文化の魅力は?」と問われたとき、日本人である吾人は、卓越した匠が生みだした技術力、湧泉な保管に支えられる清潔さ、人徳な借りたら返すの持つ礼儀正しさ、そして、若き人びとを魅了してやまない漫画、アニメに縹緲する創造力といった事象を並べて、話し伝えて行くことができるのではないかと思うのです。この一つひとつに各々に価値の高い文化が存在しています。これが仮に散り散りになって霧散してしまったのでは真の魅力にならないと考えます。とはいえ、日本人と箍で括っても、十人十色というように、性格・人生観・世界観にしても多種多様、これを結束集団化する「心性美徳」を有していることで共性観を醸し出しています。「西洋人は真、中国人は善、日本人は美を最大の価値とする」と言う括りの文言もここにあるべき姿勢を表象しているのではと思っています。

まもなく師走、美醜のうえで「けがれ【穢】」を祓う、神社仏閣に参拝して身の穢れを祓い浄める季節がらが近づいてきました。家に「おそうじ革命」のチラシが届いています。この時季ならでの室礼ビジネスが成り立つのも、この日本人の「美観」が根幹にあるからと観じているからでしょう。時はゆるゆるから急ぎばやにネジを巻く、一年の残す三〇日に愈々突入ですが、あるべきこと、なすべきことを着実に修めていくことになります。四年次学生は、卒業論文の提出が今目前に近づいてきました。
 
【補助コラム】
今、吾人が講義「日本言語文化探求Ⅱ」のなかで扱ったアニメ、高畑勲作品「かぐや姫の物語」に詠われた童歌の一節「まつとしきかばかへりこむ」「時が経っても変わらない支えられる友と笑えるように」「せんぐりいのちがよみがえる」の一言一言に伝え続けてきたかの物語『竹取物語』の美の魅力が存在する。