萩原 義雄 記

「うし【牛・丑】が今年の干支となり、干支のテーマとなっていく。とりわけ、天満宮表参道には「使いの牛」と称する、菅原道真公の御遺骸を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所をご墓所と定めたことからとする説から全て「臥牛」の像となっている。「臥牛」は、大きなものとしては、柳田国男『地名の研究』に、「この山は形状臥牛(がぎゆう)のごとく、全山寸余の芝生をもって蔽(おお)われ、坐臥打舞毫(ざがたぶごう)も衣を汚すの憂いなく云々とあって、その芝生を方言にカヌカというと記している。」、太宰治『みみずく通信』に、「佐渡が、臥牛(がぎゆう)のようにゆったり水平線に横わって居ります。空も低い。風の無い静かな夕暮でありましたが、空には、きれぎれの真黒い雲が泳いでいて、陰鬱でありました。」とあって、山や島の形状に譬えられて用いられている。読みとしては「がぎゆう」の他に「ぐわぎう」「ねうし」などとも云う。この牛の座った姿勢だが、以前にも引用した「紙本著色佛涅槃圖」のなかにも臥した牛圖繪として描かれている。そして、最も人と付き合いの長い生き物でもある。動く牛もあれば、一所にうしじっとして微動だにしない丑(うし)もいて、『日国』第二版見出し語「うし【牛】」の意味に、「力が強く、古くから有用な家畜として運搬、耕作などに使われ、肉や乳は食用に、皮、角などもいろいろの面に使われている。和牛のほか、ホルスタイン、ジャージーなど品種が多い。」と記載する。そして「臥牛」の語は「が-ぎゅう[グヮギウ]【臥牛】」とあるだけで、「ふしいし」は地名にあれど記載を見ない。また「臥牛」を雅名とする人もいる。
この牛は、奈良時代の『古事記』『万葉集』に既に登場する。その鳴き声は『万葉集』に、「なほやなりな牛鳴」(巻第一一・二八三九番)と漢字表記されていて、この「牛鳴」を義訓で「ム」と詠む。これが鳴き声の聞きなしである「ムゥー」。この聞きなしが確認出来る。これも『日国』の【語誌】の項目に、「(2)牛の方言形「べこ」は、西日本では子牛、東北では牛(子牛はベコッコ、コッコベコ)を意味する。「べこ」の「べ」は牛の鳴き声の「メー」に由来するかと思われる。「メー」については、『悉曇要集記』に牡牛の鳴き声を「ムモ」、牝牛は羊の鳴き声と同じ「メイ」《中略》「『醒睡笑』巻第一の「牝牛(めうし)は「うんめ」となき、「牡牛(をうし)」は「うんも」となくなり」などに引き継がれていると見られる。鳴き声「モー」に由来する牛の方言形には「ぼ(ぼー)」「べーぼー」などがあり、「牡」の字音の支えもあってか、「牡牛」を意味することが多い。以上、牛に関しては、鳴き声はマ行音、名称はバ行音というような分化が見られる。」と記していて示唆を得よう。
清少納言『枕草子』第三一段の「心ゆくもの」には、「牛は額いとちひさく白みたるが、腹のした、足のしも、尾のすそ白き。」とその形状を書き出す。また、色で言えば、これも「あめうし【黄色】」の【語誌】(1)に、『御堂関白記』や『吾妻鏡』など記録類に、御所などが移転する時に黄牛を牽いたという記事が多数見られ、『左経記』長元五年四月四日」の記事によれば、陰陽道の地の神である土公神をしずめるために黄牛を牽くという習俗があったと知られる。なぜ黄牛なのかは不詳であるが、この事から、上等な牛、縁起のいい牛という意味で、贈り物にされたり、細工物に作られたりしたのであろう。とある。
そう、今年の干支は「牛・丑」なのである。人との交流もままならぬなか、苦しい時、辛い時、先が見えない世であっても、牛が歩むように、周章てもせず、焦らず、湛々と、着実に前に進めば、必ずや結果は自ずと見えてくると信じたい。
 
注 紙本著色佛涅槃圖〔 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/427882
 

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
うし【牛】〔名〕(1)偶蹄目ウシ科の家畜。原種はヨーロッパからアフリカに生息していたオーロックス(Bos primigenius )とされる。頭部に断面が円形の角二本をもち、からだは肥え、脚は比較的短く、体高一・二~一・五メートルほど。皮膚に黒、白、褐色などの短毛が密生し、尾は細くて長く先に毛総がある。上顎(うわあご)には前歯がなく、胃は四つに分れていて、一度のみこんだものを、もう一度口へもどしてかみなおす。機敏ではないが、力が強く、古くから有用な家畜として運搬、耕作などに使われ、肉や乳は食用に、皮、角などもいろいろの面に使われている。和牛のほか、ホルスタイン、ジャージーなど品種が多い。学名はBos taurus
*古事記〔七一二(和銅五)〕上「を放ち、馬を息(いこ)へ、愷悌(がいてい)して華夏に帰り」*万葉集〔八C後〕一六・三八八六「馬にこそ絆(ふもだし)掛くもの(うし)にこそ鼻縄はくれ〈乞食者〉」*琴歌譜〔九C前〕山口振「山口大菅原を宇之(ウシ)は踏む猪(ゐ)は踏むともよ民な踏みそね」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕巻七「 犢付四声字苑云〈語丘反宇之〉土畜也」(2)(1)の肉。牛肉。*安愚楽鍋〔一八七一(明治四)~七二〕〈仮名垣魯文〉二・上「往くも復へるも流行の、牛肉(ウシ)で杯一(ぱいいち)ぱくつく腹組(はらぐみ)」(3)(水牛の角で作るところから)「はりかた(張形)」の異称。
*雑俳・柳多留-一四〔一七七九(安永八)〕「うしはものかわとかげまへつぼねいひ」
*雑俳・柳多留-二七〔一七九八(寛政一〇)〕「其元(もと)乱れ御局がをもち」(4)(「ぎゅう(妓夫・牛)」の「牛」を訓読みにして)遊女屋の客引き男。(5)江戸時代、伊豆国(静岡県)下田で遊女をいう。*随筆・北里見聞録〔一八一七(文化一四)〕「、豆州下田辺にての遊女をいふ。其の価、孔方二百文也。是を呼時は燈をけしてかたらひ、又くらまぎれにかへるゆへにうしといふとぞ」*随筆・守貞漫稿〔一八三七(天保八)~五三〕二〇「豆州下田の密売女を異名してうしと云。の字を用ふ」*唐人お吉〔一九二八(昭和三)〕〈十一谷義三郎〉四「玉は定まりで新公娼(ウシ)に毛の生えたくらゐだが」(6)金銭を賭けてする楊弓(ようきゅう)や大弓(だいきゅう)で百をいう。*随筆・一時随筆〔一六八三(天和三)〕「かけものは〈略〉銭のときは一銭を餓鬼、二銭を地といひ〈略〉百をとす。これ古今の世説也」(7)「うしのした(牛舌)」に同じ。*雑俳・住吉みやげ〔一七〇八(宝永五)〕「三疋の牛をさいふに入てきた」(8)竹や木を家の棟木のように組んで立てたもの。ものを立てかける台にする。*随筆・松屋筆記〔一八一八(文政元)~四五頃〕八四・七三「牛と云ものを土俵または石などに押へ、それに竹束をもたせ」(9)「うしばり(牛梁)」の略。*随筆・南畝莠言〔一八一七(文化一四)〕上「蔵の横木をといへるは、汗棟などいへることよりあやまり来りしならむ」(10)水の流れをおさえるために河川に設ける構築物。棟木形の木組みを石などで固定させる。*延宝八年合類節用集〔一六八〇(延宝八)〕「牮ウシセン」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕一「牮ウシ〈略〉以土石遮牮水曰牮」(11)(どっかり横たわっているさまから)銭箱をいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{一八九二(明治二五)}〕(12)熟睡することをいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧{一九一五(大正四)}〕(13)不必要な証券を買う人。〔模範新語通語大辞典{一九一九(大正八)}〕【語誌】(1)古くは他の語と複合すると多く「うじ」となる。「子うじ」「雄うじ」「雌うじ」「あめうじ」など。(2)牛の方言形「べこ」は、西日本では子牛、東北では牛(子牛はベコッコ、コッコベコ)を意味する。「べこ」の「べ」は牛の鳴き声の「メー」に由来するかと思われる。「メー」については、『悉曇要集記』に牡牛の鳴き声を「ムモ」、牝牛は羊の鳴き声と同じ「メイ」と記しているのが参考になる。これが、中世・近世では『醒睡笑』巻第一の「牝牛(めうし)は「うんめ」となき、「牡牛(をうし)」は「うんも」となくなり」などに引き継がれていると見られる。鳴き声「モー」に由来する牛の方言形には「ぼ(ぼー)」「べーぼー」などがあり、「牡」の字音の支えもあってか、「牡牛」を意味することが多い。以上、牛に関しては、鳴き声はマ行音、名称はバ行音というような分化が見られる。【方言】(1)刈った稲穂を掛けて干す設備。稲架(はさ)。《うし》東京都八王子311 神奈川県津久井郡316 長野県諏訪郡469 静岡県521《おしぼうし》奈良県吉野郡687(2)稲架(はさ)の横木。《うし》茨城県多賀郡190(3)河川工事や水防・砂防作業の時に川水や砂をせき止めるために組んだ木の枠。《うし》東京都八王子311 神奈川県津久井郡316 長野県上伊那郡(三本の棒を組んだもの)469 諏訪481 静岡県榛原郡(木材の列)535(4)大黒柱の上に架す大きな梁(はり)。牛梁(うしばり)。《うし》秋田県鹿角郡132 神奈川県中郡320 富山県390 西礪波郡400 岐阜県飛騨502 愛知県東加茂郡565 愛媛県大三島848《うしのき〔─木〕》富山市近在392《うすもん》富山県砺波398(5)棟木。《うし》富山県砺波397 長野県下伊那郡492 岐阜県飛騨502(6)丸太や竹で組んだ大かまち。《うし》神奈川県中郡320(7)股(また)になった台木。《うし》鹿児島県肝属郡054(8)炭俵を編む木製の道具。《うし》東京都西多摩郡054(9)田植え前の田を平らにする農具。《うし》長野県東筑摩郡469(10)茶屋女。酌婦。《うし》伊豆八丈島† 071 千葉県夷隅郡288(11)動物、うみうし(海牛)。《うし》和歌山県西牟婁郡693(12)貝、ひざらがい(膝皿貝)。《うし》香川県小豆島829《うしのくら・うしのまくら〔ー枕〕》岡山県邑久郡761(13)虫、かぶとむし(兜虫)。《うし》三重県一志郡589(14)鍬形虫(くわがたむし)の大きなもの。《うし》群馬県勢多郡236 奈良県678(15)植物、いぬえんじゅ(犬槐)。《うしのき》和歌山県伊都郡692【語源説】(1)「オホシシ(大獣・大肉)」の約〔日本声母伝・言葉の根しらべ=鈴江潔子・大言海〕。また「ウ」は大、「シ」は「宍」〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(2)有能であるところから、「ウシ(大人)」と同語〔円珠庵雑記・和訓栞〕。(3)形が恐ろしいこと、また、労役に使われることから、「ウシ(憂)」の義〔日本釈名・本朝辞源=宇田甘冥〕。(4)「モウシ」で、鳴き声から出た〔言元梯〕。(5)「オシモノ(押物)」の略。野生生活における格闘のさまから〔現代国文学講話=坂井衡平〕。(6) 「オソユキアシ(遅行脚)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。(7)「ウシナフ(失)」と字形、語形ともに関連があるか〔和句解〕。(8)打って使うことから、「ウツサリ(打去)」の反〔名言通〕。(9)恐ろしげであることから「ヲツサリ(怖去)」の反〔名語記〕。(10)「ウ」は韓語。「シ」は古く肉を食用とする獣をいった語〔東雅〕。(11)「牛」の別音「U」に「㸻(Si)」を添えた語〔日本語原考=与謝野寛〕。【発音】〈なまり〉ウイ・ウーシ・ウシ・ウッシ〔鹿児島方言〕ウス〔越後・石川〕オシ〔鳥取〕オシンボ〔信州読本〕オス〔岩手・鳥取〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安・室町・江戸●●〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・下学・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【牛】和名・色葉・名義・下学・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【・】名義・和玉【犎・・犫】色葉【犍・犗・・・・㸼・牳・㸻・・・・】和玉【牮】書言ことい[ことひ]【特牛】〔名〕「こというし(特牛)」に同じ。*新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「〓〔牛+葉〕特牛也己止比」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕七「特牛弁色立成云特牛〈俗語云古土比〉頭大牛也」*梁塵秘抄〔一一七九(治承三)頃〕二・四句神歌「淡路の門渡ることいこそ、角を並べて渡るなれ」*名語記〔一二七五(建治元)〕八「こといは男牛也、事負とかける心をえす、きも、つよ、うしを反せばこといとなる」*夫木和歌抄〔一三一〇(延慶三)頃〕三三「われを君あはぬ恋とやから車やまとことゐのかけすまひする〈源仲正〉」*俳諧・大坂独吟集〔一六七五(延宝三)〕上「去年といはんこといとやいはん丑のとし庄屋のそののうぐひすの声〈幾音〉」【方言】(1)雄牛。《ことい》兵庫県多紀郡668《こち・こちうし》大分県941《こつ》大分県大分市・北海部郡941《ごつ》熊本県球磨郡《こついうし》宮崎県東諸県郡954《こつうし》大分県大分市・北海部郡941《こっち》宮崎県東臼杵郡953《こっちい》熊本県阿蘇郡923 下益城郡930 大分県北海部郡939《こっちいうし》大分県南海部郡939《こっちゅう》大分県941《こっちんべぶ》鹿児島県963《こっつ》大分県玖珠郡938《こっつい》大分県(下流)939 宮崎県西臼杵郡063《こっついい》熊本県阿蘇郡923《こっつう》大分県941《こっつくろ》熊本県阿蘇郡919《こっつん》大分県南海部郡941《こってつごろ》長崎県南高来郡898《こってん》大阪府泉北郡646 鹿児島県鹿児島郡968《ごってん》石川県珠洲郡・鳳至郡407《こってんごろ》長崎県南高来郡059大分県東国東郡941《こってんでぶ》鹿児島県鹿児島郡968《こってんぼ》熊本県天草郡936《こってんぼお》熊本県宇土郡919《ごってんぼお》熊本県天草郡919《こっと》島根県石見726香川県大川郡829《ごっと》石川県珠洲郡・鳳至郡407《こっとお》徳島県811《こっぺえ》岡山県真庭郡747《こてぃうし》宮崎県東諸県郡040《こてうし》山形県139 千葉県261 神奈川県三浦郡314 長野県012470 静岡県磐田郡546 愛知県額田郡577《こてうじ》鳥取県西伯郡054《こてえうし》千葉県安房郡302 東京都大島322 山梨県455 北巨摩郡452《ごてえうし》山梨県453《こてえぼっこ》東京都大島(大きくて強い雄牛)326 静岡県田方郡054《こてえめ》東京都八丈島343《こてのし》千葉県安房郡001《こてべえこ》青森県南部050《こでべこ》山形県米沢市149《こてんぼ》千葉県夷隅郡040《こてんぼお》静岡県磐田郡546《ごん》石川県珠洲郡・鳳至郡407(2)尾の太い牛。《ことい》高知市050( 3)暴れ牛。《こてうし》長野県北安曇郡(赤毛)469(4)雌牛。《ことい》滋賀県彦根609《こでうし》下北† 051(5)子牛。《こど》岐阜県揖斐郡498(6)虫、ありじごく(蟻地獄)。《ことい》島根県那賀郡724【発音】〈なまり〉コチ・コツ・コッチュー・コッツー・コッツン・コッティ・ゴッティ〔豊後〕コッチ〔大隅〕コッチー・ゴッテー〔熊本分布相〕コッテ〔島原方言・熊本分布相・熊本南部〕ゴッテ〔岐阜・島原方言・熊本〕コッティー〔大分実態・豊後〕コッテー〔壱岐・熊本分布相・大分〕コテイ〔伊豆大島〕コッテイコ〔飛騨〕コットイ〔岐阜〕〈史ア〉平安○○○〈京ア〉[0](0)【上代特殊仮名遣い】コト(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・文明・明応・易林・ヘボン【表記】【特牛】和名・色葉・名義・明応・易林【犢】文明・ヘボン【〓牛+葉】字鏡【牡牛・牡子】色葉

こといの牛(うし)「こというし(特牛)」に同じ。*万葉集〔八C後〕一六・三八三八「わぎもこが額に生ふる双六の事負乃牛(ことひノうし)の鞍の上の瘡(かさ)〈安倍子祖父〉」
*新撰六帖〔一二四四(寛元二)頃〕二「ことごとしこといのうしの角さきのきらあるみるもおそろしのよや〈藤原信実〉」*スピリツアル修行〔一六〇七(慶長一二)〕御パッションの観念「アマタノイヌト、cotoino vxidomo(コトイノウシドモ) ワレヲトリマワシタリトアルコトワ」*浮世草子・沖津白波〔一七〇二(元禄一五)〕五・一「つづいて稲病二三年、肥肉(コトイ)の牛を二疋迄ただ一月に見殺し」

ほしまだら-うし【星斑牛】〔名〕(「ほしまだらうじ」とも)星斑のある毛色の牛。*字鏡集〔一二四五(寛元三)〕「ホシマタラウシ」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕五「牛ホシマタラウジ〔順和名〕牛色駁星如者」【発音】〈標ア〉[ラ]【辞書】書言【表記】【牛】書言

あめ-うし【黄牛・牝牛】〔名〕(古く「あめうじ」とも)(1)飴色をした牛。上等な牛とされた。あめまだら。あめだうし。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕垂仁二年是歳(北野本訓)「黄牛(アメウシ)に田器(たつはもの)を負せて田舎に将往(ゆ)く」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕七「黄牛弁色立成云阿米宇之」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕吹上上「少将にくろかげのむま、たけななきばかりなるあかきむま四、いかめしきあめうし四」*枕草子〔一〇C終〕四五・にげなきもの「月のあかきに、屋形なき車のあひたる。また、さる車にあめうしかけたる」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「黄牛アメウジアメマタラ」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Ameuji(アメウジ)、または、アカウジ」*読本・青砥藤綱摸稜案〔一八一二(文化九)〕前・三・牽牛星茂曾七が青牛主の屍を乗して帰りし事「年来二匹の牛をもてり、一つは黄牛(アメウシ)にて牡なり、一つは青牛(さめうし)にて牝なり」(2)牝牛の異称。*文明十一年本下学集〔一四七九(文明一一)~一五〇五(永正二)〕「牸アメウシ」*ロドリゲス日本大文典〔一六〇四(慶長九)~〇八〕「Ameuji(アメウジ)、または、メウジ」*物類称呼〔一七七五(安永四)〕二「牛〈略〉牝(め)牛は諸国ともに、あめうじと呼なり」【語誌】(1)『御堂関白記』や『吾妻鏡』など記録類に、御所などが移転する時に黄牛を牽いたという記事が多数見られ、『左経記』長元五年四月四日」の記事によれば、陰陽道の地の神である土公神をしずめるために黄牛を牽くという習俗があったと知られる。なぜ黄牛なのかは不詳であるが、この事から、上等な牛、縁起のいい牛という意味で、贈り物にされたり、細工物に作られたりしたのであろう。(2)古辞書類の多くは「黄牛」に「アメウジ」の訓を付し、飴色の毛色の牛の意と解されるが、『新撰字鏡』や『観智院本名義抄』で「アメマタラ」の訓が付され、あるいは中世以降「」(黄色で虎の紋様のある牛)字に「アメウシ」の訓を付すものもあり、まだら模様のものも含まれたようである。(3)牝牛を意味する「牸」字に「アメウシ」の訓を付す例が『文明十一年本下学集』に見られ、中世のある時期以降、牝牛も意味するようになったものと思われる。【方言】(1) めうし。《あめうし》宮崎県東諸県郡954(2)赤みがかった茶色の牛。《あめうし》大分県大分市・大分郡941《あべうし》愛媛県840【語源説】(1)飴色の毛から〔言元梯・和訓栞〕。(2)「アカマゼ(赤交ゼ)」の反〔名語記〕。(3)「アメ」は「黄」の別音「Ame」の転音〔日本語原考=与謝野寛〕。【発音】〈音史〉平安から近世までは多く「あめうじ」と濁音。上代は不明。〈標ア〉[メ][0]〈ア史〉平安○○○○〈京ア〉[メ]【辞書】和名・色葉・名義・和玉・文明・伊京・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・言海【表記】【黄牛】和名・色葉・名義・文明・伊京・天正・饅頭・黒本・易林・書言【陪】和玉【犉】書言【飴牛】言海が-ぎゅう[グヮギウ]【臥牛】〔名〕横になってねている牛。伏している牛。*経国美談〔一八八三(明治一六)~八四〕〈矢野龍渓〉後・二一「昔レデメトリスと云へる哲人の辞に『ヤクロコニンジスと伊蘇武の二山は希臘南部の双角なり。是の双角をだに握有する者あらば臥牛の全体なる巴本涅斯は必ず其の有に帰せん』と云ひし言の伝はれるを信じ」【発音】ガギュー〈標ア〉[0]

ね-うし【寝牛】〔名〕「なでうし(撫牛)」に同じ。*風俗画報‐二四五号〔一九〇二(明治三五)〕人事門「殊に今日の縁喜ものは、狐、寐牛、でんぼ鈴、すここ、布袋、福助、西行法師抔なりとぞ」*妻木〔一九〇四(明治三七)~〇六〕〈松瀬青々〉秋「枝柿とさげるや寝牛角力取」【発音】〈標ア〉[0]


臥牛 ガギュウふしうし。ねうし。
傘松道詠集(永平傘松道詠集)
 
牛過窓欞 世中はまとより出る牛の尾の 引ぬにとまる心はかりそ